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『摩訶止観』入門

創価大学大学院教授・公益財団法人東洋哲学研究所副所長
菅野博史

第33回 方便④

[3]具五縁について②

(2)持戒の相を明かす②

②理の持戒の相を明かす

 前回までが事の持戒の説明で、次に理の持戒について説いている。次のように、『中論』のいわゆる三諦偈に基づいて、因縁所生法、空、仮、中の四段階に分けている。
 最初の不欠・不破・不穿(ふせん)・不雑(ふぞう)の四戒は、心は「因縁所生の法」であると観ずるもので、後の空観・仮観・中観の三観の対境となる。第二の随道・無著の二戒は空観の持戒であり、第三の智所讃・自在の二戒は仮観の持戒であり、最後の随定・具足の二戒は中観の持戒とされている。
 さらに、これらの四つについて個別に説明している。要点を示す。 続きを読む

『摩訶止観』入門

創価大学大学院教授・公益財団法人東洋哲学研究所副所長
菅野博史

第32回 方便③

[3]具五縁について①

 二十五方便の第一は「五緑を具す」ことである。五縁とは、持戒清浄(じかいしょうじょう)、衣食具足(えじきぐそく)、閑居静処(げんごじょうしょ)、息諸縁務(そくしょえんむ)、得善知識(とくぜんちしき)の五つの条件であり、正面から止観を修行するためには、この五条件を具備することが必要とされる。順に脱明していく。
 第一の持戒清浄は、言うまでもなく戒律に関するものであり、詳しく説明されている。『摩訶止観』の本文では、「一に戒の名を列し、二に持戒を明かし、三に犯戒(ぼんかい)を明かし、四に懺浄(さんじょう)を明かす」(第三文明選書『摩訶止観』(Ⅱ)、373頁)(※1)とあるように、四段落に分けているので、ここでもそれに従って解説しよう。 続きを読む

『摩訶止観』入門

創価大学大学院教授・公益財団法人東洋哲学研究所副所長
菅野博史

第31回 方便②

[2]二十五方便の出典と思想的意義

 二十五方便が何に基づいて形成されたかということに関して、『摩訶止観』巻第四上には、「此の五法の三科は『大論』に出で、一種は『禅経』に出で、一は是れ諸の禅師の立つるなり」(第三文明選書『摩訶止観』(Ⅱ)、372頁)と述べている(※1)
 呵五欲(色・声・香・昧・触の五種の対境に対する欲望を呵責すること)、棄五蓋(貪欲・瞋恚・睡眠・掉悔・疑の五種の煩悩を捨てること)、行五法(欲・精進・念・巧慧・一心の五法を実行すること)の三科は、『大智度輪』巻第十七(大正25、181上~185中を参照)に基づいて立てられたものである。具五縁(持戒清浄・衣食具足・閑居静処・息諸縁務・得善知識)の一科は、『禅経』に基づくと述べられているが、この『禅経』が具体的に何という経典であるかは不明である。関口氏は、「天台大師は、ひろくこれらの諸経論(禅秘要法経、坐禅三昧経、禅法要解、小道地経、大般涅槃経、止観門論頌、菩提資糧論など――菅野注)に注意し、主としては禅経類により、あわせて遺教経、成実論などをもちいつつ、呵五欲、棄五蓋、行五法に対応させて、五項目から成る具五縁なるものを新たに構成したのであろう」(※2、『天台止観の研究』105頁)と述べている。 続きを読む

『摩訶止観』入門

創価大学大学院教授・公益財団法人東洋哲学研究所副所長
菅野博史

第30回 方便①

[1]二十五方便

 今回は十広の第六「方便」について考察する。この方便とは、第七章の正修止観で説示される十境十乗の観法の用意、準備条件を意味する。具体的な内容としては、具五縁(持戒清浄・衣食具足・閑居静処・息諸縁務・得善知識)、呵五欲(色・声・香・昧・触の五種の対境に対する欲望を五欲といい、これを呵責すること)、棄五蓋(貪欲・瞋恚・睡眠・掉悔・疑の五種の煩悩を捨てること)、調五事(食・眠・身・息・心の五事を適度に調整すること)、行五法(欲・精進・念・巧慧・一心の五法を実行すること)の、一項目五ヶ条からなる五項目が説かれる。つまり、合計すると、二十五ヶ条が説かれている。
 これを二十五方便ということもある(※1)が、天台智顗(ちぎ)の最初期の著作である『釈禅波羅蜜次第法門』(『次第禅門』、『禅門修証』ともいう)巻第二にも説かれており(大正46、483下~491中を参照)、さらにまた、『天台小止観』(※2)にも説かれている。『摩訶止観』の二十五方便の叙述においても、その詳しい説明を『釈禅波羅蜜次第法門』に譲っている場合がある。したがって、この二十五方便の思想は、智顗の少壮の時期にすでに確立され、その後晩年にいたるまで一貫して変わることがなかった基本的かつ重要な思想であったと評せよう。 続きを読む

『摩訶止観』入門

創価大学大学院教授・公益財団法人東洋哲学研究所副所長
菅野博史

第29回 偏円⑥

(5)権・実を明かす③

(c)接通に約して、以て教理を明かす②

 蔵教・通教・別教・円教の四教の存在以外に、被接(ひしょう)を問題とする理由については、利根の修行者が飛躍的に修行を前進させる可能性を理論的に組み込むために、三種の被接を考案したと思われる。一般化していうと、宗教の修行における超越の可能性に席を用意したというわけである。この三被接は、『法華玄義』の境妙(迹門の十妙の第一)のなかの七重の二諦説(真諦と俗諦について、七種類の定義を施している)においてよく示されている。というのは、七重とは、四教と三被接を合わせたものであるからである。
 ここでは、最初に、一実(円教)のために三権(蔵教・通教・別教)を施す場合、ただ蔵教・通教・別教・円教の四種の止観があるだけであるが、別によって通を接する(別接通〈べっせつつう〉)止観に関しては、(1)権であるのか、実であるのか、(2)どのような意味で四という数に関与しないのか、(3)どのような意味でただ通教だけを接するというのか、(4)どのような位において接せられるのか、(5)どのような位に接せられて入るのか、という五つの質問が設けられている。初めに教に焦点をあわせて五問に答え、次に諦(真理)に焦点をあわせて四問(第二問を除く)に答えている。 続きを読む