投稿者「web-daisanbunmei」のアーカイブ

長嶺将真物語~沖縄空手の興亡 第9回 実業家としての挫折

ジャーナリスト
柳原滋雄

2度の経営失敗

 1957年8月、長嶺将真はわずか8票差で瀬長亀次郎市長の信任を問う市議会選挙で敗れた。従来は長嶺票に数えられていた「ソシン」とだけ記載した票が10票ほどあって最後まで判定に悩んだというが、運悪くこのときの選挙には同じ名前の候補者がいたことでこの10票すべてが取り消しとなった。そんなハプニングで落選しながらも、それでも長嶺は意気消沈して動きを止めたわけでもなかった。
 実際、翌月下旬には、沖縄タイムス紙に沖縄空手道連盟の知花朝信会長と長嶺(副会長)の空手に関する対談記事が上下2回で掲載されている。
 さらに10月には長崎市で行われた琉球物産展示会で長嶺が空手演武団の団長を務めるなど、空手に取り組む意気込みは衰えていなかった。 続きを読む

書評『創価学会の思想的研究〈上〉』――「創価信仰学」への第一歩

ライター
本房 歩

創価学会の内在的理論

 著者の松岡幹夫氏は創価学会員として生まれ育ち、僧籍をもったうえで、池田大作氏を師として創価学会の信仰をする学術研究者である。長年にわたって創価学会に関する思想的研究と言論活動を精力的におこなってきた。
 それは従来の宗教学的あるいは仏教学的な方法論とは異なる。信仰の当事者として創価学会の内在的論理(創価学会の信仰を支える世界観や哲学)を読み解き、学問的に説明しようとするものだ。 続きを読む

長嶺将真物語~沖縄空手の興亡 第8回 那覇市議時代

ジャーナリスト
柳原滋雄

3足の草鞋

 1952年、長嶺が20年にわたる警察人生に区切りをつけたとき、これから空手に専念するとの思いとともに、仕事では実業家の道を考えていたと思われる。
 実際、翌年の元旦号の琉球新報には、沖縄第一倉庫が出した新年号広告に「専務」として長嶺の名が記載されている。当初は空手指導者と実業家の2つの活動で生計を立てるつもりだったと思われるが、人生のハプニングはすでに翌年生まれた。
 警察を辞めて1年後、多くの自治体で定数増に伴う臨時の議会選挙が行われることになったのだ。那覇市も定数を大幅に増やし、増加分の市議会議員を新たに選ぶ選挙が3月に行われ、長嶺も立候補し、当選した。 続きを読む

特集⑪ 「月刊ペン事件」の構図――誰がなぜ仕組んだのか

ライター
青山樹人

 この記事は『新版 宗教はだれのものか 三代会長が開いた世界宗教への道』(青山樹人著/鳳書院)の発売にともない「非公開」となりました。
 新たに「三代会長が開いた世界宗教への道(全5回)」が「公開」となります。

「三代会長が開いた世界宗教への道」(全5回):
 第1回 日蓮仏法の精神を受け継ぐ(4月26日公開)
 第2回 嵐のなかで世界への対話を開始(5月2日公開)
 第3回 第1次宗門事件の謀略(5月5日公開)
 第4回 法主が主導した第2次宗門事件(5月7日公開)
 第5回 世界宗教へと飛翔する創価学会(5月9日公開)

WEB第三文明の連載が書籍化!
『新版 宗教はだれのものか 三代会長が開いた世界宗教への道』
青山樹人

価格 1,320円/鳳書院/2022年5月2日発売
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長嶺将真物語~沖縄空手の興亡 第7回 戦後の再出発

ジャーナリスト
柳原滋雄

最後の署内柔道大会

 焼け野原となった那覇に戻ってきてからの長嶺の仕事は、みなと村の管理だった。当時、那覇港から陸揚げされる物資の荷揚げ作業を国場組が一手に仕切っており、警察内部で長嶺に担当させようという声が出たという。殺しや盗みといった犯罪を扱う純粋な刑事警察より、経済警察のほうが長嶺の得意分野だった。
 みなと村を統括する警備派出所の責任者として仕事をした。敗戦国民である日本人の力は弱く、警察官であることがわかると身の危険があったため、警察官は制服を着用しないで勤務する時代だったという。
 このころ焼け野原となっていた那覇市で米軍による規格住宅づくりが推進された。長嶺家にも割り当てが回ってきた。住所は「牧志町2丁目」で、この住宅を少し改造して仮道場となし、そこで初めて「松林流」の看板を掲げた。長嶺の流派の始まりである。時に1947年7月のことだった。 続きを読む