芥川賞を読む 第62回 『コンビニ人間』村田紗耶香

文筆家
水上修一

異質なものの滑稽さと、異物排除の恐ろしさ

村田紗耶香(むらた・さやか)著/第155回芥川賞受賞作(2016年上半期)

周囲に擬態するように生きる主人公

 第155回「芥川賞」の受賞後、日本のみならず、世界40カ国語に翻訳された「コンビニ人間」。アメリカの雑誌『The New Yorker』が毎年主催している「THE BEST BOOKS 2018」にも選ばれるなど、世界各国で読まれた話題作だ。

――主人公の「私」は、同じコンビニで10年以上アルバイトとして働き続けている30代の女性。正社員になったことは一度もなく、男性と付き合った経験もない。そんな彼女は、幼少期に世間の〝普通〟と自分が違うことに気づき始めた。例えば、普通の人が悲しいと感じる出来事に対しても無機質な感情しか持てず、言葉の裏にある感情がくみ取れずにちぐはぐなコミュニケーションになる――等々。
 周りとは異質な自分を自覚しながらも、排除されないように、懸命に〝普通〟を演じながら生きてきた。
 そんな「私」が自分の地のままでいられる場がコンビニという職場だった。マニュアル化された手順に沿って仕事をして、マニュアル通りに客に対応すれば、優秀なアルバイターとして同僚からも信頼され、立派な社会人のようにそこに存在することができる。まさにコンビニこそが普通の人として存在できる場所だったのだ。
 その安定した状況を揺るがし始めるのが、同じアルバイトとして入ってきたのが白羽(しらは)だった。白羽は世間を小馬鹿にしながら自らは何もしない人間のクズのような男。主人公が自宅で白羽を〝飼い〟はじめる辺りから「私」が崩れ始めていく――。

 兎にも角にも読み物として、面白い。冒頭にいきなり描かれる「私」のリアリティ溢れる幼少期の体験から、少々ゾッとするような特異性が溢れ出し、物語への引き込み力が抜群なのだ。またその後、自らの特異性を隠しながら周囲に擬態するかのように生活するその演技がいつ周囲にバレてしまうかとハラハラもさせる。加えて、「私」の、〝普通〟を装っているつもりの言動が滑稽で、ついつい笑ってしまうのだ。こうした笑いについて、選考委員も高く評価していた。
 山田詠美はこう評価。

コンビニという小さな箱とその周辺。そんなタイニーワールドを描いただけなのに、この作品には小説のおもしろさのすべてが、ぎゅっと凝縮されて詰まっている。十数年選考委員をやってきたが、候補作を読んで笑ったのは初めて。そして、その笑いは何とも味わい深いアイロニーを含む

 川上弘美の選評。

笑ったのです。はじめての種類の、笑いかたでした。おそろしくて、可笑しくて、可愛くて(選評で『可愛い』という言葉を初めて使いました)、大胆で、緻密。圧倒的でした

世界にあふれる〝普通〟の息苦しさ

 一方、そこに描かれているものは、異物を排除しようとする世間や社会の恐ろしさである。学校を卒業したら正社員として就職してお金を稼ぎ、異性と付き合って結婚し子どもを産む。この一般的な人生こそが最も望ましいスタンダードだと無意識に思い込んでいる世間が、そうではない人たちにとってどれほど苦痛に満ちているのかを、残酷なほどに描き出しているのだ。
 例えば、「私」にとってコンビニは、マニュアル通りにきちんと仕事をすることで異質な自分が社会とうまく折り合える大事な場所なのだが、白羽は、誰でもできるつまらない仕事と言い張る。また、「私」の同級生たちは、結婚もしない、正社員にもなったことのない彼女を奇異な目で見て、興味本位に盛り上がる。
 奥泉光の選評。

人は誰しも自分の言葉を喋り、自らの欲望に従って行動しているように見えて、じつはほかの誰かの言葉や欲望を模倣しているにすぎない――と、このあたりの事情は数多の思索家によって論究されてきたわけだけれど、本作はこの人間世界の実相を、世間の常識から外れた怪物的人物を主人公に据えることで、鮮やかに、分かりやすく、かつ可笑しく描き出した。(中略)傑作と呼んでよいと思います

 小川洋子の選評。

社会的異物である主人公を、人工的に正常化したコンビニの箱の中に立たせた時、外の世界にいる人々の怪しさが生々しく見えてくる

 国外でこの物語が高く評価された背景には、世界中のどこもが〝普通〟によって固められているという息苦しさがあるからかもしれない。

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みずかみ・しゅういち●文筆家。別のペンネームで新聞社系の文学賞を受賞(後に単行本化)。現在、ライターとして、月刊誌などにも記事を執筆中。