『摩訶止観』入門

創価大学大学院教授・公益財団法人東洋哲学研究所副所長
菅野博史

第46回 正修止観章⑥

[3]「2. 広く解す」④

(6)「2.6. 互発を明かす」②

 前回は「2.6. 互発を明かす」の段の途中までを解説した。「互発」には九双七隻(くそうしちせき)があり、九双は、次第・不次第、雑・不雑、具・不具、作意・不作意、成・不成、益・不益、久・不久、難・不難、更・不更であり、七隻は三障・四魔を指す。前回は、このなかで最初の「次第・不次第」のなかの「法の不次第」の途中までを解説した。そこでは、十境それぞれがそのまま法界であることを洞察することを明らかにしており、病患がそのまま法界であることまでを紹介した。今回は第四の業相の境から説明する。

①次第・不次第(2)

 業相が法界であることについては、業は行陰(五陰の一つ)であるとして、『法華経』提婆達多品、「深く罪福の相に達し、遍く十方を照らす。微妙浄の法身は、三十二を具足し、八十種好を以て、用て法身を荘厳す」(大正9、35中28~下1)を引用している。湛然(たんねん)の『止観輔行伝弘決』によれば、「罪福」は業であり、この業を深く知るので、業が「法界」であると解釈する。そして、「十方」=十界は法界であることを深く知ることであると解釈する。
 さらに、『輔行』は、『摩訶止観』巻第五上の「業は縁従り生じ、自在ならざるが故に空なりと達すれば、此の業は能く業を破す。若し衆生は応に此の業を以て得度すべくば、諸の業を示現し、此の業を以て業を立つ。業と不業の縛・脱は得ること叵(かた)し。普門示現して、双べて縛・脱を照らす」(第三文明選書『摩訶止観』(Ⅱ)、524~526頁)という文のなかに、空の業(業が条件によって生じて独立自存するものではないこと)、仮の業(業を立てること)、中道の業(束縛と解脱をどちらも照らすこと)を読み取り、業が法界であることを示唆している。
 魔の仕業が法界であることについては、『首楞厳三昧経』巻下、「魔界の如は即ち是れ仏界の如なり。魔界の如と仏界の如とは、二ならず別ならず、我れ等は是の如を離れず」(大正15、639下14~16)を引用している。「如」は、対応梵語はタタター(tathatā)で、真如とも訳される。そのようであることという意味である。魔界の真実のあり方は仏界の真実のあり方と同一であることを指摘したものである。「実際」(真実の究極)のなかには、仏の存在も魔の存在も見ないと述べている。
 仏教の言葉に、生死一如、身心一如などという言葉があるが、これは、Aの如とBの如は、二つの如があるのではなく、一つの如であるということを、簡潔に「AB一如」と表現したものである。
 禅が法界であることについては、心の本性を観察することができることを、上定(上級の禅定)=首楞厳三昧であるとし、執著せず乱れず、王三昧(首楞厳三昧)に入れば、すべての三昧は例外なく王三昧のなかに入ると述べている。
 見(誤った見解)が法界であることについては、『維摩経』巻上、弟子品の「諸見に於いて動ぜずして、三十七品を修行するは、是れ宴坐(えんざ)と為す」(大正14、539下24)と「若し能く八邪を捨てずして八解脱に入らば、邪相を以て正法に入る」(同前、540中6~7)を合わせて作文した文を引用している。諸見(多くの見)について動揺するかどうかについて、動揺することで三十七品を修めること、動揺しないことで修めること、動揺しまた動揺しないことで修めること、動揺もせず動揺しないのでもないことで修めるという四句分別を示している。そのうえで、見は法界に入る門であり、法界の侍者であると述べている。
 慢が法界であることについては、慢は煩悩であり、慢の無慢(慢の空であるあり方)、慢の大慢(慢の仮であるあり方)、非慢非不慢(慢の中道であるあり方)を観察して、秘密蔵を完成し、大涅槃に入る(※1)と述べている。
 二乗が法界であることについては、二乗はただ空を見るだけで不空を見ず、智慧ある者(菩薩)は空と不空を見ると述べ、『法華経』法師品、「若し是の深経を聞き、声聞の法を決了すれば、是れ諸経の王なり。聞き已って諦(あき)らかに思惟すれば、当に知るべし、此の人等は仏の智慧に近づく」(大正9、32上15~17)を引用している。声聞の法をきっぱりと定めて理解すると、諸経の王=『法華経』であることを述べている。『法華経』においては、二乗が菩薩に転換することを指摘したものであろう。
 菩薩が法界であることについては、これまで説明したように、最底最悪の生死や下劣な小乗でさえそのまま法界なのであるから、まして菩薩の法は仏道(仏の覚り)であると述べている。さらに、菩薩の方便の権は権そのままが実であり、またとりもなおさず非権非実でもあって、秘密蔵を完成し、大涅槃に入ると述べている。
 以上、十種の対象界のそれぞれが法界にほかならないことを説明した。

(注釈)
※1 「秘密蔵を完成し、大涅槃に入る」という表現は、『南本涅槃経』巻第二、哀歎品、「我れは今、当に一切衆生、及び我が諸子の四部の衆をして、悉ごとく皆な秘密蔵の中に安住せしむべし。我れも亦復た当に是の中に安住して涅槃に入るべし」(大正12、616中8~10)に基づく。

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かんの・ひろし●1952年、福島県生まれ。東京大学文学部卒業。同大学院博士課程単位取得退学。博士(文学、東京大学)。創価大学大学院教授、公益財団法人東洋哲学研究所副所長。専門は仏教学、中国仏教思想。主な著書に『中国法華思想の研究』(春秋社)、『法華経入門』(岩波書店)、『南北朝・隋代の中国仏教思想研究』(大蔵出版)、『中国仏教の経典解釈と思想研究』(法藏館)など。