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芥川賞を読む 第12回 『タイムスリップ・コンビナート』笙野頼子

文筆家
水上修一

幻想的な設定と文章で抽象的な世界を描く

笙野頼子(しょうの・よりこ)著/第111回芥川賞受賞作(1994年上半期)

難解と称される作品群

 1956年生まれの笙野頼子は、立命館大学在学中から小説を書き始め、大学卒業後も就職せずに他大学受験を口実に予備校に通いながら小説を書き続けた。1981年に『極楽』で群像新人文学賞を受賞し小説家デビューしたものの、その後、約10年間は評価されることはなかった。実家からの仕送りを頼りにひきこもりのような生活をしながら書き続け、1991年に「なにもしてない」で野間文芸新人賞を、1994年に「二百回忌」で三島由紀夫賞をそれぞれ受賞。そして、同じく1994年に「タイムスリップ・コンビナート」で第111回芥川賞を受賞した。
 野間文芸新人賞、三島由紀夫賞、芥川賞という純文学の新人賞を獲得したことで新人賞三冠王と呼ばれた彼女は、その後も執筆の熱の衰えることはなかった。「純文学論争」を巻き起こすなど、「戦う作家」として今も書き続けている。
「難解」とも評される彼女の作品には熱烈なファンが多い。何が難解と受け止められるかというと、幻想的で奇抜な設定と、自由奔放な文体だ。「タイムスリップ・コンビナート」もまさにそう。 続きを読む

芥川賞を読む 第11回 『石の来歴』奥泉光

文筆家
水上修一

講談的な文体で謎めいた世界を描く

奥泉光著/第110回芥川賞受賞作(1993年下半期)

力量ある文体で読者を引き込む

 第110回芥川賞を受賞したのは、当時37歳だった奥泉光。後に芥川賞選考委員となり、現在もその任を担う。以前から注目されており、すでに何度か最終候補に残っていたから満を持しての受賞と言えるだろう。
「石の来歴」は、162枚の作品。奥泉の作品は、ミステリー的な要素をもち、夢か現か分からない謎の部分に読者を引き込む手法が得意だが、受賞作もまさにそうした作品だ。 続きを読む

芥川賞を読む 第10回 『寂寥郊野』𠮷目木晴彦

文筆家
水上修一

認知症や国際結婚など、大きな問題を描いた名作

𠮷目木(よしめき)晴彦著/第109回芥川賞受賞作(1993年上半期)

芥川賞らしからぬ大きな物語

 第109回芥川賞を受賞したのは、𠮷目木晴彦の「寂寥郊野」(せきりょうこうや)だった。当時36歳。『群像』(1993年1月号)に掲載された180枚の作品だ。
 賛否両論、意見が分かれることも多い芥川賞選考会だが、選評を読んでみるとほぼ満場一致での授賞決定だったようだ。𠮷目木はすでに別作品で「第10回 野間文芸新人賞」や「第19回 平林たい子文学賞」を受賞している実力者だから、その安定感は抜群だったのだろう。 続きを読む

芥川賞を読む 第9回 『犬婿入り』多和田葉子

文筆家
水上修一

独特の文体で、奇妙でリアルな世界を描き出す

多和田葉子著/第108回芥川賞受賞作(1992年下半期)

引き込まれる独特の文体

 第108回芥川賞を受賞した多和田葉子は、「村上春樹よりもノーベル賞に近い」とも言われる作家だ。実際、2016年にはドイツの文学賞「クライスト賞」を受賞し、2018年には米国で最も権威のある文学賞のひとつとされる「全米図書賞」を受賞している。国内でも、2000年に「泉鏡花文学賞」、2003年に「伊藤整文学賞」と「谷崎潤一郎賞」、2011年に「野間文芸賞」、2013年に「読売文学賞」を受賞し、2020年には「紫綬褒章」を受章している。
 そんな彼女が32歳の時に芥川賞を受賞した作品が「犬婿入り」だ。『群像』(1992年12月号)に掲載された77枚の短編である。 続きを読む

芥川賞を読む 第8回 『運転士』藤原智美

文筆家
水上修一

ひとりの地下鉄運転士の内面を徹底して描き切る

藤原智美著/第107回芥川賞受賞作(1992年上半期)

無機質な運転士の変貌

 第107回芥川賞を受賞したのは、当時36歳の藤原智美の『運転士』だった。『群像』(1992年5月号)に掲載された127枚の作品だ。

 主人公には名前はなく、「運転士」と表記されるだけだ。この無機的な表現方法は、主人公の内面とうまく共鳴し合う。主人公が地下鉄の運転士を仕事に選んだ理由は、時間と方法が確立されていて、いい加減なものが入り込む余地のない明確な仕事だからだ。彼にとって曖昧さは不自由さと同じ意味を持つ。あえて地上の電車ではなく地下鉄を選んだのは、天候によって運航が乱されることも昼夜の光量の差もなく、常に一定の条件で運転できるからだ。 続きを読む