文明の行きつく先にある哀惜感
上田岳弘(うえだ・たかひろ)著/第160回芥川賞受賞作(2018年下半期)
収斂していくさまざまな仕掛け
文明を極限まで進化させて行った時、果たして人間は幸福なのか。文明社会の中で生きる私たちの多くが一度は考えたことのあるテーマについて、論文として〝考える〟のではなく、文学という芸術手法によって〝感じさせる〟作品である。
上田岳弘の「ニムロッド」の主な登場人物は、3名。多数のサーバーを運用するデータセンターで働く主人公の「僕」。日々サーバーの不具合をチェックする仕事をこなしていたが、ある時期から空いたサーバーを利用して仮想通貨によって金を稼ぐ仕事を任せられた。そんな「僕」の彼女は、外資系証券会社で働く社員、田久保紀子。前の夫との間にできた子どもを出生前検査の結果を受けて堕胎した過去を持ち、二度と結婚するつもりも子どもを産むつもりもない。そして、主人公の先輩である自称「ニムロッド」は、文学賞の最終選考に3度残った小説家志望の男性。世に出ることを諦めたが、自らのために小説を書き続けている。
物語には、さまざまな仕掛けが出てくる。
例えば、最初から最後まで一貫して扱われている仮想通貨。人類が天に届く塔を建てようとした神話「バベルの塔」。主人公の「僕」の、感情とは無関係に流れてくる涙。遺伝子操作によって不死を得た人間。これらの仕掛けが相乗効果のように、文明を極限まで進化させて行った先にある人間の内面を想像させるのである。そこには不思議な高揚感と同時に、決して幸福とは言えない哀惜感が漂っている。
そして、終盤において、これらの仕掛けがテーマに向かってうねるように収斂されていき、仕掛けの意図が見えてくるのだ。たとえば、仮想通貨は実体のないものの空虚さや心もとなさを、巨大な塔は際限のない人間の貪欲を、感情とは無関係に流れる涙は無意識の哀しみを、死なない人間は終わりのないことの虚しさを。そうしたことをそこはかとなく感じさせるのである。
また、最初から終わりまで出てくる素材として、人類がこれまで手掛けてきた「駄目な飛行機」というものが出てくる。例えば、飛べない飛行機、原子力を動力源とする飛行機、着陸が困難な垂直離着陸戦闘機などだ。これらは、無限の富を持つある種完成された人間にとって、完成からは程遠い欠点だらけの人間の創造物こそが愛しいものだ、ということを表現するメタファーだろう。
多くの選考委員がその高度な技術を高く評価している。宮本輝の選評。
ビットコインやバベルの塔や小説中小説や『駄目な飛行機』といった玩具(中略)が必要不可欠なつながりを持って有機的に作用している。作家としての技術的成長を感じて、私は授賞に賛成した
島田雅彦の選評。
小説家志望の男、ビットコインを『発掘』する男、飛行機開発の夢と挫折のエピソードが、バベルの塔の建設やイカロスの失墜といった神話的元型の現代的変奏となっている
奥泉光の選評。
同じ作家の過去の作品に比して過剰性が抑えられており、少し淋しく思ったものの、旧約聖書神話を根幹に据えつつ、人類の営為の虚しさとそれへの愛惜を、仮想通貨や小説内SF小説などを織り込みつつ描いた一篇に高い完成度があるのを自分は認めた
小説内小説で未来を予感
全体の構成もおもしろい。冒頭から中盤までは現実世界の3人のやり取りがベースになっているのだが、後半はニムロッドが創作した小説世界が柱となっていく。中盤までは、仮想通貨の話を通して、実体や手触りといったものを失くした現実社会をしっかりと描きながら、後半では、小説内小説を通して未来社会を予感させるのである。
文体は、叙情性を排除したようなドライな文体で、それが作品世界をうまく形作っている。
多くの選考委員が推す中、小川洋子は否定的だった。
ページを閉じた時、コンピュータのスイッチが切れたように、手触りも残さないまま〝僕〟は消えてしまった。無から無を生むシステムの中でしか生きられない人間の哀れさを、もっと混沌とした状態で感じ取りたかった
逆説的に言えば、「僕」の存在感の薄さが、この作品のひとつの狙いであったのかもしれない。
「芥川賞を読む」:
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