沖縄伝統空手のいま~世界に飛翔したカラテの源流 特別編④ 剛柔流・宮里栄一の弟子たち

ジャーナリスト
柳原滋雄

宮城長順の後を引き継ぐ

順道館の2代目・宮里善博館長(中央右)と儀間哲さん(中央左)

 剛柔流を開いた宮城長順が1953年10月、65歳で急逝したとき、後を継承したのは34歳年下で警察官の宮里栄一(みやざと・えいいち 1922-99)だった。宮里は若い時分から柔道に打ち込み、空手と二足の草鞋をはいていた。
 宮里は柔道の講道館に倣(なら)い、順道館という当時としては立派な平屋建ての道場(その後鉄筋二階建て)をつくり、後進の育成に励んだ。現在、沖縄剛柔流の顔ともいえる東恩納盛男(ひがおんな・もりお 1938-)もこの道場の出身である。
 宮里は順道館を本部道場とし、1969年、沖縄剛柔流空手道協会の組織をつくって初代会長に就任した。
 宮里が残した功績として特筆されるのは、1981年の国体問題のときに、全空連加盟を推進する立場で中心的に尽力したことだろう。長嶺将真(松林流)、宮平勝哉(小林流)を支えて県空連の創設に邁進。その背景には、沖縄で国体を行うのに、「発祥の地」である沖縄から空手に参加しない選択肢はありえないとの宮里なりの思いがあった。
 柔道を通じて国体をとらえていた点で、空手だけを行っていた空手家とは違う立ち位置にあったと思われる。
 宮里の方針を、長男で二代目館長の宮里善博(みやざと・よしひろ 1951-)は、

当時としては間違っていなかった

、同じ宮里の弟子・儀間哲(ぎま・てつ 1954-)も、

先生は沖縄で行う国体を成功させないといけない。でも右倣えはするなとも言われていました

と振り返る。
 沖縄県空手道連盟の創設に深くかかわった宮里は同連盟の初代理事長として、長嶺将真(初代会長)を支えた。さらに第3代会長として同組織を牽引した。以来、県空連の第5代・比知屋義夫、第7代・照屋幸栄と、順道館出身者から3人の会長を輩出してきたのは宮里の功績抜きには考えられない(現在8代目)。

沖縄国体で優勝した愛弟子

沖縄県空手道連盟で7代目会長(3期6年)をつとめた照屋幸栄さん(左)、沖縄剛柔流空手道協会・副会長をつとめる喜久川政成さん(右)

 沖縄空手界を真っ二つに分裂させた1981年の国体問題。沖縄海邦国体は6年後の1987年に予定されたが、成年男子型部門では異変が起きていた。
 1984年にオランダで開かれた世界選手権で初優勝した佐久本嗣男(さくもと・つぐお 1947-)が、1986年のオーストラリア大会でも2連覇を成し遂げていた。佐久本は沖縄の県立高校の教員で、もとは日本体育大学の学生時代、剛柔流の代々木道場で修行し、卒業後、沖縄に戻って高校生に空手を指導していた。その佐久本が生徒の模範になろうと試合に出場、瞬く間に世界の栄冠を手にしていた。
 一方、宮里にも誇るべき愛弟子がいた。警察官として空手修行に打ち込んでいた喜久川政成(きくがわ・まさなり 1946-)。朴訥とした人柄で、稽古の虫。警察官の激務のかたわら、朝5時前には道場に来て1時間半の朝稽古をこなしていた。
 沖縄国体の県代表を選考する県大会・九州大会では喜久川が優勝。世界連覇を果たしていた佐久本とどちらが県代表に選ばれるかが注目された。喜久川自身、世間的なプレッシャーは相当なものだったと振り返る。

 宮里先生から沖縄の空手を国体の場で見せてくれ。道場で稽古しているままの型を演じてくれと頼まれ、「先生がそこまでおっしゃるのなら」と私も決意できたのです。

 一般の道場生なら一週間で音(ね)をあげるという連日の朝稽古に、師匠の宮里も傍らに付き添いアドバイスを行った。フタを開けてみると、沖縄の威信をかけた型部門で喜久川は優勝。喜びというより重圧から解放された安堵感のほうが大きかったと語る。
 よくいわれることだが、喜久川は県大会で6連覇。沖縄では佐久本の優勝を阻み続けた。佐久本本人が認めるとおり、世界よりも沖縄のカベのほうが厚かったという悔しい思いが弟子の育成に向けられ、いまでは空手・古武道の流派のひとつ劉衛流選手の世界的な活躍につながっている。

競技空手の影響

 喜久川が副会長の任につく沖縄剛柔流空手道協会で現在会長をつとめるのは、照屋幸栄(てるや・こうえい 1941-)だ。
 照屋は、

 われわれは競技空手もやるが、道場では今までどおり伝統空手を行っています。

と強調する。剛柔流の型の場合、他のしょうりん系流派と異なり、指定型(試合用の型)と沖縄本来の型との違いがそれほど大きくないと理由を語る。

 全空連の4つの流派(松濤館、糸東流、和道流、剛柔流)のうち、沖縄とつながりがあるのは剛柔流だけです。

 宮里の残した功績の一つを、同協会の高良正剛理事長(たから・せいごう 1953-)はそう説明した。
 ちなみに宮里栄一の逝去後、沖縄剛柔流空手道協会の第2代伊波康進会長の時代に、順道館は競技と距離をおき、県連組織から離れた。現館長の宮里善博は、

 剛柔流の基本的な型である撃砕(げきさい)も学んでいない段階で流派の最高ランクの型スーパーリンペイを先に習う風潮が生まれるなど、最初はよかったが、徐々に宮里栄一のめざした部分と外れ始めた。

と語る。
 競技と伝統――。40年前に沖縄空手界を席巻した問題は、いまもその影響を残している。(文中敬称略)

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やなぎはら・しげお●1965年生まれ、佐賀県出身。早稲田大学卒業後、編集プロダクション勤務、政党機関紙記者などを経て、1997年からフリーのジャーナリスト。東京都在住。