「平和安全法制」から6年――「戦争法」と騒ぎ立てた人々

ライター
松田 明

昭和47年の「政府見解」

 平和安全法制関連2法(以下「平和安全法制」)が公布されて、この9月30日で6年が経つ(2015年9月30日公布)。
 当時、北朝鮮による核開発のエスカレート、中国の海洋進出など、東アジアの国際情勢は緊迫していた。
 日本がまだ民主党政権下にあった2012年8月、すでに米国は「第3次アーミテイジ・ナイ・レポート」で、第1次、第2次に重ねて、日本の集団的自衛権行使の禁止が日米同盟の深化の構築の妨げになっていると警告していた。
 冷戦構造はその20年以上前に終わっており、米国や英国は日本に対し、国際社会の枠組みに合わせて、いわゆる〝フルスペックの集団的自衛権〟を容認するよう求めてきたのだった。
 安倍首相(当時)は2014年5月、「限定的に集団的自衛権を行使することは許されるとの考え方」で与党協議に入るよう指示した。
 国連憲章は第51条で、「個別的」「集団的」いずれの自衛権も国連加盟国に認めている。一方、日本国憲法は第9条で「戦争の放棄」「戦力の不保持」「交戦権の否認」を定めているが、同時に前文で「全世界の国民が平和のうちに生存する権利を有している」と謳い、第13条では国民の生命、自由、幸福追求権も謳っている。
 ここから日本政府は1972年(昭和47年)に「自衛のための武力行使」は日本国憲法でも認められているとの政府見解(以下「昭和47年の政府見解」)を発表した。ただし、

 他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない。(内閣法制局「集団的自衛権と憲法との関係」)

と明記している。
 ここにある「他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権」が〝フルスペックの集団的自衛権〟を指す。

公明党がかけた〝縛り〟

 自民党と公明党との与党協議で、公明党は法曹家である北側副代表らが中心となって理詰めで議論を進めた。集団的自衛権が国際法上は認められているとしても、日本の場合、あくまで日本国憲法の範囲内で、「昭和47年の政府見解」と齟齬をきたさないものでなければならない。これが公明党と内閣法制局の譲れない立場だった。
 もし、これを超える集団的自衛権を認めるならば、もはや憲法を改正するしかない。
 2014年7月1日、与党協議の結果が「閣議決定」された。公明党はそのなかに、日本が自衛のための武力行使ができる要件として、

①我が国に対する武力攻撃が発生したこと、または我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること。
②これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと。
③必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと。

という「新3要件」を明記させた。
 この「閣議決定」は、文面としては国際法でいうところの集団的自衛権を限定容認したようになっている。だが、それは憲法の範囲内で可能な、従来からの個別的自衛権と警察権の範囲内で処理できる部分にすぎない。「昭和47年の政府見解」以上に「できること」「できないこと」の厳密な縛りがかけられたのだ。
 むしろ有事の際、国際社会の圧力に日本が引きずられないよう、憲法の範囲内でできることを明確にした。
 7月14日、15日の衆参予算委員会で、横畠内閣法制局長官(当時)は公明党の北側副代表や西田参議院幹事長(当時)の質問に対し、この閣議決定は、

①いわゆる集団的自衛権の行使を認めるものではない
②憲法の基本原則である平和主義をいささかも変更するものではない
③昭和47年の政府見解の基本論理を維持したもの

と明確に答弁している。
 その後、1年をかけて審議をし、2015年9月に5党の賛成で可決成立、公布されたのが平和安全法制だ。

「殺し、殺される」と扇動

 さる9月8日に立憲民主党や日本共産党など野党4党が署名したのは、「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」との政策合意だ。いわば、この平和安全法制を何が何でも〝戦争法〟と見なして国民の不安を煽ることが、共産党主導の「野党共闘」のキモとなっている。
 平和安全法制ができた当時のことを思い出してほしい。
 今の立憲民主党の主な議員が所属していた民主党(当時)や日本共産党などは、「戦争法」「徴兵制がはじまる」と呼んで、国会の内外でヒステリックな批判を繰り返した。

 日本の防衛とは関係のないもので、海外で自衛隊が武力を行使し、「殺し、殺される」危険に踏み込むことを強制するものです。(『しんぶん赤旗』2016年6月30日)

 日本共産党が今日に至る「野党共闘」を主導しはじめたのも、この平和安全法制が成立した時期。
 旧民主党議員の多くが本音でどう思っているかは、2017年に「希望の党」から「現行の安全保障法制は憲法に則り適切に運用」「現実的な安全保障政策を支持する」という政策協定書を突きつけられた際、われ先にサインして駆け込んだ姿が物語っている。
 その人たちが今また立憲民主党に合流して、共産党と一緒に「安保法制廃止」を叫んでいるのだ。

国際社会からの日本の評価

 しかし、この6年間どうだったか。
 平和安全法制公布直後の11月、日中韓の3カ国首脳会談がなごやかに実現。2017年には南スーダンでPKO活動をしていた自衛隊も撤収。自衛隊は海外での戦争に加わったこともなければ、南シナ海で米中が緊迫した際も対潜哨戒機さえ出さなかった。
 2019年に国際貢献として、エジプトのシナイ半島で活動する「多国籍軍・監視団」に陸上自衛隊の幹部隊員2人を送ったのみ。これは1979年にエジプト・イスラエル間で平和条約が成立した後、82年から各国が停戦監視任務に当たっているものだ。
 むしろ、平時から自衛隊が海外での共同訓練を重ねておく必要性は、今回のアフガニスタンでの邦人救援でも明らかとなった。
 これほど日本政府が自衛隊の運用に慎重になっているのは、平和安全法制によって「できること」「できないこと」が明確になっているからだ。
 2018年には偶発的衝突を避けるため、日中の防衛当局間のホットライン(日本国防衛省と中華人民共和国国防部との間の海空連絡メカニズム)も開設された。
 国際社会が日本をどう見ていたかは、昨年8月に安倍首相(当時)が持病の悪化で退陣表明した際、主要国の首脳たちから寄せられた異例のメッセージによくあらわれている(WEB第三文明「安倍政権の7年8カ月――国際社会はどう見たのか」)。
 中国やロシアも含めて、各国は安倍政権が世界の平和に大きく貢献したことを特筆して賞賛した。日本共産党が今も変わらず「戦争法」などと不安を煽り立てていることが、いかに現実と乖離しているか一目瞭然ではないか。
 そのような政党が「野党連合政権」を掲げ、あの民主党が看板を変えただけの立憲民主党と一体化して政権奪取を叫んでいる。
 言葉巧みに国民を扇動し、社会を分断しているのは誰なのか。有権者は賢明に見極めなければならない。

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「集団的自衛権と公明党を問う(2014年)」(全3回):
集団的自衛権と公明党を問う(1) 「閣議決定」での勝者は誰か?
集団的自衛権と公明党を問う(2) 反対派は賢明な戦略に立て
集団的自衛権と公明党を問う(3) 自公連立の意味