連載エッセー「本の楽園」 第177回 僕の漫画史

作家
村上政彦

 いちばん最初に読んだ漫画は、むかし暮らしていた長屋の、ご近所さんの二階にあった漫画雑誌だったとおもう。まだ小学校にあがるまえだが、なぜか、短篇漫画のストーリーをいくつか憶えている。
 僕は、けして物覚えのいいほうではないので、よほど深い印象があったのだろう。けれど、内容は教訓的な説話風のもので、強い衝撃を受けたわけではないから、どうして覚えているのかわからない。
 やわらかい明かりの電灯の下、大人たちが難しい話をしていて、子供の僕は階段の上り口に近い薄暗い隅のほうで、その家の主が貸してくれた漫画雑誌をひっそり読んでいた。それがその家へ行く愉しみだった。
 自分で漫画を買うようになったのは、小学生になってからだ。当時、『少年マガジン』『少年ジャンプ』『少年サンデー』『少年キング』『少年チャンピオン』と、週刊の漫画雑誌があって、月刊では、『ぼくら』『冒険王』があった。僕は、すべてを買って読んでいた。
 高学年になって、『ガロ』を知った。この雑誌は僕の御用達の本屋には、置いてあったり、なかったりして、なかなか手に入れるのが難しかった。内容は、それまで僕が読んでいた少年誌と違って、かなり大人な世界が描かれていた。だから、恐る恐る手を伸ばし、ページを開いた。 続きを読む

災害に便乗する政治家たち――悪質な扇動と迷惑行為

ライター
松田 明

元日の能登半島を襲った地震

 元日に発生した最大震度7の「令和6年能登半島地震」は、能登半島の一帯に壊滅的な被害をもたらしている。石川県によると11日午前9時時点で県内の死者数は213人となり、安否不明者も依然52人いるとしている。
 能登半島は能登山地や多数の段丘から成っており、低平地が非常に乏しい。従来から日本でも有数の交通の難所であった。
 今回の地震では、もともと限られていた道路が各地で崩落・寸断されたうえ、海岸線も隆起して多数の港湾が使用不能になっている。発災直後に日没を迎えたことに加え、電気や通信網が寸断された地域も多く、被害状況の把握を困難にしてきた。
 政府は地震発生(16時10分)の1分後には首相官邸の危機管理センターに官邸対策室を設置。岸田首相は16時15分に、情報提供や被害状況の把握などの「総理指示」を発出した。 続きを読む

連載エッセー「本の楽園」 第176回 朝のあかり

作家
村上政彦

 10代のころ、詩らしきものを書いていた。好きな詩人は、立原道造、中原中也。立原の詩は、いまでも好きな一節を暗唱できる。あるスーパーマーケットでごみ処理のアルバイトをしていたとき、小雨の降るなか、ごみを運ぶトラックが来るのを待つあいだ、その詩を口ずさんでいた。いつかプロの文筆家になったら、このことを書いてやろうとおもったことを、はっきりと憶えている(ついに書きました!)。
 ここでその詩を引きたいところだけれど、とりあげる本が詩人・石垣りんの『朝のあかり』というエッセイ集なので、やめておく。
 率直に言うと、その当時、僕は石垣りんを読んだことがなかった。いまや日本を代表する詩人のひとり。でも、僕は読んだことがなかった。名前は知っていたとおもう。そのころ『現代詩手帖』という現代詩の専門誌を読んでいたので、見かけたことはあったはずだ。
 それが読んだことがないというのは、つまり、関心が持てなかったわけだろう。僕は、立原道造や中原中也の抒情に魅せられていて、自分もそういう詩を書いていた。石垣りんの詩は、彼らの抒情詩とはちがう。 続きを読む

世界はなぜ「池田大作」を評価するのか――第3回 民主主義に果たした役割

ライター
青山樹人

「政教一致」体制と戦ったのが創価学会

――池田名誉会長が2010年5月を境に公の場に出ることを控えたことについて、さまざまな人間や媒体が勝手な憶測を書き散らしてきました。今般の逝去に際しても、あいかわらず単なる憶測や出所不明の話を書いている論者が見受けられますね。

青山樹人 なかには学者やジャーナリストを名乗りながら、名誉棄損になるような話を平然と書いたり語ったりしている人物もいます。池田先生は2015年も創価大学で居合わせた学生たちを激励していますし、16年も埼玉や八王子を訪問しています。17年も創価大学や神奈川、東京牧口記念会館を訪問しています。18年に長野研修道場で『新・人間革命』を脱稿した折は、研修道場内で何十人もの会員と間近で会っています。その様子は聖教新聞でもカラー写真で報じられています。
 19年には長野研修道場の他、落成した世界聖教会館を2度訪問して勤行されました。21年10月には修学旅行に来ていた関西創価小学校の6年生たちと、創立者として都内で会っていますね。22年に入っても夫妻で恩師記念会館を訪問して勤行されています。
 そういえば、『第三文明』2月号で作家の佐藤優氏が、『週刊新潮』に寄せた宗教学者の島田裕己氏のコメントについても痛烈に批判していました。島田氏は〈池田氏は最期まで宗教の本質である〝死〟についての解を提示できなかった〉〈死について掘り下げることがないまま、表舞台から去っていった。そこに宗教者としての限界があった〉等とコメントしていたのです。
 佐藤氏は、ハーバード大学での講演や『法華経の智慧』で展開された先生の死生観に触れ、〈宗教学者であり、創価学会についての著作も少なくないにもかかわらず、島田裕己氏は最重要著作の1つである『法華経の智慧』すら読んでいないのでしょう。底の知れたものです。〉と一刀両断しています。 続きを読む

『摩訶止観』入門

創価大学大学院教授・公益財団法人東洋哲学研究所副所長
菅野博史

第35回 方便⑥

[3]具五縁について④

(4)懺浄を明かす②

②事懺の逆流の十心

 前項では、煩悩、業、苦が連鎖し、ついに一闡提(いっせんだい)にいたるまでを明かしている。この順流の十心を対治して悪法を除くものが逆流(罪の流れに逆らうこと)の十心である。順流の十心は、事懺(じせん)と理懺(りせん)に共通であり、逆流の十心については、事懺と理懺のそれぞれについて別立てで説明されている。
 第一は、仏法の因果を信ずることによって、一闡提の心を破ることである。第二は、自分で自分を恥じ、天に恥じ、他人に恥じることによって、慚愧(ざんき)のない心を破ることである。第三は、悪道を恐れることによって、悪道を恐れない心を破ることである。第四は、自分の罪を隠蔽しないことによって、罪を覆い隠そうとする心を破ることである。第五は、連続して悪をなす心を断ち切ることによって、常に悪事を思う心を破ることである。第六は、菩提心を生ずることによって、すべての場所に広く行きわたって、悪を起こす心を破ることである。第七は、功徳を修めて過失を補うことによって、身口意の三業を放縦にする心を破ることである。第八は、正法を守護することによって、随喜(他人の幸せを喜ぶこと)のない心を破ることである。第九は、十方(四方、四維、上下の方向)の仏を念ずることによって、悪友に従う心を破ることである。第十は、罪の本性が空であることを観察することによって、無明(むみょう)の暗闇を破ることである。 続きを読む