特集⑧ 周恩来との歴史的会見――米中ソをつないだ池田会長

ライター
青山樹人

一期一会の会見

 訪ソから2カ月半後の1974年12月2日、池田会長は再び中国を訪問した。この訪中で、コスイギン首相のメッセージは、会長から鄧小平副首相ら中国首脳に伝えられた。
 一触即発だった中ソの首脳間を、池田会長は民間人として結んだのである。
 このことについて、現在の駐日ロシア大使であるミハイル・ガルージン氏(発言当時は公使)は、こう述べている。

 旧ソ連と中国が難しい局面にあった時期に、池田先生はコスイギン首相から「ソ連は中国を攻めない」という言葉を引き出し、それを中国の指導者に伝えてくださいました。このことは、やがて歴史の上で実現しています。先生が中ソ間の関係改善にも大きな協力をしてくださったことを、私たちはよく認識しています。(『潮』2008年5月号)


 なお、このガルージン駐日大使は、モスクワ大学から創価大学に留学した1人である。
 訪中日程の最終日である12月5日。答礼宴が終わりかけた頃、周総理との会見が会長に伝えられた。会長は重病の床にある総理を気づかって固辞したが、これは総理の強い意志によるものであった。
 会見は総理が入院していた病院で、夜半からおこなわれた。医師団は猛反対したものの、「どうしても会わねばならない人がいる」という総理の思いは固く、最終的には夫人の鄧穎超が医師団を説得した。

 2度目の訪中ですね。

 総理は開口一番にそう語った。互いに出会うことを切望していた者どうしである。

 中国は決して超大国にはなりません。

 20世紀の最後の25年間は、世界にとって最も大事な時期です。お互いに平等な立場で助け合い、努力しましょう。

党史に確定した会見の意義

 当時は、権力奪取をもくろむ「四人組」が周総理の追い落としを狙っていた時期である。総理は言葉を選びながら会談を進めたが、その様子から既にコスイギン首相のメッセージが総理にも伝わっていると池田会長は感じとった。
 総理は日中間の平和友好条約の早期締結を希望した。さらに若き日に日本に留学していた日々のことを懐かしく語り、桜の季節に日本を発ったことを述べた。会長が再度の訪日を希望すると、

 願望はあります。が、実現は無理でしょう。

と答えた。病状は重かったのである。
 総理は、早く終えるようにという医師団からのメモを無視して話し続けた。総理の体調を気づかった池田会長が半ば強引に切りあげるまで、会見は30分に及んだ。日中とアジアの未来を見据えた一期一会の、2人の巨人の歴史的会見であった。
 前述した『周恩来と池田大作』を刊行した中央文献出版社は、中国共産党中央委員会として党史的に評価が確定したものを出版する特別な出版社である。
 同書の日本語版監修にあたった西園寺一晃・工学院大学孔子学院院長は、この本が中央文献出版社から刊行されたことについて、

 周恩来総理と池田大作会長の結びつき、七四年十二月の会見前後の状況、池田会長の日中関係における功績が、中国の党史において、その評価が文献的に確定したことを意味する。これは大変なことである。(同書の日本語版)

と記している。

周総理の遺志を継いだ会長

 その後、池田会長は周総理の遺志を継ぐように、日中の相互理解と関係改善に尽力し続ける。自身も訪中団を率いて、計10回にわたって中国を訪れ、歴代の指導者と友誼を深めてきた。
 北京大学で3度、ほかに復旦大学、深圳大学、中国社会科学院でも講演してきた。
 東京富士美術館での「中国敦煌展」開催や、周総理が手塩にかけた東方歌舞団の民音招聘など、中国の文化芸術の紹介にも尽力。
 常書鴻(敦煌研究院初代院長)、段文傑(敦煌研究所2代院長)、季羨林(北京大学終身教授)、蒋忠新(中国社会科学院教授)、章開沅(華中師範大学元学長)、高占祥(中華文化促進会主席)、王蒙(作家・元中国文化相)ら、中国を代表する識者との対談集も編んできた。
 また1975年には、新中国初となる日本への国費留学生6名を、会長自らが身元引受人となって創価大学に受け入れた。その1人だった程永華氏は、のちに2010年から2019年まで歴代最長の任期で駐日本特命全権大使を務めた。
 1985年には、胡錦濤(のちの国家主席)を主席とする中華全国青年連合会と創価学会青年部の交流議定書を締結。以来、両者は日中間の政治状況に左右されることなく、着実な相互交流を続けてきた。交流30年の佳節であり戦後70年の節目となる2015年6月にも、全青連の招聘で創価学会青年部が北京、天津、延吉、大連などを訪問している。
 胡錦涛は国家主席となって訪日した2008年、池田会長と再会している。
 周総理と会見した翌月の1975年1月、池田会長は米国を訪れ、ワルトハイム国連事務総長、ヘンリー・A・キッシンジャー国務長官らと会談した。
 とくにキッシンジャー国務長官からは「日中平和友好条約」締結への賛意を引き出した。日本政府が日中関係を進めるうえで米国の理解を得ることは不可欠だったのだ。
 キッシンジャー会談と同じ日、会長は訪米中だった大平正芳蔵相(当時)から要請を受け、ワシントンの日本大使館で会談した。大平は田中内閣時代、外相として日中国交正常化に取り組んだ当事者である。「日中平和友好条約」締結は国交正常化の共同宣言にも盛り込まれながら難航していた。日本国内、とりわけ自民党内に抵抗が強かったのである。
 この「日中平和友好条約」への米国国務長官の賛意は、会長から大平蔵相に伝えられた。条約は、福田内閣になり大平が自民党幹事長になった1978年に締結されている。
 キッシンジャー氏と池田会長との友誼は深まっていき、両者はこのあと8度の会談を重ねて対談集『「平和」と「人生」と「哲学」を語る』(潮出版社)も刊行されている。

※この記事は『最新版 世界広布新時代への飛翔』(青山樹人著/鳳書院)をベースに加筆修正したものです。

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あおやま・しげと●著書に『宗教はだれのものか』(2002年/鳳書院)、『新装改訂版 宗教はだれのものか』(2006年/鳳書院)、『最新版 宗教はだれのものか 世界広布新時代への飛翔』(2015年/鳳書院)など。WEB第三文明にコラム執筆多数。