沖縄伝統空手のいま 特別番外編④――沖縄の村棒(下)前田棒の歴史 富本祐宏さんに聞く

ジャーナリスト
柳原滋雄

男の義務だった村棒の鍛錬

 村棒の中で最も有名な地域の1つが現在の浦添市に存在する「前田棒」だ。古くは浦添城を守るために農業と武芸を磨いた地域として知られる前田部落(浦添村)が舞台となった。
 前田では棒術をたしなまない者は男として認められず、子どものころから棒を持たされた。15歳から45歳まで棒術の稽古が義務とされ、村祭りともなれば、何日も練習に駆り出され、数回行われる本番(出し物)に備えた。
 そうした村の伝統も、1945年の対米戦争(沖縄戦)で土地や家屋そのものが原形をとどめないほどに破壊され、特に県内最大の激戦地となった前田では、そのすべてが消滅した。戦後、「村棒」の伝統を復活させるまでには多くの苦労があったという。
 1939(昭和14)年生まれで沖縄戦当時は子どもだった前田棒の使い手・富本祐宏(とみもと・ゆうこう、84歳)さんに話を聞いた。

浦添城跡。宜野湾市と西原町を一望できる高台にあるため、沖縄戦において最大の激戦地の一つとなった

――戦争当時はどこにおられたのですか。

富本祐宏氏 ウチらまだ子どもで学童疎開で熊本県にいました。父親は浦添村で学校の先生をしていました。前田棒の使い手でしたが、子どものウチらに継承することなく、沖縄戦で亡くなりました。

――前田はもともと棒の盛んなところですね。

富本氏 古くから武門と農業と一緒にやっていた地域です。米をつくっているところで、昔は米は貨幣と同じくらいの価値がありました。泥棒が多いからそれらを守るために武術が発達しました。前田棒は一説には700年くらいの歴史があるといわれています。

――だれに教わったのですか。

富本氏 戦争でほとんどの使い手が亡くなってしまい、戦後、前田棒を復興させようというときにだれも教えてくれる人はいなかったのです。「ああお父さんはそんなだった」とか、生き残った長老から身ぶり手ぶりで説明を受けて、こうかこうかと復活させていったというのが正直なところです。

――お父様から直接教わることはなかったのですね。

富本氏 なかったです。まだ幼稚園のころですから。上に8つ違いの兄がいて、私は次男でした。
前田では男として生まれたら武芸の鍛錬を行うのは半ば義務みたいなものでした。生活の一部として、男は15歳から祭りに駆り出されます。前田では空手よりも棒が主体でした。ウチも人に勝とうと思って隠れて練習しました。1日8時間稽古するなんてのもザラでした。そんな生活を5年間くらい続けていると、棒も自分の手足のように自由に使えるようになる。棒を見せないというが、前田の教えでした。

――「見せない」とはどういうことですか。

富本氏 前田の名人達人たちは「棒を見せるな」と。ウチの父親が使うと、棒はもう見えないとみんな話しよった。ウチは小さいからこんな長い棒(6尺棒・180センチ)をどうしたら見えなくなるのかと、棒を見せないというのは不可能じゃないかとずっと思っていました。どうやって隠すのかという隠し方をずっと探究しました。いろいろと工夫しているうちに、この回転の方法を見つけたのです。棒を常に回転させていれば棒そのものが見えなくなる。扇風機を回転させると羽根が見えなくなるのと同じ理屈です。常に回転している状態を作り出す。そしたら残っている人たちが「これだ」と認めてくれた。それが今の前田棒につながっています。
(「もう腕は落ちている」といいながらも、実際に実演していただいた)

棒の動きを見せない独特の技法

6代前の先祖から前田に住んできたと語る富本祐宏さん

――6尺棒をヒモのように回して操る〝達人〟がいると聞いていましたが、いま初めて間近に拝見しました。手の中で棒を滑らせるような独特な動きですね。

富本氏 四方八方、自由自在。以前、テレビ局がウチの棒を撮影したことがあったのですが、スローモーションにしてもやはり棒が見えないので「もっとゆっくりやってください」と言われたことがありました。

――棒の練習を始めたのは何歳からですか。

富本氏 小学校4年生でした。高校を出て、浦添村役場に就職しましたが、戦後まもない時期でほとんどやる仕事もなく、辞めて東京に出て働きました。東京や大阪で建設業などの仕事をしたあと、本土復帰(1972年)の直前に沖縄に戻ってきました。その後はずっと沖縄で暮らしています。

――15歳から45歳までということでしたが。

富本氏 これね、45歳というのは本当にすごいです。45歳までは人間の本筋の力の出し場ですね。それ以降は落ちるだけ。ウチも45くらいだったね、棒の音が無くなったさ。それまでのうなるような音が出なくなったんです。繰り返しになりますが、棒も見えるようでは駄目なんです。あのころは本当に見えなかった。見えるようにはやらないというのが鉄則でした。

――前田棒には鍛錬するための型はあるのですか。

富本氏 型は「残心の舞」の繰り返しでした。ただしこれはどうしたら強そうに見えるかという他人に披露するためのものですよ。本当の武道(武術、護身術)にはならんさね。本当の武道の真髄というのは、速さなんですね。鍛錬されたものの速さ。正確さとスピード。最短距離で、どう勝つか。そのための独自の鍛錬法がありました。

――話は戻りますが、お兄さん(長男)はお父様からは教わっていなかったのですか。

富本氏 棒術はふつうは遊びだから、無駄な時間だと思うからね。長男は勉強をするのに一生懸命だったんじゃないかな。学問の世界からすればこんなことはやめて勉強しなさいという話だから。だけど(兄弟のうちの)だれか1人は親の足跡をきちんと残しておかんといかんと思うから、ウチが一生懸命やったわけさ。
 おやじが(前田棒を)やっていたので、どうにかしなきゃいかんという思いで始めたものです。
 名前を出せばだれもが知っているような幼馴染の友人もよく言っていました。「ゆうこう、お前は時代を間違えて生まれたねえ。時代が時代なら、一国一城の主だったのにねー」と笑いよったよ。
(2022年12月11日取材)

WEB第三文明で連載された「沖縄伝統空手のいま~世界に飛翔したカラテの源流」が書籍化!

『沖縄空手への旅──琉球発祥の伝統武術』
柳原滋雄 著
 
 
定価:1,600円(税別)
2020年9月14日発売
 
→Amazonで購入

【連載】沖縄伝統空手のいま~世界に飛翔したカラテの源流:
[第1回] [第2回] [第3回] [第4回] [第5回] [第6回] [第7回] [第8回] [第9回] [第10回] [第11回] [第12回] [第13回] [第14回] [第15回] [第16回] [第15回] [第17回] [第18回] [第19回] [第20回] [第21回] [第22回] [第23回] [第24回] [第25回] [第26回] [第27回] [第28回] [第29回] [第30回] [第31回] [第32回] [第33回] [第34回] [第35回] [第36回] [第37回] [第38回] [第39回] [第40回] [第41回番外編(最終回)] [第42回特別編①] [第43回特別編②] [第44回特別編③] [第45回特別編④] [第46回特別編⑤(特別編・最終回)] 特別番外編① 特別番外編② 特別番外編③ 特別番外編④
[シリーズ一覧]を表示する


やなぎはら・しげお●1965年生まれ、佐賀県出身。早稲田大学卒業後、編集プロダクション勤務、政党機関紙記者などを経て、1997年からフリーのジャーナリスト。東京都在住。