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芥川賞を読む 第26回『花腐し』松浦寿輝

文筆家
水上修一

街と人間の堕落が放つ甘美な腐敗臭

松浦寿輝(まつうら・ひさき)著/第123回芥川賞受賞作(2000年上半期)

湿り気のある静かな文体で引きずり込む

 W受賞となった第123回芥川賞のもうひとつの作品は、松浦寿輝の「花腐し(はなくたし)」だった。原稿用紙約123枚。43歳での受賞。大学教授のかたわら詩人、評論家としても活躍していて、高見順賞、吉田秀和賞、三島由紀夫賞などをすでに受賞していた。芥川賞候補になったのはこれが2回目だった。
      
 舞台は、多国籍な街、新宿・大久保。主人公は、友人と立ち上げたデザイン事務所の経営が行き詰まり倒産に追い込まれた男。仕事も家も失った主人公は、雨降るある夜、今にも崩れ落ちそうな廃屋寸前のボロ・アパートの一室を訪ねる。他の住人が全て転居するなか、ただ一人居座る男を追い出すために恫喝しに来たのだ。借金をしている知り合いから依頼されて請け負った小銭稼ぎの仕事である。 続きを読む

芥川賞を読む 第25回『きれぎれ』町田康

文筆家
水上修一

ほとばしるエネルギーとスピード感で狂気を描く

町田康(まちだ・こう)著/第123回芥川賞受賞作(2000年上半期)

コラージュのようなストーリー展開

 ダブル受賞となった第123回芥川賞。その一つが、町田康の「きれぎれ」だった。
 昔、音楽雑誌の編集をやっていた私にとっては、パンクバンド「INU」のボーカル・町田町蔵のほうが作家・町田康よりも印象が強烈だったので、芥川賞受賞のニュースを聞いた時は、「あの町田町蔵が!」と非常に驚いたことを覚えている。彼の処女作「くっすん大黒」は、それ以前、興味本位で読んでみたことがあったのだが、わけの分からない、めちゃくちゃな感じが「さすが町田町蔵だ」と感心したことを記憶している。
「きれぎれ」も、まあ一言で言えば、わけの分からないめちゃくちゃな感じだ。 続きを読む

芥川賞を読む 第24回『夏の約束』藤野千夜

文筆家
水上修一

同性愛者のありふれた日常を、軽妙に明るく描く

藤野千夜(ふじの・ちや)著/第122回芥川賞受賞作(1999年下半期)

軽い文体で描こうとしたもの

 W受賞となった第122回芥川賞のもう一つの受賞作が藤野千夜の「夏の約束」だ。『群像』(平成11年12月号)に掲載された約128枚の作品である。
 受賞翌年の平成12年に講談社から発刊された単行本の表紙を見ると、まるで小学生向け雑誌の表紙のような楽しげで明るくて軽いイメージだったので、一体どんな小説なのかと思いながら読み進めると、なるほど物語自体は実にたわいのない軽い内容なのだ。
 主人公である同性愛者の男性マルオとその恋人ヒカルを中心に、同じように社会の標準からは少しずれた若者たちのごくごくありふれた日常を淡々と描いている。何か大きな事件が起こるわけでもなく、深刻な問題を抱えているわけでもない。タイトルにもなった〝夏の約束〟にしても、友だちみんなで「八月になったらキャンプに行こう」と決めていた約束が、登場人物のちょっとした事故で行けなくなったという、たったそれだけのところから持ってきている。 続きを読む

芥川賞を読む 第23回『蔭の棲みか』玄月

文筆家
水上修一

在日朝鮮人の集落を舞台に、時代の潮流の中で生きる老人を描く

玄月(げんげつ)著/第122回芥川賞受賞作(1999年下半期)

ありありと描きだされた人物像

 受賞者のなかった前回(第121回)とは打って変わって、第122回はW受賞となった。その一つが、当時34歳だった玄月の「蔭の棲みか」だった。大阪生まれの玄月は、アルバイトや父親の町工場の手伝いをするかたわら、大阪文学学校で創作の腕を磨き、頭角を現し始める。受賞者なしとなった第121回で芥川賞候補となっている。
 在日朝鮮人が暮らす大阪の下町が舞台だ。まるでスラムのような集落に暮らす主人公のソバンは、最古参の住人で、戦争で手首を落として以来68年間この集落に暮らし続けてきた。妻も子どもも亡くし仕事もせず、無為に流れていく日々の中で、街の変遷を見てきた。さまざまな人物や、集落の中で起きる事件や出来事や日常を描きながら、この特殊な集落とそこに住む人間を描いている。 続きを読む

芥川賞を読む 第22回『日蝕』平野啓一郎

文筆家
水上修一

キリスト教学僧の、信仰者としての精神闘争を描いた大作

平野啓一郎(ひらの・けいいちろう)著/第120回芥川賞受賞作(1998年下半期)

新人賞をすっ飛ばしての受賞

 第120回芥川賞を受賞した平野啓一郎の「日蝕」は、異色の形で芥川賞候補となった。通常、芥川賞候補になる作品は、いわゆる純文学五大文芸誌(文學界、群像、すばる、新潮、文藝)のいずれかの新人賞を獲得した作品や、その後それらの文芸誌に掲載された作品が選ばれることが多いが、「日蝕」はそれまでに一度の受賞もなく、いきなりの芥川賞候補となった。有名な話だが、当時23歳の京大生だった平野は、そうした新人賞に応募しても途中で落とされると考えて、『新潮』の編集長に手紙を書き「日蝕」を渡し、それが『新潮』に一挙掲載されたのだ。それが話題となり、芥川賞候補にもなって受賞に至った。
 こうした経緯から世間の注目を集め、中には「三島由紀夫の再来」などと評するメディアも登場した。 続きを読む