小学生のころ、門のある大きな家が並ぶ住宅街を歩いていると、ピアノの音が聴こえてくることがあった。僕は、それを弾いている人を想像した。たぶん少女で、髪は長く、白いブラウスを着て、赤いスカートを身につけている。そして、なぜか、白いハイソックスを履いている。
傍らには、美しい母親がいて、少女がピアノの練習を終わると、おやつを運んで来る。それは、どうしても、苺ショートと紅茶でなければならない。僕は、そんな生活とは無縁の、貧しい長屋暮らしだったので、よけいに妄想をたくましくした。
あるとき、酒場へ出勤するため、化粧をしていた母に、ピアノを習わせてほしいと頼んだことがある。彼女はふんと鼻で笑って、貧乏人の子供がピアノ習うてどうするんや、と手を休めずに言った。 続きを読む
