21世紀が求める宗教とは①――宗教は人間のためにある

ライター
松田 明

人間のもっとも基本的な営み

 旧統一教会の抱える問題がクローズアップされ、「宗教」に社会の目が注がれている。
 宗教が人間を手段化していくことの愚かさと恐ろしさ。連日の報道に接しながら、多くの人がそのことに戦慄しているだろう。
 本来、宗教は人間を幸福にしていくためにあるはずだ。旧統一教会問題は、この「宗教の立ち返るべき出発点」をあらためて社会に問い直している。

 私は、宗教とは、人間がその有限性に目覚めたときに活動を開始する、人間にとってもっとも基本的な営みだと理解している。このような大切な営みに対して、日本人が長年にわたって「無宗教」の一言ですましてきたということは、尋常なことではない。(阿満利麿『日本人はなぜ無宗教なのか』ちくま新書)

 とはいえ、単に反社会的行為を繰り返す教団の異常性をバッシングして留飲を下げるだけに終わっては何の意味もない。21世紀という時代に求められる宗教のすがたとはいかなるものか。宗教が社会に果たすべき役割は何か。今こそ認識を深めなければならない。
 日本社会は「宗教」をイベントとしては消費しても、本当の意味で尊重もしなければ、掘り下げて考えようともしてこなかった。
 そこに何が祀られているのか。その対象に祈願すれば、どういう論理で人間が幸福になるというのか。ほとんどの人はそれらに興味や関心を払うこともなく、皆が行っているから自分も初詣や合格祈願に行く。しかも自分は「無宗教」だと考えている。
 そんなふうに宗教に対して思考停止しながら、一方で何らかの信仰を能動的に実践する人間に偏見のまなざしを向けているのでは、笑えない冗談になってしまうだろう。

個々人の創造性を開かせる信仰

 社会学者の開沼博・東京大学大学院准教授は、今年9月、愛知県と大阪府の創価学会の現場に足をはこび、青年世代の会員を取材調査した。信仰歴も入会動機もさまざまな多様な立場の男女青年部員たちの声に耳を傾け、そこでの考察を「『若者と信仰』を巡って」と題して『聖教新聞』に上下回にわたり寄稿している。
 開沼氏が会ったのは、いわゆる信仰二世でありながら創価学会の活動に距離を置いていた時期のある青年や、逆に自分の意思で選択して入会した青年。悩んでいる友人がいれば自然に信仰の話をするという女性部員らだった。

 見た目も人当りも普通の若者たち。時代の空気を最も敏感に察知する彼ら、彼女らが、創価学会の活動に熱心になるのは、なぜか。(『聖教新聞』10月31日)

 これが開沼氏の問題意識だった。青年たちが自覚的に信仰を選び取った時期や経緯はまちまちだが、開沼氏は彼ら彼女らとの対話を通して見えてきたものを、次のように綴っている。

 ただ悩みを解決したいのではなく、自分を高めたい、より良い人生を歩みたいという願いがあった。人生の軸や生きる意味を見つけたい。それに信仰が応えてくれた。「心の弱い人が宗教にはまるんだ」というような通俗的な偏見を超えた信仰の価値が、どこにでもいるように見える若者に伝わったということでしょう。(同)

 学会の人間関係の中には、何を言っても否定されないという安心感、心理的安全性が担保されていることが見えました。それが、学会活動以外も含めた個々人の創造性を開花させ、生きる充実感につながっている。(同)

 創価学会の信仰が、人間と人間の関係性のなかで醸成されていること。しかも閉じた価値観の内部で〝心の安らぎ〟を与えるような次元のものではなく、「個々人の創造性を開花させ、生きる充実感」の創出に連動していることに、開沼氏は注目しているのだ。

「理性をなくしてはいけません」

 ジャーナリストの田原総一朗氏が、創価学会の池田大作名誉会長(当時は会長)に初めて取材をしたのは1973年のことだった。
 この頃の田原氏は、信仰とは理性をかなぐり捨ててひたすら祈ることで成り立つものだと考えていたという。
 田原氏は、尊敬する哲学者の梅原猛氏が釈迦の研究をはじめた際に、「人間っていうのは理性だけでは生きていけない」「心は理性だけじゃない。どうしても宗教が必要になる」と聞かされていた。梅原氏もまた、宗教は理性とは異質な領域だと考えていた。
 それも念頭にあって、田原氏は池田会長に尋ねた。

 「人間は理性だけじゃ生きられないですよね。だから宗教が必要なのでは?」と質問したんです。
 すると〝理性というのは非常に大事にすべきだ。理性に限界があるなんて言ってもらっては困る〟と、思いがけない答えが返ってきた。(『21世紀の創価学会論 識者が見た未来への希望』潮出版社)

 名誉会長は〝人間がものを考える際の基本は理性です。だから理性をなくしてはいけません。理性があり、さらに信仰がある。この二つは何ら矛盾していません〟とも言っていました。
 理性を最大限に働かせていく中に、信仰を位置付けていたことに驚きました。(同)

 この1973年、池田会長はパリ大学ソルボンヌ校を訪問し、自身が創立した創価大学で「スコラ哲学と現代文明」と題する講演をおこなっている。前年にはケンブリッジ大学とオックスフォード大学を公式訪問。また74年にはUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)で講演している。
 20世紀最大の歴史家アーノルド・トインビーと2年越しの対談をおこなったのも、72年から73年にかけてだった。

「ひとりを尊重し大切に励ます」

 田原氏が最初に池田会長と会った70年代初頭、すでに創価学会は750万世帯を超えて日本最大の教団になり、さらに世界各国にも広がっていた。なぜ、反日感情の残る国や、仏教や日蓮と縁のない諸外国で学会が発展しているのか。田原氏は海外の創価学会幹部たちにもインタビューを重ね、こう語っている。

 魅力や入会動機は千差万別でしたけど、共通していたのは、信仰したことで成長できたという自己変革体験、つまり「人間革命」の経験です。それを成し遂げた歓喜が、信仰の手応えとなっているようでした。
 僕が注目しているのは、池田名誉会長の信仰観です。人間の幸福は、あくまで自己の強い生命力によって獲得できるものであり、その生命力を引き出すのが信仰であると考えられていますよね。反対に、困難に打ち勝とうとする闘争心を萎えさせるなら、それは信仰ではないと見ている。海外にあっても、人間の内面を強くする信仰の在り方が鍵となってくるのではないかと感じています。(田原総一朗氏/前掲書)

 そして田原氏は、かつて池田会長が作家の松本清張氏との会談のため京都を訪れた際のあるエピソードに触れた。
 信号待ちをしていた会長の車に、オートバイに乗った2人の少年が手を振った。会長も窓から手を振って応えたが、すぐに青信号に変わり、車とバイクはそれぞれ走り出してしまう。
 会長は、その日のうちに、おそらく学会員であろうこの2人の少年を探し出してもらうと、多忙ななか著書に署名をして贈り、その後も会って激励を重ねた。

 この「一期一会」のエピソードには、一人をどこまでも尊重し、大切に励まし、人間革命や宿命転換の挑戦を支える結びつきがある。それはどんな国や社会にあっても、根源的な価値と言えるでしょう。現に世界では、名誉会長に会ったことがない若い世代の学会員たちが、名誉会長の指針を学び、生きる希望を与え合いながら発展を続けていますよね。(同)

 田原氏は創価学会が国境を越えて発展する原動力に、独善に陥らず理性や普遍的な知を重視し、「ひとりの人間をどこまでも尊重する」池田会長の生き方を見出している。その池田会長の思想と行動が、そのまま時代と国を超えて次世代の若者たちにも継承されていると見ているのだ。
 どの国でも、創価学会の会員たちは「師弟」という関係性を最重要視する。師を自分から切り離して神格化するのではなく、弟子としてその生き方を継承しようとする。それが創価学会における「師弟」だ。
 そして、この創価学会の「師弟」観は、宗教宗派をも超えて共有されている。
 キング牧師の母校、モアハウス大学にあるキング国際チャペルの所長にして牧師のローレンス・E・カーター氏も、自身を「池田会長の弟子」と公言するひとり。
 2018年に米国で出版した『A Baptist Preacher’s Buddhist Teacher』(バプティスト牧師の仏法の師匠)は、氏が会長を師匠と仰ぐ理由を綴った書籍だ。

 私は、半世紀以上前にキング牧師を、三十年前にガンジーを、わが師と定めました。しかし池田会長の偉業を知った時、三番目の世界的な師匠に出会ったと叫びたい気持ちになりました。(邦訳版『牧師が語る仏法の師』第三文明社)

 同書はキリスト教のもっともすぐれた書籍を選出するイルミネーション・アワードの「回想録」部門で2019年の金賞を受賞している。
 参考記事:書評『牧師が語る仏法の師』――宗教間対話の記録(WEB第三文明)
 個々人の創造性を開花させる信仰。ひとりの人を徹して大切にする信仰。理性と普遍的な知を重視する信仰。人としての生き方を継承していく信仰――。そこにあるのは、独善的な価値観で理性を眠らせて信者を無力化させ、収奪の手段としていくような教団の姿とは、およそ対極にある宗教のすがたではないだろうか。

シリーズ「21世紀が求める宗教とは」(全4回):
第1回 宗教は人間のためにある
第2回 中間団体としての信仰共同体
第3回 「教団」に属することの意味
第4回 (近日掲載)

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