書評『宗教を哲学する』――政治と宗教を考えるための画期的論考

ライター
小林芳雄

日本における宗教理解の浅薄さ

 2022年7月、安倍晋三元総理が凶弾によって倒れた。逮捕された容疑者の犯行動機が旧統一教会への恨みであったことから、政治と宗教の問題がにわかに注目を浴び、大きな問題としてとりあげられた。ワイドショーでは旧統一教会と政治家の関係性を追求し、そこにジャーナリストや研究者が登場し、さまざまな議論を繰り広げた。また国会でもこの問題がとりあげられた。
 しかし、それらの発言には時局迎合的なものが多く、国家と宗教という問題を真面目にとりあげ議論を深めていこうとする人は、ほんの一握りでしかない。
 本書は副題に「国家は信仰をどこまで支配できるのか」とある通り、国家と宗教の関係性というテーマを真正面からとりあげている。
 同じ問題をあつかった本がこれまで出版されてきたが、憲法や法解釈の観点から論じたものが大半を占めていた。しかし本書は哲学という観点から問題の本質に迫ろうとする画期的な論考といえるだろう。
 著者のひとり仲正昌樹氏は、法思想や現代思想を専門とし、ハイデガーやアーレントなど、難解で知られる哲学書を徹底的に掘り下げ、分かりやすく解説することで定評がある。また学生時代に旧統一教会に在籍し、自ら脱会をしたという経験を持つ。現在は金沢大学の法学類教授を務めている。
 もうひとりの著者塩野谷恭輔氏は、大学院時代に宗教学・旧訳聖書学専攻し、現在は雑誌『情況』の編集長である。

 マインドコントロールを定義して、一律に禁止するというようなことはできないでしょう。マインドコントロールの学問的な定義など確立していません。(本書49ページ)

 本書を一読して驚かされるのは日本人の宗教理解がいかに浅薄であり拙劣であるかということだ。マインドコントロールという言葉自体、学問的にまともに定義されていない。にもかかわらず、ワイドショーやネットニュースで平然とその言葉を使い宗教批判を展開する。また宗教者に対して「あなたはマインドコントロールを受けているから……」と言ってはばからない人もいる。挙げ句の果てにはマインドコントールの有無がカルトと普通の宗教を分ける一線だといい、日本版カルト規制法の制定を求める政治家すらいた。もともと国民が求めていたのは、同じようなショッキングな事件を再び起こさないための、実証的検証や慎重な議論だったはず。また、そこにこそ有識者が果たすべき役割があるはずだ。
 そもそもマインドコントロールを文字通りに理解するなら、それを受けた人は心理的に操られているので責任能力のない人になってしまう。そうした人が行った違法行為や不当な献金をどう取り締まるというのか。
 定義すらできていない言葉を使って議論を組み立てることは粗雑であるばかりか、暗に「宗教を信じている人は馬鹿にして良い」と言っているようなものだ。これでは人権侵害といわれても仕方がない。

いわゆる「宗教二世問題」をどう捉えるか

 今回、旧統一教会の救済法で、元二世信者の被害者がたくさん出てきたでしょ。元二世というのは本当なんでしょうけど、あれはたぶん成功体験に乗っかりたいんだという見方もできる。この人たちこそ、旧統一教会の体質そのものだなと感じます。(中略)そういう状況では、法案を作ることに自分が貢献したということになれば、参加実感が半端なくつよいでしょうね。だって統一教会は法案なんか作ったことないんですから。(本書90~91ページ)

 昨今、世間を騒がせている宗教二世問題に対しても、批判の目を向けている。そもそも元信者といっても、一括りにできないぐらい、さまざまな状況の人がいる。なかには本当に悲惨な目にあった人もいたことは事実である。しかし全てがそうなのかといえば、むしろ疑問符がつく。救済法案に集まった署名の数は、およそ三万筆。しかしそうした熱心な活動はむしろ統一教会らしい、と元信者である仲正氏はいう。その裏には信仰を失った喪失感を埋め合わせるため、社会で新たなる役割や実績を獲得したいという強い欲求があるのではないかと。
 最近は以前にも増して「勝ち組」「負け組」やという言葉を耳にするようになった。所属していた組織を批判すれば、世間から注目を集め社会的に容認される。「負け組」から「勝ち組」になれる。日本社会の風潮が宗教二世の問題の背景には働いているのかもしれない。

政教分離を理解する必要性

 人々の生き方に対する宗教組織の影響力が弱まり、国民統合の観点から宗教や思想・信条の違いに関係なく人々を平等に扱う必要が高まったことから、近代国家は「政教分離」と「信教の自由」を基本方針とするようになったのです。(中略)
 旧統一教会であれ、他の宗教団体であれ、自分たちの宗教的理想の実現に協力してくれそうな政党や政治団体を支援し、影響を与えることが、政教分離の名の下に否定されるということはない。ここを理解しないまま‶政教分離原則〟違反などと言い出すと、お子様な話になってしまう。(本書48~49ページ)

 信教の自由や政教分離原則が法律として定められた起源には、宗教改革以降のヨーロッパの歴史がある。カソリックとプロテスタント陣営に分かれて争われた30年戦争(1618~48年)はヨーロッパ全土を激しい戦渦に巻き込んだ。ドイツでは人口の約30パーセントが失われたという。それ以降も宗派間の争いが内乱の原因となり、政治的不安定をもたらす大きな要因であった。そうした経験への反省から、ロックやミルなどの哲学者は市民社会における自由や寛容の精神の重要性を説き、その影響のもとで「信教の自由」や「政教分離原則」は生まれた。こうした歴史的背景への理解を欠くと、政教分離=政治に宗教者が関わってはいけない、という安直な理解になってしまう。
 安倍元総理の銃撃事件を発端にして起きた政治と宗教をめぐる問題は、図らずも日本人の宗教理解の浅はかさを露呈することになってしまった。しかし国際化が進んだ現在の日本社会では、外国から来た宗教や国家体制の異なる人たちも数多く住んでいる。そうした異なる文化や信念を持つ隣人とも付き合っていくためにも、また国際社会の中における地球規模の問題解決への他国との協調のためにも、宗教への理解を深めることは欠かすことができない。
 本書はこれ以外にも、マルクスの宗教理解の問題やカール・シュミットが論じた国家主権と宗教をめぐる問題など、興味深い問題が数多く論じられている。政治と宗教を理解するためには必読の書であるといえよう。日本人の宗教をめぐる議論が深まることを願って止まない。

『宗教を哲学する』
(仲正昌樹・塩野谷恭輔著/明月堂書店/2023年7月20日)

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こばやし・よしお●1975年生まれ、東京都出身。機関紙作成、ポータルサイト等での勤務を経て、現在はライター。趣味はスポーツ観戦。