妙信講の異常な主張
大恩ある創価学会とその指導者に対し、あろうことか不満や敵意を抱きはじめた日蓮正宗の出家たち。この宗門内部の微妙な変化を最大限に利用したのが、のちに創価学会を恐喝して懲役3年の実刑判決を受け服役した山崎正友だった。
創価学会学生部出身者として第1号の弁護士になった山崎は、1970年から学会の顧問弁護士を務めていた。
じつは大石寺に正本堂の建設が進んでいたこの時期、日蓮正宗内に厄介な問題が起きていた。当時、ごく少数の組織ながら独自の「講」として宗内に存在していた妙信講なる一派が、憲法を改正し、国会の議決をもって建設される「国立戒壇」こそが日蓮大聖人の遺命であると主張しはじめたのだ。
正本堂を「本門戒壇」と意義づけたのは、創価学会ではなく日蓮正宗である。
1965年9月12日、宗務院は「大聖人の御遺命にしてまた我々門下最大の願業である戒壇建立、広宣流布のいよいよ事実の上において成就されることなのであります」との「院達」を宗内に発している。日蓮正宗が出した供養の趣意書にも「正本堂建立は実質的な戒壇建立」と明記されていた。 続きを読む