書評『創学研究Ⅲ』――世界平和の実現と人類救済の思想

ライター
本房 歩

多角的な視点からの「世界宗教論」

 このほど創学研究所(松岡幹夫所長)から『創学研究Ⅲ――世界宗教論』(第三文明社)が刊行された。
 既刊の「Ⅰ」は「信仰学とは何か」。「Ⅱ」は「日蓮大聖人論」。それに対して今回の刊は、同研究所の創立5周年を記念したシンポジウム(2024年)の成果をまとめるかたちで「世界宗教論」となっている。

 ここでは目次に沿って内容を概括したい。
 第1章は、創価学会の牧口常三郎初代会長と戸田城聖第2代会長の世界宗教観について考察したもの。歴史学や宗教学では「世界宗教」という言葉の淵源は、ローカルな宗教に対するキリスト教を意味するものであった。
 その後、1920年代から30年代に、民族宗教の対義語として用いられるようになり、キリスト教のほかに。仏教、イスラム教、場合によってはユダヤ教、儒教、ヒンドゥー教なども含意するようになった。
「世界宗教」には普遍的宗教と覇権的宗教の両義性がある。創価学会の場合、牧口会長が提唱した「人道的競争」、戸田会長が提唱した「地球民族主義」の理念から、覇権主義やイデオロギー対立を排することが可能だと論じている点が興味深い。

 第2章は、池田大作第3代会長における「世界宗教」観について。
 池田会長は「世界宗教」の条件として、①普遍的な教義、②人類への貢献、③対話の精神、④現代的課題への取り組み、⑤人間変革の力、を挙げている。
 こうした池田会長の世界宗教観は、従来の「世界宗教」の概念を大きく拡張し、宗教間対話と協調、現代社会への積極的関与、文化的多様性の尊重、平和と人類の幸福の追求を核心とするものになっている。
 こうした特質を、池田会長によるイスラムやユダヤ教との対話を例に論じている。しかも、池田会長は創価大学など教育機関の設立、国際的な対話運動、人間革命を通じた社会変革など、具体的な実践を通してこれら概念を具現化してきた。

 第3章は、池田会長によるアメリカでの日蓮仏法の受容について、アメリカ在住の客員研究員によって綴られている。
 なぜ、池田会長は世界広布の第一歩をアメリカにしるしたのか。まず、会長が青年時代からエマソン、ソロー、ホイットマンなどに親しんできた経緯を踏まえ、アメリカの開拓精神、実用主義(プラグマティズム)、民主主義の理念が日蓮仏法を受容する風土としてふさわしいと会長が考えたであろうことを論じている。
 さらに、世界の縮図ともいえる多民族の国土に日蓮仏法を流布することが、そのまま世界広宣流布のモデルとなること。エマソンらによる19世紀前半のアメリカ・ルネサンスの時代に、早くも法華経が同国で翻訳されていた〝有縁の地〟であることなどが紹介されている。

 第4章は、池田会長による日蓮仏法の世界宗教化について。会長は日本で生まれた創価学会を、いかにして世界宗教たらしめたか。会長の思想を示す代表的著作の1つである『法華経の智慧』を手掛かりに、「人間主義の宗教論」「伝統教義の普遍化」の2つの観点から掘り下げていく。
 また、日興門流の中興の祖とされる日寛上人の思想を再検証している。日寛上人が弘安期の日蓮大聖人の御本尊すべてを「本門の本尊」と定めたうえで、あくまで〝教団の取り決め〟として大石寺所蔵の「弘安二年の御本尊」を究極の本尊としたしたこと。そして、身延に対する大石寺の正当性を主張する際に、「蓮祖の御心」は「謗法の処」には住まないというロジックを立て、「弘安二年の御本尊」の存在を正当性の根拠に挙げていないこと、に言及している。
 このことは、2015年に創価学会が会則の教義条項を改正し、大石寺所蔵の「弘安二年の御本尊」を創価学会教学部が「会則の教義条項改正に関する解説」において、

 大聖人は、悪世末法の一切衆生の救済のために、宇宙と生命に内在する根本の法を南無妙法蓮華経であると明かされ、それを三大秘法として具体的に顕わされた。それが、本門の本尊・本門の題目・本門の戒壇である。

 今回、三大秘法についての解釈を、次のように明らかにした。すなわち、末法の衆生のために日蓮大聖人御自身が御図顕された十界の文字曼荼羅と、それを書写した本尊は、ずべて根本の法である南無妙法蓮華経を具現されたものであり、等しく「本門の本尊」である。また、「本門の本尊」に唱える南無妙法蓮華経が「本門の題目」であり、その唱える場がそのまま「本門の戒壇」となる。これは、末法の一切衆生の救済という日蓮大聖人の仏法の本義に基づいた解釈である。
 したがって、「本門の本尊」としては、「弘安2年(1279年)の御本尊」も含まれるが、それのみが「本門の本尊」だとするものではない。まして、「弘安2年の御本尊」に繋がらなければ、他の本尊は一切力用を発揮しないなどとする宗門の独善的な本尊観は、大聖人の仏法に違背するものであることは明白である。(2015年1月29日、30日の聖教新聞に掲載)

「日寛上人書写の御本尊」を受持しながら、「弘安2年の御本尊」を受持しないかといえば、「日寛上人書写の御本尊」も「弘安2年の御本尊」も等しく「本門の本尊」であるが、「弘安2年の御本尊」は、大謗法と化した他教団の大石寺にあるから、受持の対象としないということである。(同)

との見解を示したことが、日蓮正宗の中興の祖とされる日寛上人の思想と整合するものであることをあらためて浮き彫りにした点で興味深い。

 第5章は、シンポジウムにおける佐藤優氏の特別講演の再録。佐藤氏はまず、池田会長が2023年1月に発表したウクライナ危機と核問題に関する緊急提言に言及し、事態の推移が会長が訴えた「停戦」の方向に進みつつあることを述べる。
 さらに、核戦争を阻止するために行動した宗教人として、チェコのプロテスタント神学者・ヨゼフ・ルクル・フロマートカ(1889-1969)と、戸田城聖第2代会長(1900-1958)を挙げ、両者に通底するものを明らかにしていく。

 第6章は、シンポジウムでの研究発表に対する、羽矢辰夫氏(仏教学者・創価大学名誉教授)と青木康晋氏(ジャーナリスト・元朝日新聞出版社長)のコメントと、登壇者と参加者のあいだで交わされた質疑応答を載せている。

 第7章は、田中智学らによる日蓮主義が隆盛していた時代にあって、なぜ牧口会長が「日蓮宗」ではなく「日蓮正宗」に入信したのであろうかという問いについての考察である。
 なによりも「生活法」を重視していた牧口会長は、法華経を観念的に扱う日蓮宗ではなく、日蓮の実践を〝本仏〟と見る日蓮正宗に共感したのではないかというのが、ここでの一つの仮説である。
 さらに、同時期に同じ三谷素啓の紹介で入信した藤本秀之助が、やがて弾正会という団体を作って牧口会長と同じく軍部の弾圧によって獄死したことに触れる。藤本が天皇など「上からの広宣流布」をめざしたが発展しなかったのに対し、戸田会長の創価学会は苦悩する民衆のただなかで75万世帯の教団を築き上げた。
 一方で、牧口会長は「折伏の実践を欠き、魔も競わない日蓮正宗の信者は、法華経の信者ではあっても行者ではない」として、大聖人直結の広宣流布の実践を欠いた日蓮正宗に厳しい目を向けていた。
 牧口会長を淵源とする創価学会は、日蓮大聖人の実践を師弟不二で受け継ぐ和合僧団であり、幾百千万の人々を幸福に導いてきた「創価学会仏」なのである。

 第8章は、「創価信仰学」とは何かについての講義録。第9章は、外部識者による寄稿で、教育心理学者の関田一彦・創価大学教授が、自身の研究分野である協同教育について、創価学会の十界論の観点から論じている。

 創学研究所の『創学研究』「Ⅰ」と「Ⅱ」については、過去に書評を記した。創学研究所は創価学会の信仰について研究するが、創価学会に属する機関でも、その外郭団体でもない、私的な組織体である。
 それゆえに、創価学会員の立場で創価学会の信仰に基づきながらも、独自の視点で大胆な試論を提起し議論を活性化しうるユニークさを持ち合わせている。
 折しも池田大作第3代会長の三回忌に重なる時期の出版となった。創価学会が世界宗教として発展していくためには、その教義や信仰のあり方についても、この先もまた幾度もアップデートが要請されてくるに違いない。
 そのような議論に関心を持つ読者諸氏にとって、思索の水先案内になるかもしれない一書であろう。

書評『創学研究』:
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書評『創学研究Ⅱ――日蓮大聖人論』――創価学会の日蓮本仏論を考える
書評『創学研究Ⅲ――世界宗教論』――世界平和の実現と人類救済の思想

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