この数年、「ケア」という言葉をよく見かけるようになった。文学、アート、音楽、さまざまなシーンで、ケアにかかわる作品の制作や、ケアを軸に作品を論じる批評を見聞きした。ケアとはなにか? 哲学者の鷲田清一は、すでにずいぶんとまえから、この問いを発してきた。
『〈弱さ〉のちから ホスピタブルな光景』は2001年に出版されている。
ケアについて考えれば考えるほど、不思議におもうことがある。なにもしてくれなくていい、とにかくだれかが傍らに、あるいは辺りにいるだけで、こまごまと懸命に、適切に、「世話」をしてもらうよりも深いケアを享けたと感じるときがあるのはどうしてなのか
そういう経験は、僕にもある。それは実存そのものの息吹や体温と関係しているとおもう。もう、だめだ、この先、生きてゆけない、と脱力し、坐りこんでいるとき、よけいな言葉をかけることなく、そっと隣に坐って、ともに時を過ごしてくれた人がいた。 続きを読む