沖縄伝統空手のいま~世界に飛翔したカラテの源流
第38回 沖縄固有の武術「ティー」は存在したのか(中)

歴史研究は始まったばかり

 沖縄空手の歴史をきちんと筋道立てて説明している人は、今のところいないと考えています。これが決定版という空手の歴史に関する書籍はいまのところありません

中学校の体育教師として長年勤めた勝連盛豊さん

 うるま市の喫茶店でそう語るのは、2017年に『検証 沖縄武術史 沖縄武技―空手』(沖縄文化社)を発刊した勝連盛豊(かつれん・せいほう 1947-)だ。
 直接の空手経験はないものの、棒術の使い手で、そこから棒術の歴史の研究を始めたのが空手についても調べるようになったきっかけだったという。
 30年に及ぶ研究成果は今年7月、『検証 沖縄の棒踊り』(同)として実を結んだ。その調査の中で実感したのが、空手がオリンピックの正式種目に採用される時代になったにもかかわらず、空手に関する正確な歴史がいまだにまとめられていないとの危機感だったという。
 勝連は、空手の歴史について考察した先達として船越義珍の存在に注目したが、その船越の書き残したものを後で検証してみると、相互の史料で矛盾が生じたりしており、空手の歴史書としては参考にならないとの印象を持ったという。そうした話は別の研究者からも耳にした。
 上記『沖縄武技』の帯に書かれているキャッチコピーは、「空手の発祥の謎に迫る」「沖縄にもともと『手』(ティ)武術はあったのか?」というものだ。直接本人に確認すると、

 私はもともと実際には琉球古来の武術「手」はなかったと思っています。沖縄空手は中国の拳法を沖縄人の体格に合わせて作り変えた(創作した)武術と考えています

と語った。

2017年に発刊された『検証 沖縄武術史 沖縄武技――空手』

 前回の冒頭で、アカデミズムの世界でも「空手の発祥」である沖縄空手の歴史についての研究が始まっていると紹介した。一定のまとまりをもつ最初の学術的な成果として注目されるのが、2017年に琉球大・沖縄大非常勤講師の嘉手苅徹(かでかる・とおる 1956-)がまとめた論文『沖縄空手の創造と展開――呼称の変遷を手がかりとして』だ。嘉手苅は比知屋義夫(ひちや・よしお 1930-2017)を師にもつ剛柔流空手の使い手でもある。

ティーを裏づける史料は存在しない

 その嘉手苅は月刊『武道』の連載(2017年5月号)で次のように書いている。

 空手道の歴史を明らかにする近世の文献史料は極めて少ない。それらは、空手道史が記されるようになる近代以降、数少ない史料から推測された内容や口承によって唱えられた内容が検証されないまま引用され、それが正史として受け継がれていく風潮を生み出していったように見られる

 同氏は前出の論文の中で、沖縄空手に関する学術的研究に関し、3点の問題点を挙げている。

(1)沖縄空手の起源として「手(ティー)」の言説が検証されずに引用されていること
(2)琉球の徒手武芸が「手(ティー)」と中国拳法の融合によって発達したとすること
(3)沖縄空手の「唐手」「首里手」「那覇手」「泊手」などの呼称が検証されずに引用されること

 ティーについて言及したとされるのは、1913年の船越義珍の文章が初出とされる。それがいつの間にか一人歩きし、今では沖縄の過去の武術をすべてティーと表記し、実際にあったかのような風潮さえまかりとおっている。だがそれらを学問的に考えた場合、正確な根拠があってのことではないという指摘だ。
 冒頭の勝連盛豊は自身の調査のため、沖縄県立図書館で明治時代の新聞を一枚一枚めくる気の遠くなるような作業を重ねたと語る。その上で、

 明治時代の新聞(県紙)に手(ティー)という記述はありません。ほとんどが『拳法』と記述されています

と説明した。
 確かに「手」という文字そのものは1762年の『大島筆記』にも登場する。ただそれが、沖縄固有の徒手武術を〝総称〟する意味で使われているかどうかは別問題と研究者の間では考えられているようだ。
 なぜなら「手」は、日本語においても、琉球語においても、多くの意味合いを含んだ言葉にほかならない。結論として、船越義珍が『琉球新報』に発表した文章「以前」に、沖縄固有の徒手武術を前提として、手またはティーと総称する事実を示す文献史料は、いまもって存在しないと言えそうだ。
 ただはっきり言えることもある。中国大陸から古流の型が伝わる以前に、琉球に何らかの固有の武術があったと考えられることだ。以下に詳述するが、そのこと自体は確かと見られる。ただしその武術の内容がどのようなものだったか、はっきりとはわからない。

一定しない「源流」の呼称

 現在残るわずかな史料をもとに、過去に「空手」がどのように呼ばれていたかを研究したのが、先の嘉手苅論文である。それによると、「空手」の祖型を総称する統一的な名称は、今のところ見つかっていない。それは統一された名称が存在しなかったのか、あるいは史料の欠落などによって確定できないのか、それもまだ結論できない状態だ。
 上記論文によると、沖縄人が最初に固有の武術を指して呼んだとされる「からむとう」がある。出典は1778年に書かれた『阿嘉直識遺言書』で、士族の心得として、ほかに「示現流」「やわら」とともに「からむとう」が紹介されている。
 これについては、「唐無刀」の字を当てる嘉手苅説、さらに同様の説をとる新垣清説(『沖縄空手道の歴史』)と、「唐舞闘」の字をあてる勝連説がある。この場合、「舞闘(ムートウ)」は、沖縄の子どもたちが野原などで遊ぶレスリングの意味という。
 加えて、上記『阿嘉直識遺言書』と同時代の1762年の『大島筆記』には、「組合術」の記載がある。
 くだって1801年の『薩遊紀行』では「手ツクミ」、1855年の『南島雑話』では、「ツクネス」「トックロウ」の記載がある。
 いずれも他の史料には出てこない呼び方であり、いわば各史料の中に、さまざまな呼び名が〝点在〟する状況だ。そのため執筆者の嘉手苅自身、

 この時期に琉球の徒手武芸には一般化された呼称はなかったのではないかという疑問も生じさせる

と記載している。
 空手の源流が初めて共通する呼び名で登場するのは1850年ごろ、「唐手」(トゥーディー)という呼称が初めて複数の文献にクロスする形で登場してからだ。
 その後日清戦争をへて反中国感情が高まると、同じ文字を用いながらも、読み方を「からて」と変更した可能性がある。
 実際、船越義珍が本土で1922年に初の空手書籍を出版した際のタイトルは、『琉球拳法 唐手』だった。敵性語という理由から、最終的に「唐」の代わりに「空」を当てるようになった経緯がある。
 船越が最初に首都圏の大学に普及した慶応大学でも、当初は「唐手研究会」だったが、いつしか「空手研究会」に変更された。さらに沖縄においても、1936(昭和11)年、『琉球新報』座談会において当時の著名空手家たちが話し合い、正式に名称を「空手」に変更することを決議している。
 これらの経緯を見る限り、過去の琉球武術を「ティー」と称する確定的な証明を見つけることはできない。これが現段階での、学問的な到達地点である。(文中敬称略)

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