第98回 正修止観章 58
[3]「2. 広く解す」 56
(9)十乗観法を明かす㊺
⑨助道対治(対治助開)(5)
次に、一つの問答がある。『摩訶止観』には、
問うて曰わく、助道を修せず、三昧は成ぜざれば、六度は応に道品に勝(まさ)るべしや。
答う。此れに三句有り。六度は道品を破し、道品は六度を破すること、六度は道品を修し、道品は六度を修すること、六度は即ち道品、道品は即ち六度なることなり。(第三文明選書『摩訶止観』(Ⅲ)、近刊、頁未定。以下同じ。大正46、94下9~12)
とある。六度と三十七道品との関係をめぐる問題であるが、両者がたがいに破るという相破、たがいに修行するという相修、たがいに同一であるとする相即の三句の関係が立てられている。相破は六度と道品が単独では修行の効果がない場合であり、相修は先に六度を修行し、さらに進んで道品を修行したり、先に道品を修行し、さらに進んで六度を修行したりする場合であり、相即は六度と道品がいずれも摩訶衍(大乗)であり、別のものではなく、不可得(空)であるということである。 続きを読む





