僕の本業は小説を書くことだ。一般に小説家とは孤独な仕事だとおもわれているらしい。確かに書くときには独りである。口述筆記というやり方もあるけれど、僕はパソコンのワードプロセッサー機能を使っているので、速記者や記録係はいない。
ただ、実は、編集者という存在がある。彼らは僕の書いたものを読んで、意見を述べ、ときにアイデアを出し、最終的に作品の評価をする。編集者が納得しないと活字にならないのだ。
つまり、書くときは独りだけれど、僕ら小説家は編集者の眼を感じ、ふと一緒に書いているような錯覚になることもある。編集者は伴走者なのだ。いい編集者はそれを意識していて、こちらが必要なときに相談に乗ってくれたり、思いもかけないときに連絡をくれたりする。
業界で有名な編集者の言葉に、「編集者は語らず。ただ書かせるのみ」というのがある。彼らは黒子であって、表には出ない。少なくとも僕がデビューしたころの編集者はそうだった。
ところが最近、編集者が表に出てくることがある。自分の編集哲学を語ったり、それを本にしたり。これは世の中が「編集」という技を求めているからではないかとおもう。
では、「編集」という技の本質はなんだろうか? 続きを読む
