宮城長順の後を引き継ぐ
剛柔流を開いた宮城長順が1953年10月、65歳で急逝したとき、後を継承したのは34歳年下で警察官の宮里栄一(みやざと・えいいち 1922-99)だった。宮里は若い時分から柔道に打ち込み、空手と二足の草鞋をはいていた。
宮里は柔道の講道館に倣(なら)い、順道館という当時としては立派な平屋建ての道場(その後鉄筋二階建て)をつくり、後進の育成に励んだ。現在、沖縄剛柔流の顔ともいえる東恩納盛男(ひがおんな・もりお 1938-)もこの道場の出身である。
宮里は順道館を本部道場とし、1969年、沖縄剛柔流空手道協会の組織をつくって初代会長に就任した。
宮里が残した功績として特筆されるのは、1981年の国体問題のときに、全空連加盟を推進する立場で中心的に尽力したことだろう。長嶺将真(松林流)、宮平勝哉(小林流)を支えて県空連の創設に邁進。その背景には、沖縄で国体を行うのに、「発祥の地」である沖縄から空手に参加しない選択肢はありえないとの宮里なりの思いがあった。
柔道を通じて国体をとらえていた点で、空手だけを行っていた空手家とは違う立ち位置にあったと思われる。 続きを読む