核兵器の恐怖から人類を解放するために(上) 世界で続く紛争で核兵器が使われたなら

中部大学教授
酒井吉廣

 3回にわたり「核兵器の使用が世界人類にとって如何に悪か」を綴っていく予定だ。その第1回目として「普通の爆弾が核爆弾だったら」という視点で検証していく。

911テロに核爆弾が使われていたら

 2001年9月11日午前、米国ニューヨークのワールド・トレード・センター(WTC)の2本のビルにハイジャックされた旅客機が相次いで突っ込んだ。同じタイミングで、バージニア州にある国防総省(通称「ペンタゴン」)にも旅客機が突っ込み、ペンシルバニア州ではハイジャックしたテロリストと乗客とがもみ合いになり旅客機は墜落した。
 さて、このテロで核爆弾が使用されていたらどのような事態になっていただろうか。現在の核兵器は、広島型や長崎型とは比べ物にならないほどの破壊力を持っているが、ここでは広島型と同じ威力だと想定してニューヨークとペンタゴンの被害を考えてみる(広島のデータを基に筆者が試算)。まず、WTCはハドソン川を挟んだ対岸にニュージャージー州(ジャージー・シティ)の街並みもあるため、恐らく全体で50万人が死亡、300万人が被害を受けただろう。自由の女神は熱波と爆風で消滅する。次にペンタゴンだが、周囲に幾つもの住宅街があるほか、ポトマック川を越えればワシントンD.C.である。ただ、ニューヨークに比べて人口が少ないので死傷者は全体で5万人ぐらいだろう。ペンタゴン自体は頑丈な外壁を含めて崩壊し、ワシントンD.C.にあるリンカーンの像も爆風で壊れるかも知れない。
 なお、放射線量など放射線の影響については、広島でのデータが少ないため試算はできないが、放射性物質が人体へ悪影響を及ぼすことは間違いないだろう。
 いずれにしても、ニューヨークもワシントンD.C.も目を覆いたくなるような凄惨な〝火の海〟と化し、世界の政治と経済の中心が機能を失うことになる。そのため、世界中がパニックとなるのは間違いない。また、原爆症を患う人が数多く出るだろう。被爆二世も誕生して苦しむことは連鎖することになる。まさに地獄だ。
 核兵器禁止条約(注)には50か国が加盟しているものの、米国などの核兵器保有国のみならず、米国がテロリスト支援国に指定する国(北朝鮮、イランなど)は加盟していない。従って、この仮の話は全くの妄想とは言い切れず、いつ現実になるかわからないことを覚悟する必要がある。

注…全20条から成る「核兵器禁止条約(=核禁条約)」は2020年1月に発効された。この条約の特徴は、前文で被爆者の苦しみ等に触れ、第4条では核兵器保有国であっても、定められた期限までに核兵器を廃棄することを前提に加盟できると規定し、第8条で条約非加盟国やNGOなどがオブザーバーとして締約国会議や再検討会議に参加できることを認めている点だ。
 核兵器による惨状という現実に目を向けつつ、近未来には国連加盟国全体を核禁条約へ取り込んで、真に世界から核兵器の恐怖を取り去ろうとする高い意識を表した内容といえる。

核兵器の恐ろしさ想像する

 911テロの時、仕事の関係でニューヨークに居を構えていた筆者は、ワシントンD.C.への出張中で国務省のビルの中にいた。そこで、筆者個人のテロ被害の体験が原爆被害だったらと想像してみたい。
 テロの瞬間、筆者は国務省のビルの中で会議をしていた。そこへ突然、何の説明もなく「退去」と叫ぶ警備員に圧倒されてビルの外に出た。国務省はペンタゴンから約3キロなので、爆風と熱波を受けた可能性がある。また、そこからホワイトハウスの北にある自分のオフィスに戻る間に放射線を大量に浴びたと思われる。(ちなみに、911テロを経験して初めてわかることだが、近くで旅客機が突っ込んだ事件が起きていても、自分の身の回りが平穏であれば、それがどれほどの危険を伴う事態かを直ぐに認識するのは難しい。)
 全ての交通が止まり、その日はワシントンD.C.のオフィスに泊まるしか方法がなかったのだが、核爆弾であれば、ペンタゴンから1キロほどのレーガン・ナショナル空港も破壊されただろうから、ニューヨークに戻るには鉄道を使うしかなくなる。ただし、駅まで2キロほど歩く間にどれほどの被爆者と出会うだろうと考えると身の毛がよだつ。なぜなら、ワシントンD.C.の中心には病院がほとんどないため、被爆者は横になれる場所を探して彷徨うと考えられるからだ。
 筆者の友人に、公明党の衆議院議員・岡本三成さんがいる。ニューヨークの同じマンションの向いに住んでいたことが縁で、家族ぐるみの付き合いさせてもらっていた。実は、岡本さんは、911テロの時、ニューヨークのマンハッタンにあるオフィスに出勤していて、テロの被害にあっていた。命からがら自宅に戻ったとのことだ。彼のオフィスが入ったビルはWTCに近い場所だったので、今では有名となった「100階建てのビルが崩れるのを後ろにして逃げ惑う人たち」の一人だったと聞いた。もし、あのテロで核爆弾が使用されていたら、彼の命はなかっただろう。岡本さんが核禁条約関連に人一倍注力する理由の一つに、この経験があるのではないかと筆者は考えている。
 一方、筆者のオフィスは、WTCの隣のビルだったため、(私が出張せずにいた場合)原爆であったなら、間違いなく身体ごと融けてしまっていたに違いない。
 人類は核兵器を二度と使ってはいけないことを、通常兵器による被害を核兵器に置き換えて考えてみると、物語ることができる。

被爆者を襲った恐怖の後の精神的なトラウマ

『第三文明』7月号の「重粒子線がん治療の普及」でインタビューを受けている山下俊一教授は、長崎の被爆二世だ。チェルノブイリにも現地調査に入った経験を持つ。筆者は、福島第一原発事故の後に福島県郡山市に炊き出しのボランティアに参加した際、彼と会っている。また、筆者は学生時代には被爆者の話を聞いて回ったことがあり、彼からの話を含めて、被爆体験は身体上の問題のみならず、精神的なトラウマになっていたことを忘れてはならないと痛感していた。ちなみに、息子は、911テロの時、小学校の屋上で3キロ離れた場所でWTCが崩れるのを目撃したことで、テロに関する怖い夢を2年ほど見続けた。あのテロの経験でさえそうなのだから、子どもの頃に原爆の被害を直接受けた人たちの精神的なトラウマは筆舌に尽くしがたいものだったに違いない。
 核兵器の被害として考えられることは、
①被害者が通常兵器とは比べ物にならないほどの身体的被害を受ける、②放射線の害は被爆二世にも受け継がれる超長期の災厄である、そして、③精神的な苦痛は恐らく死ぬまで無くならない――ということである。③の精神的病気は、被爆者として国の補助を受けることはできず、広島と長崎には、ただただ苦しむだけの人も多かった筈である。
 次回は、冷戦終結後、米中関係を含めて世界全体が冷静さを失い、リスクを高めている中で、核兵器禁止条約が発効したことの意義について触れてみたい。

「核兵器の恐怖から人類を解放するために」(全3回):
(上)世界で続く紛争で核兵器が使われたなら
(中)時宜を得た核禁条約発効に日本人はどう対応すべきか(8月6日公開予定)
(下)…近日公開

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さかい・よしひろ●1985年日本銀行入行。金融市場調節、大手行の不良債権問題を担当の後、信用機構室人事担当調査役。その後米国野村証券シニア・エグゼクティブ・アドバイザーを経て日本政策投資銀行シニアエコノミスト。この間、2000年より米国AEI(アメリカン・エンタープライズ研究所)研究員、2002年よりCSIS(米国ワシントン戦略国際問題研究所)非常勤研究員、2012年より中国清華大学高級研究員を兼務。2017年より中部大学経営情報学部教授。東日本国際大学客員教授、東京大学総長室アドバイザー、北京大学新構造経済学院客員研究員。専門分野はゲーム理論、国際関係論。日米中の企業の顧問等も務める。ニューヨーク大学MBA、ボストン大学犯罪学修士。