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沖縄伝統空手のいま~世界に飛翔したカラテの源流 第44回 特別編③ 沖縄空手案内センター ミゲール・ダルーズ

ジャーナリスト
柳原滋雄

沖縄空手の魅力を日本人以上に知るフランス人

 沖縄空手の取材をしていると、青い目をしたこの人をしばしば目にする機会があるはずだ。沖縄空手案内センターのミゲール・ダルーズ広報担当(1971-)である。

ミゲール・ダルーズさん

 フランス・ブルターニュ地方の出身で、14歳のときに始めた剛柔流空手の道場がたまたま沖縄空手の道場だった。競技にも参加したが、教える先生にも自分たちの空手は発祥の地・沖縄のカラテであるという自負があったという。家族的な雰囲気の道場で、先輩が日本に修行に行ってすごく強くなって帰ってきたのを見て、自分もいつか沖縄に行ってみたいという気持ちが強くなったと語る。
 1993年、22歳のときに来沖。沖縄の道場で汗を流すように。さまざまな人脈も増えていった。しばらくはフランス語教師や通訳・翻訳の仕事をしていたが、2005年に沖縄空手に関するNPOの仕事に誘われて関わるように。さらに2011年には任意団体の「沖縄伝統空手総合案内ビューロー」を自ら立ち上げ、稽古を希望する世界中の空手愛好家と沖縄の地元道場との橋渡し役をボランティアで行う活動を始めた。
 以来5年あまりで、受け入れた人数は700人を超えた。 続きを読む

沖縄伝統空手のいま~世界に飛翔したカラテの源流 第43回 特別編② 首里手の源流を探る

ジャーナリスト
柳原滋雄

日本と中国、どちらの影響を強く受けたか

 沖縄に伝わる伝統芸能の一つ、組踊(くみおどり)は、独特の抑揚で語るセリフと琉球舞踊、音楽の3つを組み合わせた沖縄版ミュージカルともいわれる。昨年は組踊の初演(1719年)から300年の佳節となり、さまざまな行事が開催された。
 組踊を創案したのは玉城朝薫(たまぐすく・ちょうくん 1684-1734)で、琉球王国の官僚であり、劇作家でもあった人物。若いころから薩摩藩に渡り、江戸滞在経験を持つなど日本文化への造詣が深かった。踊り奉行に任命された玉城は、江戸で見た浄瑠璃などを参考に組踊を創案。代表作の一つ「執心鐘入(しゅうしんかねいり)」では後半、ある寺が舞台となる。沖縄の真言宗の寺とされる。
 重要なことは、沖縄と日本文化の関係は、一般に思われているよりも相当に古くから交流があったという事実だ。組踊が日本文化を参考にした面はともかく、仏教は日本本土経由ですでに13世紀には沖縄に入り、古神道も早くから入った。仏教では禅宗と真言宗が主流となり、神社も多くつくられた。
 食文化をみても、その交流の歴史は明らかだ。沖縄では昆布が取れなかったが、北海道の昆布が「北前船」を通じて沖縄に運ばれてきた歴史がある。 続きを読む

沖縄伝統空手のいま~世界に飛翔したカラテの源流 第42回 特別編① 「空手は近世に形成された沖縄固有の武術」(沖縄空手アカデミー・田名真之館長の講演から)

ジャーナリスト
柳原滋雄

 沖縄空手の学術研究を推進する沖縄県主催の1回目の「沖縄空手アカデミー」が開催されたのは昨年10月。全6回の予定で、すでに3回分が終了している。
 1回目のテーマとなったのは「近世琉球の空手関連史料」で、空手の発祥に関わる史料がほとんど残されていない近世時代(=日本の江戸時代に相当)の史料について、沖縄県立博物館・美術館の田名真之(だな・まさゆき 1950-)館長が解説する興味深い内容となった。今回はその概要を紹介する。 続きを読む

沖縄伝統空手のいま~世界に飛翔したカラテの源流 第41回(最終回)番外編 空手の流派はなぜ生まれたのか

ジャーナリスト
柳原滋雄

もともと個人に帰属した

 沖縄で個人から個人に秘かに伝えられてきた武術にほかならない空手。本来、それらの武術に流派という概念はなかったとされる。ところが一定程度、沖縄社会で認知されるようになると、2つの流派が言われるようになる。大きく分けて、昭林(しょうりん)流と昭霊(しょうれい)流の2派である。前者が現在のしょうりん流を意味し、後者が剛柔流系を意味すると言われている。
 現在、沖縄空手を分別するのに使われる「首里手」「那覇手」という言い方も古くからあったものとはいえず、地元行政において区別する必要に応じて「首里手」「泊手」「那覇手」に分類されたと伝えられる。 続きを読む

沖縄伝統空手のいま~世界に飛翔したカラテの源流
第40回 沖縄古伝武術空手 剛毅會空手道 岩﨑達也宗師インタビュー

ジャーナリスト
柳原滋雄

 戦後の日本本土で隆盛を極めたフルコンタクト空手の元祖・極真空手。実際にその歴史をたどれば、沖縄発祥の空手から枝分かれした一部にほかならない。その極真空手に人生の若いころに命を賭け、その後、源流である沖縄空手に価値を見出した空手家を何人か取り上げてきた(「極真から沖縄空手に魅せられた人びと」《第26回第27回第28回》参照)。この連載の最後にインタビューを行った剛毅會(ごうきかい)空手道の岩﨑達也宗師(いわさき・たつや 1969-)もその一人だ。取材の最初にクギを刺されたのは、「武術性があるかどうかが問題であって、自分にとってそれが沖縄空手でなければならないということではない。たまたま師事した(沖縄空手の)先生がものすごい武術性を持っていた」という言葉だった。沖縄空手の本質とは何なのか、インタビューを試みた。 続きを読む