わたしたちはここにいる:LGBTのコモン・センス 第5回 社会の障壁を超える旅:ゆっくり急ぐ

山形大学准教授
池田弘乃

 日本では、あまりにも概念だけが独り歩きをする。概念は簡単に流行語のようになって、「セクシュアリティーだ」ということになったら、それはもうただ「セクシュアリティー」で、それだけがナダレのように押し寄せて来る。押し寄せて迫って来て、そしてそれは流行だから、時がたてば忘れられてしまう。だったら、そんな概念にはなんの意味もないと、私は思う。はやりすたりのある“概念”なんかよりも、「常にある“なんだか分からないもの”」という留保の方が、私にはとっても重要のように思われる。(橋本治『ぬえの名前』、岩波書店、1993年、294頁)

二分法をトランスする

 生まれたときに登録された性別とは異なる性別を、生きる人、生きようとする人、表現する人。そのことをトランスジェンダーという言葉で表現することがある。前回は、たくやさんという友人にトランスの経験を聞きに行ったのだった。今回も、私はもう一人大事な友人に会いに行くことにした。トランスに関わる話にまた別の角度からじっくりと耳を傾けてみたいと思ったのである。
 もちろん、10人のトランスジェンダーがいれば、10人の(あるいはそれ以上の[※1])異なった人生が浮かび上がってくるにちがいない。とはいっても、それらはおそらく全く個々別々のものということもなく、重なり合う部分も持つだろう。現在の社会が女性集団と男性集団について様々な格差[※2]や不平等を含み持っており、女性らしさと男性らしさが一人一人の生き方にいまだ大きな影響を及ぼすことも多い以上、トランスの経験も、登録された出発点が女性か男性か、移行の方向性が男性か女性か、あるいはそれ以外かによって左右される部分も大きい。
 男女平等、あるいは男女共同参画[※3]というテーマは、多様な性の尊重という課題と地続きである。もちろん単純に並べるといろいろなものが見失われるし、「男女」の平等というアプローチは男女の二分法で捉え難い問題をぼやけさせてしまう可能性に注意すべきだ。かといって、「男女平等の話はもういいから、LGBTQの話を!」といった、「新しもの好き」では、重要なものが抜け落ちてしまう。多様な性の尊重を考えるときには、常に、男女平等という古くて新しい論点との共鳴や緊張を意識しておきたい。
 トランス男性の話の次に、今度はトランス女性の話「も」つづった……この連載もそのようにみえるかもしれない。しかし、筆者からすればそれは誤解であると弁明したい。トランスジェンダーという言葉に向き合うとき、性別に関するアイデンティティ(自分自身をどう実感し、どう把握し、どう生きるか)の話が、男女の二分法で済むと想定すること自体が疑わしくなる。
 典型的な「男性性」や「女性性」を求めたり表現したりするトランスジェンダー当事者がいたとして、その生き方を非難しようとする人が万が一いたら、こうお伝えしたい。性急に非難する前に、この社会では、どのような性のあり方が許容されているのかにまず目を向けていく必要はないでしょうか、と。今、この世の中では、どのような生き方の幅が可能で、どのような表現の可能性が保障されているだろうか。トランスジェンダーであれ、シスジェンダーであれ、それは十分な広さをもっているだろうか。
 今回お話をうかがった美奈さんが、生まれときに登録された性別は男だった。それでも、もう5歳になるかならないかくらいから、美奈さんは「自分は男の子だろうか」という違和感を覚え始めたという。昨年、50歳を迎えた美奈さんは女性として暮らし、働いている。その美奈さんの経験を、前回のたくやさんの経験[※4]を思い出しながら、聞いていただければ幸いである。

※1…シスジェンダー(出生時に登録された性別と性自認が同じ人)の人も、トランスジェンダーの人も、社会生活において、複数の人格だったり役割だったりを同時並行的にこなす、ということがあるだろう。
※2…2点だけ2021〔令和3〕年のデータをあげておこう。第1に、一般労働者の男女間賃金格差は男性100とすると女性75.2である(厚生労働省『令和3年賃金構造基本統計調査の概況』)。第2に、家事関連時間は1日あたり女性3時間24分に対し、男性51分である。(総務省『令和3年社会生活基本調査:生活時間及び生活行動に関する結果』)
※3…政府による英訳では、こちらもgender equality(ジェンダー平等)とされることが多い。例えば、男女共同参画社会基本法(平成11年法律78号)は、Basic Act for Gender Equal Society (Act No. 78 of 1999)と訳されている。
※4…第3回 フツーを作る、フツーを超える:トランスジェンダーの生活と意見(前編)第4回 フツーを作る、フツーを超える:トランスジェンダーの生活と意見(後編)

障害と共に生きる

 中国地方のある都市に生まれた美奈さんは、1歳の頃、脊髄の病気を発症した。40度の高熱が続き、いくつかの病院で手当てが試みられるが好転せず、結局、ある大きな病院で手術を受けることで一命をとりとめた。手術後、親には医師から「一生寝たきりですね」との告知があったが、入院中の美奈さんは自分でベッドの手すりや脚をつかみながら立とうと試みていたそうだ。その闘志のおかげか、一年が経った頃には、足をひきずりながらも歩けるようになった。
 幼稚園に入る頃には、足の障害をもって生きる自分が他人とは違うということに気づく。でも、周りの友人たち(女友達の方が多かった)と美奈さんは互いを尊重し合いながら幼稚園生活を送っていく。遠足のとき、美奈さんには親が付き添った。運動会のときには、周りより遅くてもいいから競技に参加させるというのが親の方針だった。
 美奈さんには直腸膀胱障害という障害があり、物心ついたころからトイレは座ってしていた。だから、トイレのときに自身の性別について違和を感じるということもなかったそうである。
 小学校にあがるとき、特別支援学級(当時の言葉では養護学級などと呼ばれていた)に行くかそれとも「普通」学級に行くかという選択の問題が出てくる。美奈さんの親は普通学級に行かせる道を選んだ。学校側もその決定をサポートしてくれることになる。
 小学校5年生になる頃には、自身が男として扱われることに強い違和感を覚えるようになっていた。美奈さんには妹が2人いる。小さい頃から、妹の服を着たり、幼なじみの女の子と一緒に遊んだりするのは当たり前だった。それが「普通」だと思っていた。
 その「普通」が、学校にあがると、周りの男の子たちからからかわれるようになった。

この記事はここからは非公開です。続きは、書籍『LGBTのコモン・センス――自分らしく生きられる世界へ』をご覧ください。

 

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池田弘乃 著

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シリーズ:「わたしたちはここにいる:LGBTのコモン・センス」(一部公開)
第1回 相方と仲間:パートナーとコミュニティ
第2回 好きな女性と暮らすこと:ウーマン・リブ、ウーマン・ラブ
第3回 フツーを作る、フツーを超える:トランスジェンダーの生活と意見(前編)
第4回 フツーを作る、フツーを超える:トランスジェンダーの生活と意見(後編)
第5回 社会の障壁を超える旅:ゆっくり急ぐ
第6回(最終回) 【特別対談】すべての人が自分らしく生きられる社会に

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いけだ・ひろの●1977年東京生まれ、山形大学人文社会科学部准教授。専攻は、法哲学、ジェンダー・セクシュアリティと法。著書に『ケアへの法哲学:フェミニズム法理論との対話』(ナカニシヤ出版、2022年)、編著に、綾部六郎・池田弘乃編『クィアと法:性規範の解放/開放のために』(日本評論社、2019年)、 谷口洋幸・綾部六郎・池田弘乃編『セクシュアリティと法: 身体・社会・言説との交錯』(法律文化社、2017年)、論考に「「正義などない? それでも権利のため闘い続けるんだ」――性的マイノリティとホーム」(志田陽子他編『映画で学ぶ憲法Ⅱ』、法律文化社、2021年)、「一人前の市民とは誰か?:クィアに考えるために」(『法学セミナー』62巻10号64-67頁、2017年)などがある。