21世紀が求める宗教とは②――中間団体としての信仰共同体

ライター
松田 明

震災で発揮された学会の真価

 宗教が社会に何を果たし得るのか。そのことが大きく問われた出来事のひとつが、東日本大震災だった。
 被災地の各地では、神社や寺院が地域住民の一時避難所となって多くの命を守った。創価学会の場合も、気仙沼や大船渡では会館の1階まで津波で浸水するなか、人々は2階に逃れて九死に一生を得た。
 会員であるなしを問わず被災者を受け入れた各会館は、同時に救援活動の拠点となり、発災直後からフル回転している。
 通信手段が途絶え、行政の機能がほとんど失われたなかで、創価学会では即座に自発的な救援活動がはじまっている。被災地域(岩手・宮城・福島・茨城・千葉)の創価学会は、42会館で最大5000人の避難者を受け入れた。全国各都道府県の創価学会も、即座に救援物資やボランティアの派遣に動いている。
 民間の団体で、日常的に数百人あるいは千人単位の人が離合集散する行事の運営に慣れている組織は、数えるほどしかないだろう。創価学会には、創価班、牙城会、白蓮グループなど、諸行事で人々の安全を確保する人材グループに所属する若者やその経験者が、全国のあらゆる場所に延べ何十万人といる。
 加えて、国内に約1200の頑丈な会館を持ち、日刊の機関紙というメディアも持っている。三陸沿岸などの被災地では、全国紙が被災地に届くようになったのはおよそ1週間前後経ってからだった。聖教新聞は2日後には避難所に届いている。
 自衛隊や警察・消防などを除けば、全国に展開し非常時にほぼ自己完結型で機能できる組織は創価学会くらいではないか。この機動力は2016年の熊本地震でも発揮された。
 社会学者で東京都立大学教授の宮台真司氏は、非常時に機能する共同体には、顔と顔をあわせるような「近接性」が求められると指摘したうえで、「そのなかで信仰共同体が重要な役割を果たす可能性は大きい」と語っている。

 震災時において、物資面や精神面で創価学会の避難所は安定して、その役割を果たしていました。やはりこうした共同体を介しての相互扶助がなければ人々は生きてはいけない。地域共同体や職能集団共同体に代わる最後の砦として、信仰共同体のもつ可能性はあるのではないかと思っています。
(中略)
 宗教をひとしなみに恐れ、「カルト」とレッテルを貼って排除することは粗雑な考えです。(『第三文明』2011年11月号

 国連をはじめとする国際機関、NGO、学術機関などは、防災や感染症、環境問題、難民問題に関してFOB(信仰を基盤とした団体)の果たす役割を重視している。
 先日までエジプトで開催されていたCOP27(国連気候変動枠組条約第27回締約国会議)でも、SGI(創価学会インタナショナル)は各国の政府や団体などと共同でさまざまな行事を開催した。

「生きる意味」を提供する宗教

 大正大学は1885年の天台宗大学に淵源をもつ。真言宗や浄土宗が加わって1925年に大正大学となった。
 東日本大震災と原発事故を受けて、大正大学宗教学研究室は福島県の浜通り地域を対象に、コミュニティ再建にさまざまな宗教がどのような役割を果たしたかを調査した。数年かけたフィールド研究の貴重な成果は、『東日本大震災後の宗教とコミュニティ』(ハーベスト社)として2019年に刊行されている。
 同書では創価学会を実地調査した報告(寺田喜朗教授)にも章が割かれ、被災地の学会員たちがどのように励まし合い、池田名誉会長の言葉でいかに奮い立っていったかも丹念にレポートされている。
 なかでも、幹部として会員を励ましながら、じつは避難者としての苦しみを胸の奥に抱えていた婦人が、5年の時間を経て「震災は大成長の場だと心の底から思えた」と思考を転換していく姿が印象的だ。
 寺田教授はこの出来事について、

 こうした言葉に、私は大変感銘を受けました。もはや教団とか新宗教といったものを超えて、「宗教を信じるということがどういう意味を持っているのか」を問いかける事例だと感じました。(『第三文明』2019年9月号)

と率直な心情を述べている。

 創価学会は、限られた規模ながらも緊急時には(避難所として)行政機能を代行し、緊急支援物資を(被曝を恐れて運送会社が敬遠した)避難所に供給し、その後も大量のボランティアを断続的に全国から動員し、復興支援にあたった。そして、全国に離散した原発避難者たちを各地の地方組織につなぎ、居場所を与え、前向きで積極的な言葉(激励)に触れる機会を提供した。(『東日本大震災後の宗教とコミュニティ』)

 筆者は、創価学会の支援活動のもっとも大きな特質は、経済的・物質的な支援以上に、被災者へ積極的に生きる意味を提供し続けている点にあると考えている。(同)

 不条理な現実を受け止め、苦難・困難を試練として捉え返し、「人生に勝利する」ことを鼓舞するコミュニティとして創価学会は機能している。(同)

破壊的カルトの「行為」の特徴

 旧統一教会のような破壊的カルトの被害者救済法案をめぐって、立憲民主党などは取り消し権を行使できる対象に、マインドコントロール下にある人による自発的な寄付なども入れるべきだと要求している。
 しかし、マインドコントロール状態にあるかないかを客観的にどう検証し定義できるのか。この点は専門家からも疑義を呈する声がある。個人の内心の是非を国家権力が評価することにもつながりかねない問題だ。
 マインドコントロール問題の第一人者で『マインド・コントロールとは何か』(紀伊國屋書店)などの著作で知られる西田公昭・立正大学教授も、

マインドコントロール「状態」を診断するのは難しいでしょうね。しかし、マインドコントロール「行為」は規制すべきだと思います。(11月20日のツイート

と指摘している。あくまで、なされた「行為」をもって規制するしかないというのだ。

 行為とは、①社会的に遮断する ②恐怖感や無力感を覚えさせる ③問題を唯一解決できる権威者を置き、依存させる ④リアリティーを持たせる演出を実施する ⑤従前の価値観を放棄させる-の5つで、西田氏はこれらに当てはまるかをチェックすることで、「対象者がマインドコントロール下にあるかを判断できる」と説明する。
 ①は「修行を受けていることは周りには秘密にするように」と孤立化を促し、③は「霊能力者」や「救世主」が登場するのが典型例だという。(『産経新聞』11月10日

 ここで挙げられている①~⑤の「行為」は、まさに破壊的カルトに顕著な特徴だ。
 宮台教授や寺田教授がつぶさに調査見聞してきた創価学会は、この5項目を見ても、およそ正反対であることがよくわかるのではないか。
 学会は、①個人の孤立化・無力化に抗う中間団体として他者や社会とのつながりを強め、②励ましや安心感を与え、③宗教的権威に依存せず自分で自分をエンパワーメントし、④神秘や奇跡に依らず理性を重んじ、⑤よき市民として家族や職場、地域に貢献することを最重視している。

個人で支え合う人間関係

 むしろ創価学会はこの30年間、カルト的思考の宗教的権威からの弾圧を乗り越えてきた経験がある。
 僧侶の権威を振りかざし「法主は御本尊に等しいから絶対服従せよ」「塔婆供養をしなければ故人が成仏できない」「塔婆供養をすれば未来が予知できて悩みが解決する」などとオカルトまがいの脅迫をする日蓮正宗に屈しなかったのだ。
 権威に依存させ、恐怖で服従させるような宗教は不健全だということを、創価学会員は積極的に学習している。
 旧統一教会の問題に便乗して、創価学会も同様の〝問題ある教団〟であるかのように中傷する言説がある。なかには、すでに司法の場で完璧に虚偽が断罪されている27年も前のデマ報道を持ち出している人物もいる。
 実際には、虚偽の主張でデマ報道に加担したこの人物自身が裁判で完膚なきまでに断罪され、判決に従って学会への謝罪文を公開しているのだ。それをまた蒸し返して人々を惑わす悪質さ。
 中傷を繰り返している人物らは、いずれも直近に候補者として選挙を控えている。集票のためになりふり構わず名前を目立たせようという魂胆が透けて見える。
 ともあれ宮台教授が語ったように、宗教とひとくくりにして恐れ「カルト」とレッテルを貼って排除することはあまりに粗雑であり、それこそカルト的な発想だろう。
 血縁や地域の共同体が急速に機能しなくなりつつある時代にあって、自助と公助のあいだで「共助」にコミットできているか否かが重要な問題になってきている。

被災地の避難所でも、個人で支え合う人間関係・つながりを持っている者と持たない者の格差を見せつけられました。たとえば、創価学会の避難所は物も潤沢だし、配給物資も公平に、順当にシェアできるしくみがある。だから取り合いになったり、殺伐とした対立なども起こりえない。(宮台真司氏/「日本はなぜ変われないのか」2011年7月15日

 この点でも、創価学会が日本最大級の中間団体として重要な安全装置の役割を果たしていることを、あらためて認識するべきではないだろうか。

シリーズ「21世紀が求める宗教とは」(全4回):
第1回 宗教は人間のためにある
第2回 中間団体としての信仰共同体
第3回 「教団」に属することの意味
第4回 人類を結び合う信仰

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まつだ・あきら●ライター。都内の編集プロダクションに勤務。2015年から「WEB第三文明」にコラムを不定期に執筆している。著書に『日本の政治、次への課題』(第三文明社)。