連載エッセー「本の楽園」 第82回 僕はグレン・グールドになりたかった

作家
村上政彦

 小学生のころ、門のある大きな家が並ぶ住宅街を歩いていると、ピアノの音が聴こえてくることがあった。僕は、それを弾いている人を想像した。たぶん少女で、髪は長く、白いブラウスを着て、赤いスカートを身につけている。そして、なぜか、白いハイソックスを履いている。
 傍らには、美しい母親がいて、少女がピアノの練習を終わると、おやつを運んで来る。それは、どうしても、苺ショートと紅茶でなければならない。僕は、そんな生活とは無縁の、貧しい長屋暮らしだったので、よけいに妄想をたくましくした。
 あるとき、酒場へ出勤するため、化粧をしていた母に、ピアノを習わせてほしいと頼んだことがある。彼女はふんと鼻で笑って、貧乏人の子供がピアノ習うてどうするんや、と手を休めずに言った。
 母は何気なく言ったのかも知れない。夫を亡くして、女手ひとつで2人の子供を育てている彼女にしてみれば、いまの暮らしが精一杯で、ピアノを習わせる余裕などなかったのだろう。
 でも、僕は傷ついた。それから僕にとって、ピアノは特別な何かになった。
 中学生になったとき、懸命に働いてきた母は家を買った。僕の部屋もあった。そこにはオーディオセットもあり、僕は小遣いで月に1枚はレコードを買って、好きな音楽を聴いた。当時はロックが全盛の時代で、僕のコレクションにはピンクフロイドやCCRやスリードッグナイトやELPが入った。
 心に響いたのは、生活感のある詩に、シンプルな曲をつけた、いわゆるフォークソングと呼ばれるジャンルで、僕もギターを買って好きな作り手たちの歌をうたった。
 まだ小説と出会うまでには間があって、僕はずっと歌をうたって生きていくのだと思った。ウディー・ガスリーやボブ・ディランのように、ギターひとつを抱えて、世界を放浪する生き方に憧れた。
 そんなある日、親しい友人の家へ遊びに行ったとき、これ、聴いたことある? と彼はカセットデッキのスイッチを入れた。それはピアノ曲で、とてもデリケートに始まり、美しく、甘く、続いた。バッハの『ゴルトベルク変奏曲』だった。
 僕は、夢見心地で聴き入った。そんな種類の音楽を聴くのは初めてだった。友人はカセットテープのケースを見せて、グレン・グールドや、と言った。そうか、と僕は言った。そのうち猛烈に悔しさが込み上げてきた。
 僕は、こんなピアノが弾きたかった、ほんとうは、こんな音楽がやりたかったのだ、と思った。ウディー・ガスリーやボブ・ディランは、いつの間にか消えていた。ギターはピアノの代わりに過ぎなかった。
 友人は、グールドについての伝説を教えてくれた――カナダ生まれ。1955年に『ゴルトベルク変奏曲』で本格的にデビューする。飛行機嫌い。自分で自動車を運転することを好んだ。暑い日でも、手袋をし、コートを着て、マフラーを巻いていた。
 1964年、32歳で公開での演奏会から引退し、スタジオでの録音に力を注ぎ、次々にすばらしいアルバムを発表する。グールドは、こう考えていた。

「演奏会の役割はすでに電子メディアに引き継がれた(あるいはじきにそうなる)し、抜群の分析的な透明感、即時性、触知できるほどの響きの近接感、そして広範なレパートリーは、録音メディアでこそかなう」

 彼は公開での演奏会こそ引退したものの、精力的に活動した。ラジオ番組を制作し、自分も多くのテレビやラジオにも出演。映画音楽もつくる。鋭い音楽批評も書く。
 ピアノを弾く際は、愛用の木製の椅子の脚の長さを念入りに調整し、ほとんど床に坐っているような格好で、興が乗ってくると、ときに歌い出す――指揮者のジョージ・セルは「あいつは変人だが天才だよ」と評した。
『グレン・グールドは語る』の著者ジョナサン・スコットは、ファンレターを書くほどの彼のファンだった。そして、1974年の3日間、6時間に及ぶ電話インタビューを行い、『ローリング・ストーン』誌に掲載した。
 ここにはグールドの生の声がある。語られた内容は、ほぼ音楽に関する専門的なものだが、グールドは率直に、自分の仕事振りについて応えている。ライブで観客を沸かせるのとは反対の、数学的と言っていいほど計算された音楽の作り方がここにある。
 晩年のグールドは、あるビルの、秘密の録音スタジオにこもっていたそうだ。天才にまつわる逸話は、最後まで興味が尽きない。
 告白しよう。僕は、天才になりたかったのだ。

参考文献:
『グレン・グールドは語る』(グレン・グールド/ジョナサン・スコット/宮澤淳一訳/ちくま学芸文庫)


むらかみ・まさひこ●作家。業界紙記者、学習塾経営などを経て、1987年、「純愛」で福武書店(現ベネッセ)主催・海燕新人文学賞を受賞し、作家生活に入る。日本文芸家協会会員。日本ペンクラブ会員。「ドライヴしない?」で1990年下半期、「ナイスボール」で1991年上半期、「青空」で同年下半期、「量子のベルカント」で1992年上半期、「分界線」で1993年上半期と、5回芥川賞候補となる。他の作品に、『台湾聖母』(コールサック社)、『トキオ・ウイルス』(ハルキ文庫)、『「君が代少年」を探して――台湾人と日本語教育』(平凡社新書)、『ハンスの林檎』(潮出版社)、コミック脚本『笑顔の挑戦』『愛が聴こえる』(第三文明社)など。