第105回 正修止観章 65
[3]「2. 広く解す」 63
(9)十乗観法を明かす 52
⑭歴縁対境
「歴縁対境」の段の冒頭には、「縁に歴(へ)境に対して陰界を観ずとは、縁は六作を謂い、境は六塵を謂う」(第三文明選書『摩訶止観』(Ⅲ)、近刊、頁未定。大正46、100中16~17)とある。つまり、縁(外的条件)を経歴し境(対象界)に対して五陰・十二入を観察することについて、縁とは六作(行・住・坐・臥・語黙・作作[仕事の意])を意味し、境とは六塵(色・声・香・味・触・法の六境)を意味するとされる。この段は、さらに「歴縁を明かす」と「対境を明かす」の二段に分けられる。
(1)歴縁を明かす
まず、「歴縁を明かす」の段では、六縁のなかの行縁を代表として取りあげ、他の五縁についての説明は省略しているが、臥縁についてのみ少しく言及している。まず、行縁について十乗観法を明らかにしているが、その要点を示す。
十乗観法の第一は、五陰・十二入・十八界が不可思議であることを観察することであるので、まず五陰について説明している。それによれば、足を挙げたり足を下げたりすることに関しては、足は色法であり、色は心によって運ばれ、ここからかしこに到達し、この心が色によることが色陰であるとされる。この行を受けとめることが受陰であり、行について我を誤って考えることが想陰であり、善行・悪行が行陰であり、行のなかの心が識陰であるとされる。行の六塵(六境)が意(六識)に対応すると、十八界・十二入となる。五陰・十八界・十二入は、無明と異ならないが、無明は法性であり、法性は法界であるとされる。一の五陰・十八界・十二入は、一切の五陰・十八界・十二入であり、また一でもあり多でもあることと、一でもなく多でもないこととは、たがいに妨げない。以上を行のなかの不思議の境と名づけるといわれる。
十乗観法の第二の起慈悲心以降については、次の通りである。この不思議の境に到達するとき、慈悲とともに生起して、自己の心の沈鬱を悲しみ痛む。無量劫以来ずっと五陰・十二入に迷い欺かれてきたが、今始めて覚知すると、一切衆生はすべて一乗である。ところが、道理に暗く倒錯した理解をしていることは、とても可哀想であると思う。
第三の巧安止観については、心を禅定と智慧に安んじさせ、禅定によって心を鎮め、智慧によって真理を照らすことを誓うとされる。第四の破法遍については、心が安んじることができる以上、くまなく見思惑、無知惑(塵沙惑)、無明惑を破って、三諦を妨げるものは横に縦にすべて尽きるとされる。第五の識通塞については、巧みに通塞を知って、終にそのなかで薬を取って病とならないことをいう。第六の修道品については、巧みに三十七道品の栄枯の四念処を知って、沙羅双樹の中間で完全な涅槃に入ることをいう。第七の対治助開については、巧みに行のなかの対治の六度(六波羅蜜)を知って、涅槃の門を開くことを助けることをいう。第八の知次位については、深く次位を知り、私のこの行がまだ最高の聖人(仏)に同じでないことを知り、恥ずかしく思って進んで修行して、休むことがないことをいう。第九の能安忍については、行のなかで外に対しては名誉と利益を降(くだ)し、内に対しては煩悩障・業障・報障の三障を制伏して、安らかに忍耐して動揺しないことをいう。第十の無法愛については、法に対する愛著が滞って、頂から堕落するようにさせないことをいう。
行縁についての説明は以上の通りであり、他の住、坐、臥、語、作作についても同様であると示されているが、ただ臥についてのみ、簡潔に説明が付け加えられている。常行三昧・常坐三昧・半行半坐三昧には臥の法はないが、随自意三昧(非行非坐三昧)には臥の法があると指摘し、昔、国王が横臥しているなかで、辟支仏としての覚りを得た例を紹介している。これは『大智度論』巻第十八の「一国王の、園中に出て遊戯するが如し。清朝に林樹の華菓蔚茂(うつも)して、甚だ愛楽(あいぎょう)す可きを見る。王は食し已りて臥す。王の諸の夫人・婇女(さいにょ)は、皆な共に華を取り、林樹を毀折(きしゃく)す。王は覚め已りて、林の毀壊(きえ)せるを見て、而も自ら覚悟す。一切世間は、無常変壊すること、皆な亦た是の如し。是れを思惟し已りて、無漏道の心は生じ、諸の結使を断じ、辟支仏道を得、六神通を具し、即ち飛びて閑静なる林間に到る」(大正25、191上26~中3)に基づく話である。王様が睡眠を取っている間に、林が毀損され、それによって諸行無常の道理を悟って、縁覚の覚りを得たというものである。臥のなかにも観察修行がありえることを知るべきであると示されている。
(2)対境を明かす
この段は、「境に対するを明かす」段である。眼・耳・鼻・舌・身・意の六根と色・声・香・味・触・法の六境の関係に焦点をあわせて十乗観法を説明する段である。とくに眼と色の関係について詳細な説明があるが、ここでは簡潔に要点を示す。
眼が色を見る場合、苦・楽・非苦非楽の三受があり、他の五根が五境を感覚・知覚する場合、十五受があるので、全部で十八受があることになる。『摩訶止観』では、眼が色を見る場合に生じる苦受について詳しく説いて、他については説明をほとんど省略している。
眼・色が相対して一瞬の心が生起する場合、それはとりもなおさず法界であり、一切法を備え、即空・即仮・即中であるとされる。また、即空・即仮・即中を個別に説明している。
さらに、五眼について述べている。因縁の粗雑な色を照らことを肉眼と名づけ、因縁の微細な色を照らすことを天眼と名づけ、因縁の色の空を照らすことを慧眼と名づけ、因縁の色の仮を照らすことを法眼と名づけ、因縁の色の中を照らすことを仏眼と名づけると述べている。
また、五眼と五境(声・香・味・触・法)について論じている。五境はすべて実相に深い次元で合致するといわれ、実相は見ることができず、見ることができないので、これを目の不自由な人にたとえられる。見ることができないけれども、減少することがなく、五眼ははっきりと知って、さまざまな境(五境)は明白であるとされる。これが不思議の境とされる。第二の起慈悲心以降についても簡潔に述べているが、説明を省略する。
結びとして、眼・色の苦受・楽受・不苦不楽受の三受の一つの受がそうである以上、他の二受も同様であり、他の五根と五塵(五境)の十五の感受も同様であるとされ、詳しい説明はされていない。
⑮喩を以て勧修す
この段では、三種の比喩を示して修行を勧めている。
第一の比喩は次の通りである。わずかな勇気を持つ向こう見ずな男が一つの刀、一つの箭(や)を整えて、一人、二人の盗賊を破って、少しばかりの金、銀を受けることを得て、その俸給によって妻子を潤すとしよう。このような人は、詳しく兵法を知る必要はないが、もし国の救いとなる大人物になろうとすれば、文武を修得する必要がある。謀略は本陣で行なわれ、はるか遠い範囲まで折衝し、学ぶものが深ければ、破るものも大である、ということである。これと同様に、禅観を学ぶ者も、もしただ一法だけを知り、あるいは止、あるいは観によって、わずかな悪を破ろうとし、心を静寂にして道を行じ、わずかな禅定を得、わずかな眷属を収め、そのまま満足するのであれば、上の比喩の向こう見ずの男の戦いのようなものである。これと逆に、偉大な禅師となって大きな煩悩を破り、無限の善法をあらわして、無限の衆生の機縁に利益を与えようとすれば、十乗観法を学び、明らかに趣旨に精通しなければならない、というものである。
第二の比喩は次の通りである。田舎の医者に関しては、ただ一術を理解して、はじめて一人を救い、わずかな干し肉【脯】の入った器を獲得する場合には、神農(中国古代の聖王)の本草(植物学)を学ぶ必要がない。大医となろうとすれば、くまなく多くの治療を見て、広くさまざまな病を治療しなければならない、というものである。これと同様に、禅を学ぶ者も、ただ一法だけを専門にして、惑を対治してすぐに取り除く場合、かすかな利益は、最後まですべてを包括する大きな道という意味ではないし、また煩悩を破り無生法忍に入ることはできない、というものである。
第三の比喩は次の通りである。教義を学ぶことに関しては、ただ一問一答して、一時に自己を顕示しようとすれば、広く経論を探究する必要がないが、法主となろうとすれば、異なる部に熟練するべきである、というものである。これと同様に、観行の人も、観行がもし明らかであれば、縁を経歴し境に対して、あらゆる場所で用いることができるが、魔軍を破ること、煩悩の重病を除くこと、法性の深い意義をあらわすことの三つの事柄を論じなければ、細かい事にこだわって苦労するだけで、ただ生死の凡夫にすぎない、というものである。
以上で、十境の第一、陰入界境に対する十乗観法の説明が終わり、次回から、十境の第二、煩悩境以降の説明に入ることになる。
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