第7回 発大心(1)
前回までで「序分(縁起)」の説明が終わり、今回から「正説分」、つまり『摩訶止観』の本論に入る。正説分は、標章、生起、分別、料簡、広説からなっている。広説は、いわば『摩訶止観』全体の構成を意味し、五略十広といわれる。「十広」とは、大意・釈名(しゃくみょう)・体相・摂法(しょうぼう)・偏円(へんえん)・方便・正観(しょうがん)・果報・起教(ききょう)・旨帰(しき)の十章を指す。 続きを読む
前回までで「序分(縁起)」の説明が終わり、今回から「正説分」、つまり『摩訶止観』の本論に入る。正説分は、標章、生起、分別、料簡、広説からなっている。広説は、いわば『摩訶止観』全体の構成を意味し、五略十広といわれる。「十広」とは、大意・釈名(しゃくみょう)・体相・摂法(しょうぼう)・偏円(へんえん)・方便・正観(しょうがん)・果報・起教(ききょう)・旨帰(しき)の十章を指す。 続きを読む
師資相承に続いて、智顗(ちぎ)が南岳慧思(なんがくえし)より相承した三種止観について述べている。三種止観とは、漸次止観、不定止観、円頓(えんどん)止観のことである。いずれも実相を対象として観察する大乗の止観である。
漸次止観とは、浅いものから深いものへ、低いものから高いものへというように、しだいに修行して、最後に実相を体得する止観をいい、『釈禅波羅蜜次第法門』(『次第禅門』と略称する)に詳しい。
不定止観とは、これに漸次止観、円頓止観と異なる特別な行法があるわけではなく、円頓止観と漸次止観の二つの止観を前後不同に用いたり、浅い行法を深く、深い行法を浅く用いたりするような自在な活用を重視する止観である。これは、『六妙法門』に説かれる。
円頓止観についての説明箇所は、「円頓章」と呼ばれて、『摩訶止観』の真髄を説いた部分として尊重されてきた。円頓止観とは、浅きより深きに次第する漸次止観とは逆に、修行の最初から最も深く高い実相を対境として修する止観であり、この円頓止観を説いたものが、『摩訶止観』10巻にほかならない。
序分では、この円頓止観について、円の法、円の信、円の行、円の位、円の功徳によって自ら荘厳すること、円の力用によって衆生を建立(救済)することの六つの視点から詳しく考究している。つまり、円の法を聞き、それを信じ、修行し、それによって位を昇り、自行・化他に励む在り方を説明している。
次に要点を説明する。 続きを読む
今師(こんし)相承は、智顗(ちぎ)から慧思(えし)、慧文(えもん)に遡り、さらに慧文が金口(こんく)相承の第十三番目に当たる龍樹(りゅうじゅ)の『大智度論』によって悟ったことを述べる。龍樹を媒介として、智顗と釈尊を結合させているのである。今師相承の冒頭は、「此の止観は天台智者の己心の中に行ずる所の法門を説く」(第三文明選書『摩訶止観』(Ⅰ)10頁)という有名な文で始まる。この摩訶止観は智顗の心のなかで修行した法門であることを明らかにしたものである。次に、智顗の事績について簡潔に触れているが、興味深いのは、
文に云わく、「即ち如来の使いにして、如来に使わされ、如来の事を行ず」と。『大経』に云わく、「是れ初依(しょえ)の菩薩なり」と。(『摩訶止観』(Ⅰ)12-14頁)
と述べていることである。 続きを読む
湛然(たんねん、711-782)の『摩訶止観』に対する注釈書、『止観輔行伝弘決』(しかんぶぎょうでんぐけつ、以下、『輔行』と略記する)によれば、『摩訶止観』の本文(正説分)の前に、灌頂(かんじょう、561-632)が書いた序分(縁起)が載っている。
この序分の構成は、まず通序と別序から成っている。次に別序については、「付法(ふほう)の由漸(ゆうぜん)を明かす」、「付法相承(そうじょう)を明かす」の二段から成っている。そして、後者の「付法相承を明かす」では、湛然の命名であるが、金口(こんく)相承と今師(こんし)相承が明らかにされる。
今師相承の段は比較的長く、智顗が慧思(えし)から継承した漸次止観・不定止観・円頓止観(えんどんしかん)の三種止観についても説かれている。これらについては、項目を改めて説明する。 続きを読む
『摩訶止観』は、『法華玄義』、『法華文句』とあわせて天台三大部と呼ばれる。この三部作がいずれも天台大師智顗(ちぎ)の著作として扱われてきたので、当然の呼び名である。また、正確にはいつの時代からかよくわからないが、法華三大部とも呼ばれてきた。これらの三著が『法華経』と密接な関係があると捉えられたからであろう。 続きを読む