特集⑪ 「月刊ペン事件」の構図――誰がなぜ仕組んだのか

ライター
青山樹人

「創共協定」への疑心暗鬼

 創価学会をめぐるマス・メディアの動きにも不可解な変化があった。
 1975年をほぼ境に、主として保守系雑誌メディアによる池田会長バッシングがはじまったのである。最初に火をつけたのは『月刊ペン』であった。
 今日から見れば、この時期に端を発する主に保守サイドからの創価学会批判報道には、一つの背景が見える。
 まず750万世帯を超えた創価学会の隆盛と、それに支えられた公明党の躍進である。言論出版問題で徹底的なネガティヴ・キャンペーンを浴びた公明党は、72年12月の衆議院選挙では大きく議席を減らした。だが、74年7月の参議院選挙では再び議席を伸ばしていた。
 言論出版問題を仕掛けた者たちにとっては、さらに徹底的な〝攻撃〟が必要と映っていただろう。
 この74年5月から翌年5月までの1年に、池田会長は米英仏3カ国のほかに中国を3回、ソ連を2回訪問している。それは、やがて来るポスト冷戦まで大きく歴史を展望した民間外交だったが、当時の国内外では会長の意図とスケールを理解する者はあまりに少なかった。
 日中国交正常化を実現した田中角栄首相は、74年10月の『文藝春秋』で金脈問題を暴かれ、12月には退陣に追い込まれていた。
 その74年10月、作家の松本清張の仲介により、宗教と共産主義の共存という文明論的な意義を踏まえて、創価学会と日本共産党の双方の代表が、松本の自宅などで懇談を重ねた。
 そして、イデオロギーの違いを乗り越えて相互の存在を尊重することなど7項目に合意する、いわゆる「創共協定」を結ぶ。
 12月には、松本の勧めに応じて池田会長も共産党の宮本議長(当時)と対談。翌年7月にも両者は対談し、その内容はのちに毎日新聞に「人生対談」として掲載された。
 もとより、巨視的な歴史観に立って中国やソ連と信義の絆を結んできたように、池田会長にはイデオロギー的な偏頗さなど微塵もなかった。どこまでも民衆の幸福という一点を見つめて行動してきたのである。「創共協定」も、こうした度量と歴史眼のうえになされたものだったといってよい。
 残念ながら、当時の公明党首脳らはこうした意義も理解できず、党の頭越しにおこなわれたとして協定に難癖をつけた。
 この「創共協定」は、当事者たちの意向で当初は公にされていなかった。それが75年7月8日の『読売新聞』によってスクープの形で報道される。一部の者たちは色めきたった。
 中選挙区制だった時代である。公明党の支持層と共産党の支持層が激しくぶつかり合ってくれることで、結果的に漁夫の利を得ていた勢力もあった。だが、公明党の支持基盤である学会が共産党と協定を結ぶとなれば、選挙情勢すら大きく変化しかねない。

仕掛けられたデマ報道

 月刊ペン社は、70年安保を控えた1968年に、『月刊ペン』という雑誌だけを刊行するために財界から資本金1億円を調達して設立された奇妙な出版社である。
 社長の原田倉治は〝右翼大物総会屋〟という世上の見立てだけに留まらず「もっと政治的力学の働くフィクサーに近い役割」(『「月刊ペン」事件の内幕』丸山実)として、権力中枢と深い関係にあった人物だ。
 1974年に『月刊ペン』編集長に就任した隈部大蔵は、公明党が衆議院に進出した直後、隅田洋の名義で『日蓮正宗・創価学会・公明党の破滅』を出版した男である。
 元地方紙の論説委員であったが、もう一つの顔は諜報訓練機関である陸軍中野学校の卒業生。ゲリラ戦要員養成を主とする二俣分校の3期生で、煽動・攪乱のスペシャリストだったのである。
 戦後、銀行員時代には行員のストライキを指導し、その後は経済安定本部や、後身である経済企画庁で、いずれも調査畑の任務に就いた。地方紙の論説委員になるのは、そのあとである。隈部は周囲に隠していたが、大乗教団という日蓮宗系新興宗教の幹部でもあった。
 そうした人物を新編集長に迎えた『月刊ペン』が、1976年3月号、4月号で、「四重五重の大罪犯す創価学会」などといったタイトルの特集を組み、大々的な創価学会攻撃を開始した。
 しかも、内容は公明党の女性議員の実名を挙げて会長のスキャンダルを捏造したものだった。
 この悪質きわまる捏造報道に対し、学会は即刻、告訴。5月21日、警視庁は悪質な事案と判断して隈部大蔵を名誉棄損容疑で逮捕、起訴した。
 法廷での審理がはじまると、隈部が書いた記事は、具体的根拠を欠いた怪しげな風聞の羅列にすぎないことが明らかとなっていった。隈部側の証人として出廷した副編集長は、この連続特集を組んだ契機が「創共協定」にあったことを証言した。
 学会と公明党の発展を疎ましく思い、会長がイデオロギーを超えた対話を開始したことに恐れおののいた勢力。こうした者たちが、創価学会にダメージを与えようと仕掛けた、品性の欠片もないデマだったのである。逮捕にあわてた隈部は非を認め、学会に謝罪文まで提出している。

「真実性なし」と司法が断罪

 刑法230条では、「公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず」名誉棄損となると定められている。
 ただし、表現の自由や国民の知る権利との兼ね合いから、「公共性」「公益性」「真実性」の3点がすべて満たされた場合のみ、名誉棄損罪を免責できる。
 一審の東京地裁は『月刊ペン』の当該記事について、記事の真偽以前に私人の私生活に言及した内容のものであり、そもそも「公共の利害」にあたらないとして、被告・隈部大蔵を有罪とした。
 隈部は控訴したが、二審の東京高裁もこれを棄却した。
 初公判から5年経った1981年、隈部の上告に対し最高裁は一審と二審の有罪判決を破棄し、東京地裁に審理のやり直しを命ずる判決を言い渡した。
 最高裁は創価学会ならびに池田会長の社会的影響力を指摘し、学会の指導者について言及した点では、少なくとも「公共の利害」にあたるものだと判断したのである。
 この差し戻し判決は、名誉毀損免責の要件に関する代表的な判例として、以後、法曹界でよく知られることとなる。
 むろん、この最高裁判決は、名誉毀損免責の要件をめぐる解釈について一審と二審の判断に異議を唱えたもので、差し戻しそれ自体が隈部の記事にいささかでも真実性を認めたものではない。
 事実、差し戻し審ではあらためて記事の「真実性」が審理された結果、事実無根のデマ報道と判断された。被告の隈部は有罪判決を受け、当時として最高額の罰金刑を命じられているのである。
 のちに山崎正友は、この〝最高裁が差し戻した〟意味を故意にねじ曲げ、あたかも最高裁が池田会長の潔白さに疑義を呈して差し戻したかのようなデマを垂れ流している。
 司法は、明確に記事を完全な捏造と判断して隈部を断罪し、会長の正義を証明していることをあらためて書き記しておく。
 折から田中角栄の汚職、ロッキード事件などがあり、日本のジャーナリズムは、スキャンダル報道に大きく傾きはじめていた。
 1970年代後半から、週刊誌を中心とした一部メディアが創価学会への悪質な中傷報道を開始した背景には、学会の発展と池田会長の世界への行動に対する保守権力サイドの焦燥、「売れればよい」という安易な姿勢で報道の真実性をないがしろにした出版界のモラルの低下が重なっていたといえる。
 創価学会を叩く記事を書けば、世間が注目し、売れる――。『月刊ペン』に歩調を合わせるかのように、76年あたりから、それまで池田会長が寄稿さえしていた雑誌メディアまでが、論評にも値しないような噂のたぐいの会長批判を開始した。

※この記事は『最新版 世界広布新時代への飛翔』(青山樹人著/鳳書院)をベースに加筆修正したものです。

【創価学会創立90周年特集】 特集① 特集②  特集③ 特集④ 特集⑤ 特集⑥ 特集⑦ 特集⑧ 特集⑨ 特集⑩ 特集⑪

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あおやま・しげと●著書に『宗教はだれのものか』(2002年/鳳書院)、『新装改訂版 宗教はだれのものか』(2006年/鳳書院)、『最新版 宗教はだれのものか 世界広布新時代への飛翔』(2015年/鳳書院)など。WEB第三文明にコラム執筆多数。