平和安全法制は、国民を守り、国際平和支援で世界に貢献

静岡県立大学グローバル地域センター特任教授/軍事アナリスト
小川和久

安全保障関連法の意義と今後の展望について静岡県立大学グローバル地域センター特任教授で軍事アナリストの小川和久氏に話を聞いた。

安全保障関連法成立は正しい「拙速」な行動

 安全保障関連法が(2015年9月19日)参議院本会議で可決・成立し、2014年7月の閣議決定を受けた法整備に一応の区切りがつきました。
 閣議決定の際、野党やマスコミからは「拙速だ」との批判が向けられましたが、私は、外交・安全保障・危機管理に関する世界の常識に照らして、正しい意味で「拙速」に動いたと評価しています。
「拙速」という言葉は、古代中国の戦略の書『孫子』に由来する言葉です。『孫子』の中では「巧遅は拙速に如かず」つまり「仕上がりがよくて遅いよりも、拙くても早いほうがよい」と戒めの意味で使われています。政治家も官僚もマスコミも「拙速に陥らないように」とネガティブな意味の誤った使い方をしていますが、本来の意味に照らせば、優先すべき目標を迅速に達成することに主眼が置かれていることは言うまでもありません。
 政治の要諦は、優先順位の高い事案を素早く実行に移すことです。その上で、仕上げが必要な部分は、決定後、時間をかけてやっていけばいいのです。しかし、安全保障や危機管理に関する戦後の日本の議論は「巧遅」を絵に描いたような歴史を辿ってきました。
 その点で、安倍首相は、国家・国民にとっての安全を確保する枠組みを確かにすることについて、支持率が下がることを覚悟した上で実行しました。政治のリーダーシップを発揮して「拙速」に行動したことについて、安倍首相はじめ与党である公明党を高く評価したいと思います。

理解不足が本質的な議論を遅れさせた

 安保法制の議論の過程では、野党やマスコミだけでなく憲法学者からも反対の声があがりました。そこで感じたことは、そもそも集団的自衛権と集団安全保障を混同しているなど、理解不足の状態で本質的な議論が遅れてしまったことです。
 整理すると、集団的自衛権は、同盟国や密接な関係にある国同士がお互いに守り合いながら抑止効果を高めようという、国家主権が関わるものです。
 一方で集団安全保障は、国家主権が結ぶものではなく、平和を乱す動きに対して、国連決議などのもとに集まった国々が、協力して圧力をかけ、それでも抵抗する場合に、強制力をもって止めようとするものです。
 これを混同して、イラクのサマワ派遣や南スーダンでの駆けつけ警護を、集団的自衛権といっているのは的外れな批判です。
 それから、憲法9条に照らして違憲だとする主張がありますが、それは違うと思います。日本国憲法の性格を規定しているのは、憲法9条ではなく、憲法の基本原則を明示した前文です。そこでは、世界の平和を実現するために行動することを誓うと誇り高く謳われています。ところが、憲法9条だけに目を向けてしまうと、PKO(国連平和維持活動)のような国際平和協力活動に自衛隊を派遣することすら、できないことになります。自衛隊の存在が違憲となるからです。憲法前文にある平和主義の精神に背反する形になってしまうのです。
 集団的自衛権についても、日本国憲法、日米安全保障条約、国連憲章との整合性から見て憲法に反しないことがわかります。日本の安全保障の前提をなしているのは最高法規である日本国憲法です。憲法に抵触する条約は結べませんし、国連加盟も認められません。ですから、憲法は日米安保条約と国連憲章のいずれの条文をも否定していません。憲法に違反していないからこそ、国連憲章(第51条)で集団的自衛権を明記している国連に加盟し、集団的自衛権を前提とした日米同盟も維持してきたのです。このことからも集団的自衛権が憲法違反でないことは明確にわかるはずなのですが、日本的な議論に終始してしまい、このような視点で議論が行われなかったことが不思議でなりません。
 また、野党による「アメリカの戦争に巻き込まれる」といった反対の声については、国際平和協力活動に関する自らの無知をさらけ出していると言わざるを得ません。なぜなら、国際平和協力活動の現場では、米軍と一緒に行動することは少ないのです。むしろ、同じ国連加盟国として中国の軍と自衛隊が一緒に活動することもありますし、北朝鮮の軍と活動することだって考えられます。現に、今年(2015年)6月にモンゴルで行われた「カーン・クエスト15」と呼ばれる多国間共同訓練では、陸上自衛隊と中国の人民解放軍とが隣り合わせで協力して訓練を行っています。
 一方「中国との戦争」といった意見も聞かれますが、これも誤った認識です。中国は日米と衝突した場合に、国際資本が中国国内から撤退することで経済が崩壊することを自覚しています。軍事的にもアメリカの足元にも及ばないことは承知しており、だからこそ専門的に見た中国は自制的なのです。
 そのような正しい理解がないまま、本質的な議論を遅らせ、結果として国民への説明不足を招いたことは非常に残念です。
 今後、この理解不足を解消するためにも、私は国会に安全保障に関する常設委員会を設置し、政治家が安全保障の基礎から学ぶ環境をつくることを提案しています。

歯止めとしての集団的自衛権

 日本の安全保障を考えた時に、選択肢は2つしかありません。
 それは自前の軍事力だけで平和と安全を実現する武装中立の道と、日米同盟のような集団的自衛権を前提とした同盟関係を結んで平和と安全を実現する道の2つです。
 ただ、実務家の立場からいうならば、武装中立には、大変な負担に耐える覚悟が必要です。今の日本は、日米同盟によって、世界最高レベルの安全を、5兆円規模の防衛費で維持できています。これは費用対効果として非常に優れています。もし、日米同盟を解消して、武装中立を進めるとなると、今の防衛レベルを維持するだけで、年間23兆円程度の防衛費が必要になります。しかし、国民がこれだけの負担に耐えられるとは思えません。そう考えると、日米同盟を活用することが現実的であることは明らかです。
 また、歯止めの問題が常に気にされてきましたが、法律で歯止めをかけることは当然ながら、さらに大枠で考えると国連憲章、そして外国を軍事力で席巻することができない自衛隊の構造自体が歯止めになりますし、集団的自衛権そのものも歯止めになります。
 ドイツは、西ドイツの時代に再軍備する時、個別的自衛権の単独行使が禁止され、一貫してその状態が続いています。つまり、集団的自衛権がドイツの軍事的暴走に歯止めをかけているのです。アメリカも例外ではありません。湾岸戦争の時、アメリカは単独行動に近い格好で軍事力を行使したかったわけですが、集団的自衛権で結ばれた同盟国の反対が、アメリカの軍事的突出にブレーキをかけました。
 他国と協調しながら日本の安全を守る自衛の措置が集団的自衛権の発想です。その他国との協調が歯止めの機能を果たすということをぜひ知っていただきたいと思います。

生命の危機に取り組む公明党に期待

 安保法制の議論の過程で、国民の不安を自民党に問題提起し、政府にも指摘しながらここまで法案を練り上げることができたのは、公明党の極めて大きな功績だと思います。
 公明党は、福祉の推進で国民を守り、災害や事故の際に活躍するドクターヘリの導入など多くの実績を残してきました。生命の危機との観点に立脚すれば、福祉や災害・事故は基礎問題ともいえます。
 公明党は、こうした基礎問題に着実に取り組む中で、国民の理解を得て、そこで税金を使うことの合意を形成してきました。もし、ここで意見が割れてしまうようでは、生命の危機の応用問題ともいえる、安全保障の議論を進めることなどできません。基礎問題が解けない政党が応用問題を解けるはずがないのです。
 その点、公明党は基礎問題に一つ一つ着実に取り組んできたからこそ、安全保障の議論の中心で力を発揮することができたのだと思います。ぜひ、今後も安全保障の議論をリードする役割を果たしてくれることを期待しています。

<月刊誌『第三文明』2015年12月号より転載>


おがわ・かずひさ●1945年、熊本県生まれ。陸上自衛隊生徒教育隊・航空学校修了。同志社大学神学部中退。地方新聞記者、週刊誌記者などを経て、日本初の軍事アナリストとして独立。外交・安全保障・危機管理(防災、テロ対策、重要インフラ防護など)の分野で政府の政策立案に関わり、国家安全保障に関する官邸機能強化会議議員、日本紛争予防センター理事、総務省消防庁消防審議会委員、内閣官房危機管理研究会主査などを歴任。小渕内閣では野中官房長官とドクターヘリを実現させた。著書多数。近著は『日本人が知らない集団的自衛権』(文春新書)。メールマガジン『NEWSを疑え!』を発行