コラム」カテゴリーアーカイブ

三代会長が開いた世界宗教への道③――第1次宗門事件の謀略

ライター
青山樹人

妙信講の異常な主張

 大恩ある創価学会とその指導者に対し、あろうことか不満や敵意を抱きはじめた日蓮正宗の出家たち。この宗門内部の微妙な変化を最大限に利用したのが、のちに創価学会を恐喝して懲役3年の実刑判決を受け服役した山崎正友だった。
 創価学会学生部出身者として第1号の弁護士になった山崎は、1970年から学会の顧問弁護士を務めていた。
 じつは大石寺に正本堂の建設が進んでいたこの時期、日蓮正宗内に厄介な問題が起きていた。当時、ごく少数の組織ながら独自の「講」として宗内に存在していた妙信講なる一派が、憲法を改正し、国会の議決をもって建設される「国立戒壇」こそが日蓮大聖人の遺命であると主張しはじめたのだ。
 正本堂を「本門戒壇」と意義づけたのは、創価学会ではなく日蓮正宗である。
 1965年9月12日、宗務院は「大聖人の御遺命にしてまた我々門下最大の願業である戒壇建立、広宣流布のいよいよ事実の上において成就されることなのであります」との「院達」を宗内に発している。日蓮正宗が出した供養の趣意書にも「正本堂建立は実質的な戒壇建立」と明記されていた。 続きを読む

三代会長が開いた世界宗教への道②――嵐のなかで世界への対話を開始

ライター
青山樹人

解散総選挙に合わせた出版

 1969年の暮れには、第32回衆議院選挙が予定されていた。
 8月になると、当時、保守派の論客として名を売っていた藤原弘達(ふじわら・ひろたつ)が『創価学会を斬る』と題する本を出版するという予告ポスターが大々的に出た。
 藤原の本は、大上段に構えたタイトルとは裏腹に、歪んだ憶測や風評を並べ、学会員とりわけ婦人部を侮蔑するような内容に満ちたものであった。創価学会本部に対する一片の取材もおこなわないまま、部下に口述したものを出版社にまとめさせるという安易なもの。評論家の大宅壮一は、
〈きわめてぞんざいな方法である。これではキワモノ出版といわざるを得ない。〉(『現代』70年3月号)と、痛烈に非難している。 続きを読む

芥川賞を読む 第17回 『家族シネマ』柳美里

文筆家
水上修一

映画という虚構の中で、家族の実像を浮かび上がらせた

柳美里(ゆうみり)著/116回芥川賞受賞作(1996年下半期)

舞台を観ているような展開

 第116回の芥川賞は2作品が受賞。柳美里の「家族シネマ」と辻仁成の「海峡の光」だ。いつも手厳しい石原慎太郎もこう述べている。

箸にも棒にもかからぬような候補作とつき合わされる不幸をかこつこともままあるが、今回はどの作品も一応は読ませてくれた

 今回はまず柳美里の「家族シネマ」を取り上げる。受賞時は28歳。27歳の時にすでに「フルハウス」と「もやし」でそれぞれ113回と114回の芥川賞候補となっている。また、「フルハウス」は第24回泉鏡花文学賞と第18回野間文芸新人賞を受賞していて、その実力は折り紙付きだった。 続きを読む

「非核三原則」と公明党――「核共有」議論をけん制

ライター
松田 明

共産など「オール沖縄」の4連敗

 沖縄市長選挙が4月24日に投開票され、自民党と公明党が推薦する現職の桑江朝千夫候補が、玉城デニー知事らオール沖縄が立てた新人で前市議の森山政和候補(立民、共産、社民などが推薦)を1万票の大差で破って3期目の当選を果たした。

 同市は那覇市に次ぐ県内第2の都市。自公側は1月以降に行われた4市長選を全て制し、9月投開票の知事選に弾みをつけた。米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への移設に反対する「オール沖縄」勢力は4連敗で、玉城氏にとって大きな痛手となった。(「読売新聞オンライン」4月25日)

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連載エッセー「本の楽園」 第129回 読まされてしまった物語

作家
村上政彦

『弱さの思想』、『雑の思想』に続く『あいだの思想』を取り上げるつもりが、まんまと読まされてしまった本があるので、先にそれを取り上げたい。
 僕は野球少年だった。小学校に入る前後は、少し空き地があると、三角ベースで遊んだ。これは、ホーム、一塁、二塁だけでやる野球で、ゴムボールを使い、手で打つ。選手はひとつのチームで数人だから、すぐゲームが成立する。陽が暮れてボールが見えなくなるまで、夢中で走り回っていたものだ。
 小学校の高学年になると、誰もがマイ・バット、マイ・グローブを持っていた。特にチームをつくるわけではないのだが、いつのまにか選手が集まって、野球が始まった。王・長嶋が憧れのスターで、僕の周りはみな、巨人のファンだった。 続きを読む