書評『J・S・ミル』――自由と多様性を擁護した哲学者の思想と生涯

ライター
小林芳雄

「精神の危機」を乗り越えて

 本書は、経済学者・哲学者として知られるジョン・スチュアート・ミル(1806~1873年)の評伝である。前半は『自伝』にもとづき思想の形成過程をたどり、後半は代表的な著作を読み解く。道徳と政治を中心にミルの思想を解説した入門書である。
 ミルは9人兄妹の長子として誕生した。父ジェイムスは「最大多数の最大幸福」という言葉で有名な哲学者・ジェレミー・ベンサムの思想的盟友であった。彼は初めての子どもに大きな期待を寄せ、ミルを同世代の子どもから引き離し学校にも通わせず、ベンサム主義による独自の英才教育を施した。ミルもその期待によく応え、若き知識人へと成長する。さらに18才で東インド会社に就職し経済的基盤をも確立する。

この過程を把握しておくことは、ミルの成熟期の代表的著作群を理解する上で欠かせない。苦闘の結果ばかりでなく、苦闘という経験それ自体の持つ意義が成熟期の思想の内容に反映しているから、なおさらのことである。(本書49~50ページ)

 だが20才に差掛かった頃に「精神の危機」がおとずれる。ベンサム主義は利己的人間観に基礎をおいている。その哲学による教育を受けたミルだったが、あるとき「これまで取り組んできた社会活動の目標が達成されたとしても、自分は幸福ではない」また「自分は父の教育が作り出した推論する機械で、その性格は変えることはできない」という疑念が襲い、人生の目的を見失い極度の無気力状態におちいる。こうした状態は約6年続いたという。
 転機は突然訪れる。ある人物の回想録を読んで感動した際、ミルは自分のなかに利他的心があることに気づく。そこから、人間はさまざまな心や意欲をあわせもつ複雑で多面的な存在であり、多様に発展しうる内発的な可能性をもつことを発見した。この経験によってミルは危機から抜け出しただけでなく、ベンサム主義の狭い人間観を克服し功利主義の哲学を再構成した。青年時代の危機との格闘と模索が後年のミルの哲学を培ったのである。

論争の書『自由論』

しかし、ミルが重要視している利益は、個人の自発性や知的・道徳的陶冶といった類のものである。社会の大方の人々にせよ、社会の改善をめざしているエリートにせよ、この価値に気づかなければ、あるいは軽視していれば、それを社会の干渉から守る必要性は実感できない。(中略)ミルは、これが現代においては自由に対する最大の脅威だと考えているのである。(本書148~149ページ)

 ミルの著作のなかで最も有名なのが『自由論』である。彼以前にも自由の重要性を論じた思想家は多数いたが、どちらかというと圧政からの自由を訴えたものが多かった。それに対しミルは、思想・信教の自由と言論の自由は民主主義社会の発展には不可欠なものと位置づけた。ここに大きな特徴がある。さらに‶個人の意見と行動は、他者に危害をあたえない限り、政治的・社会的制限を加えてはならない〟という自由原理を示す。この原理は他者危害原則としても知られ、日本国憲法にも幸福追求権として書き込まれている。
 現代に大きな影響を与えた『自由論』であるが、その構成には「説得の書」としての特徴が強くあらわれていると本書は指摘している。
 その理由として、ひとつはミルの健康問題があるという。妻のハリエットを結核で失ったうえに自らも結核に罹患し、人生の残り時間を考えなければならなくなった。
 もうひとつは、当時ようやく根づき始めた民主主義への脅威が多数者の専制とエリートによる専制という形に現れ始めていたことである。双方に共通するのは、人びとに画一的な意見を押し付け、内発的に考える力を挫き、多様な選択肢を検討する能力を奪う点である。しかし多くの人はそのことにまったく無関心であった。
 こうした状況にミルは強い危機意識をもち、最も伝えたいことにテーマ絞りこみ著作を構想した。こうして執筆されたのが「説得の書」としての『自由論』であった。

古典を学ぶ重要性

 またミルは、他にも興味深い議論を数多く展開している。たとえば「思想・討論の自由」を論じた際には、「相手が100パーセント間違っていても、その意見に耳を傾けなければならない」とする。その理由は「間違った意見にふれてこそ、自分が正しいという確信が生まれる」からである。
「論破ブーム」が象徴しているように、最近の日本では異なる立場の人の意見を切り捨てることが一種の流行になっている。そこには相手の意見を尊重し、耳を傾け学ぶ姿勢がすっぽりと抜け落ちている。これでは健全な確信や信念を育むことができないばかりか、社会の多様性を支える寛容の精神が身につかない。だからこそ、安易なレッテル貼りが横行してしまうのであろう。

 もちろん、筆者にも、現代の状況や課題を念頭に置いた政治哲学への関心はある。しかし、古典は、そうした関心そのものを反省し相対化する哲学的なツールともなる。そういう使い方のためにも、古典に向き合うときには、その著者自身の関心に即して理解に努める必要がある、と筆者は考えている。(本書「はじめに」より)

 現在の自分の関心に合わせて古典を読むのも重要だが、古典を通して自分を取り巻く状況を考えるとき、これまでとは違った物の見方や考え方を学ぶことができる。そこに古典を読む愉しさもある。
 本年はミル没後150周年にあたる。ミルが活躍していた時代のイギリス社会と比べて、現代の日本社会はどれだけ進歩したのだろうか。交通や情報技術は格段に進歩したといえるし、医療技術も発達をした。しかし自由や多様性に関してはどうだろうか。
「強い手腕をもった政治家に、絶大な権限を与えれば多くの問題は解決する」という考えはいまだに存在している。またインターネットの普及により、多数派の意見に付和雷同する傾向は、以前にも増して強くなっている。エリートによる専制と多数者の専制という社会的脅威は今日も変わらずに存在している。
 現在の状況を深く理解する力を古典は確実に与えてくれる。自由とは何か、多様性とは何か、それがなぜ必要なのか。ミルの思想に立ち返り、こうした基本的な問題を考える必要があるのだろう。

『J・S・ミル――自由を探究した思想家』
(関口正司著/中公新書/2023年6月25日刊行)


こばやし・よしお●1975年生まれ、東京都出身。機関紙作成、ポータルサイト等での勤務を経て、現在はライター。趣味はスポーツ観戦。