弱者の武術として始まった沖縄空手
最も初期に一般的に記録に残された空手に関する資料は、当時まだ沖縄の小学校教員であった船越義珍(ふなこし・ぎちん 1868-1957)が1913(大正2)年に『琉球新報』紙上に発表した「唐手は武藝の骨髄なり」(1月9日付)と題する文章とされる。
そこで船越は、15世紀初めに琉球王朝が統一され、中央集権化が図られ武器をことごとく取り上げられたこと、さらに薩摩の琉球侵攻によって「ひどい目に逢わされた」結果、「無手勝流唐手の必要を痛切に感じ」、「護身用として唐手の練習をやらねばならぬ立場になったのであろう」と推測した。
ご存じのとおり、船越の師匠は、安里安恒(あさと・あんこう 1828-1914)と糸洲安恒(いとす・あんこう 1831-1915)の2人だが、その2人の口伝を取り入れた見解であったことは容易にうかがえる。 続きを読む






