最晩年の上地完文を支えた新城一家
現在、沖縄空手の三大流派に数えられる上地流は、中国武術の影響を強く受ける沖縄空手でも新しい流派の一つだ。上地完文(うえち・かんぶん 1877―1948)が中国福建省で学んだ武術を沖縄に持ち帰ったのがその発祥である。
上地完文は32歳で帰琉後、ある事情から習得した武術をすぐに教えることはなかった。親しい人たちに教え始めたのは出稼ぎで工場勤務していた和歌山時代の1926年、49歳のときからだ。
同じ沖縄出身の同僚たちの強い要請により、秘かに稽古を開始したのが始まりである。正式に「上地流」の流派を名乗るのは1940年。和歌山時代の高弟には、友寄隆優、上原三郎、赤嶺嘉栄、伊江島出身の新城清良(しんじょう・せいりょう 1908-76)などがいた。
この時期、10歳で完文のもとに入門した少年がいた。新城清良の長男・清優(しんじょう・せいゆう 1929-81)だ。父の清良は胸を患い空手は3年くらいしか続けられなかったため、その夢を息子に託す形となった。当時、入門するには2人の保証人を立てることが必要とされる時代だったという。 続きを読む