長嶺将真物語~沖縄空手の興亡 第8回 那覇市議時代

ジャーナリスト
柳原滋雄

3足の草鞋

 1952年、長嶺が20年にわたる警察人生に区切りをつけたとき、これから空手に専念するとの思いとともに、仕事では実業家の道を考えていたと思われる。
 実際、翌年の元旦号の琉球新報には、沖縄第一倉庫が出した新年号広告に「専務」として長嶺の名が記載されている。当初は空手指導者と実業家の2つの活動で生計を立てるつもりだったと思われるが、人生のハプニングはすでに翌年生まれた。
 警察を辞めて1年後、多くの自治体で定数増に伴う臨時の議会選挙が行われることになったのだ。那覇市も定数を大幅に増やし、増加分の市議会議員を新たに選ぶ選挙が3月に行われ、長嶺も立候補し、当選した。
 さらに翌年の1954年には、臨時ではなく、4年に1回の正式な選挙が行われ、ここでも当選することになった。この年の1月には道場開きが行われ、来賓に当間市長が出席したことはすでに紹介したとおりだ。長嶺は市議会議員としては、当間市長派の有力議員といえた。
 そうした信頼関係があったためと解釈できるが、市議会議員となってわずか1年半で、市議会のナンバー2である「副議長」に就任することになった。
 つまり長嶺にとっては、「実業家」「市議会副議長」「空手指導者」の3足のわらじをはくことになり、多忙な日々を極めることになる。
 2回目の選挙となった1954年には、同じ空手家の比嘉祐直(ひが・ゆうちょく 1910-94)や仲井真元楷(なかいま・げんかい 1908-84)も初参戦し、2人とも当選し、長嶺の同僚議員となった。仲井真元楷は元沖縄県知事・仲井真弘多の父親で、宮城長順に師事する剛柔流の使い手として知られていた。当時の那覇市議会には30人中3人の著名空手家がいたことになる。
 彼らの人生に異変を生じさせた出来事として、56年12月の沖縄人民党の・瀬長亀次郎書記長の那覇市長当選があるが、これは少し先の話。その前に同年5月の「沖縄空手道連盟」結成の話題にふれておかなければならない。

日本橋高島屋で行われた沖縄展の広告( 『読売新聞』 1955年8月20日付)

 1955年8月、本土の東京・日本橋高島屋で「沖縄展」が開催され、長嶺ら松林流の中心者らが上京し、連日、空手演武を行った。船越義珍も会場に顔を見せ、長嶺と旧交を温めた記録が残っている。こうした演武企画から、沖縄空手界の統一した組織の必要性が唱えられるようになった。結局この統一団体の構想は、長嶺の流派から起きたといえる。
 実際、立ち上げのための話し合いは長嶺道場を拠点に行われ、5月19日に教職員会館で正式結成された。初代会長に就任したのは小林流開祖の知花朝信で、長嶺が副会長として支える形をとった。
 話は前後するが、戦後まもないころからの空手界の中心的存在であった剛柔流の宮城長順は1953年10月、心筋梗塞により65歳で急逝していた。そのため、その後の沖縄空手界の中心的存在は、同世代の空手家であった知花朝信に代わった経緯がある。
 ここに戦後の沖縄空手界を横断的に結ぶ最初の空手組織が発足することになった。

瀬長市長との対立

 那覇市政に話を戻す。長嶺将真の那覇市議時代は1953年3月から57年8月までのわずか4年半にすぎない。この間、長嶺は4回の選挙を戦った(最後は落選)。このうち正式な選挙は1回だけで、最初の選挙は定数増のための臨時選挙、3回目は開票不備に伴う「やり直し」選挙、4回目は瀬長市長の不信任案可決に伴う市議会解散による選挙というように、イレギュラーな選挙がつづいた。
 異変は「沖縄空手道連盟」が発足した同じ1956年の10月、琉球政府の比嘉秀平主席が突然、狭心症で急逝したことから始まった。
 比嘉主席はすでに紹介したとおり、長嶺道場の道場開きにもかけつけ、式辞を述べた人物である。当時はまだ公選制の主席ではなく、米軍による任命制の時代だった。当然ながら後任にだれを選ぶかということが問題となった。
 結論として、米軍は那覇市長であった当間重剛に白羽の矢を立てた。必然的に那覇市長ポストは空席となり、新たに市長選挙を行う必要が生じた。保守系候補が2人並立する中、そこに割って入ったのが革新陣営の瀬長亀次郎だった。
 結果として12月25日に行われた市長選挙で、瀬長がハプニング的に当選する。そこから那覇市政は〝停滞〟を余儀なくされることになる。

瀬長亀次郎の那覇市長当選を伝えるアカハタ(1956年12月28日付)

 当時、長嶺将真は那覇市議会副議長の要職にあった。自身は元警察官。共産党は政治的にも〝天敵〟ともいえる存在で、必然的に長嶺は議会において「反瀬長」の急先鋒の立場にたたされた。
 一方、比嘉祐直や仲井真元楷は当初は旗幟鮮明ではなかったものの、最終的に同じ「反瀬長」の側に回った。57年の6月議会で不信任決議案が可決され、解散に伴う市議会選挙が8月に行われることになった。
長嶺はこのときの選挙でわずか8票差で落選の憂き目を見る。仲井真元楷も、この選挙で落選した。
 一方、比嘉祐直はぎりぎりの差ながら、なんとか当選の側にすべりこんだ。
 歴史にイフは禁物だが、このとき長嶺が当選していたら、その後の人生はまた変わったものになっていたにちがいない。落選したことで、政治への未練が断ち切られ(その後二度と立候補することもなかった)、空手と実業の〝2足の草鞋〟に戻ったからだ。だが、その道のりは平坦ではなかった。(連載つづく)

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やなぎはら・しげお●1965年生まれ、佐賀県出身。早稲田大学卒業後、編集プロダクション勤務、政党機関紙記者などを経て、1997年からフリーのジャーナリスト。東京都在住。著書に、 『沖縄空手への旅~琉球発祥の伝統武術』(第三文明社、2020年9月)など。