特集㉝ 断罪された〝狂言訴訟〟――信平夫妻を担いだ者たち

ライター
青山樹人

『週刊新潮』の狂言手記

 刑務所を出た山崎正友は、日蓮正宗管長であった日顕に宛てた手紙の中で、創価学会攻撃の具体的なプランを並べ、「今後、元学会幹部に証言をしていただく必要が多くなります」と書いていた。
 その山崎の策略と符合するように、1996年2月15日、『週刊新潮』(2月22日号)に、創価学会脱会者である信平信子(のぶひらのぶこ)の「手記」なるものが掲載された。信子は1927年5月生まれなので、当時69歳を目前にしていた。
 かつて北海道の婦人部幹部であった信平とその夫は、役職を悪用して会内で禁じられている金銭貸借を重ね、被害者から訴訟を起こされて、裁判所から7000万円にのぼる返済命令を受けていた夫婦である。学会本部から役職を解任されたことを恨み、93年に夫婦そろって脱会していたのだ。
『週刊新潮』の手記は、卑劣な手法で池田SGI会長を陥れようとするものだった。それは、過去3回にわたって函館研修道場内で信子が会長から〝暴行〟を受けたという、恐るべき「狂言」であった。信平信子は、女性として最も許されない恥ずべきことに手を染めた。
 日蓮正宗妙観講の機関紙が『週刊新潮』の発売前から手記の掲載を予告していたことや、雑誌が発売された直後に一部議員が国会でこれを取り上げ、SGI会長の証人喚問を請求した事実を見ても、背後の連携の構図が浮き上がってくる。
 かつて山崎正友の犯罪行為に手を貸して毎日新聞社を辞めていた内藤國夫(特集⑰回)は、自民党の機関紙『自由新報』で、数回にわたってこの信平手記を取り上げ、信平の言う〝事件〟があったかのように騒いだ。
「手記」の発表直後に開いた信平の記者会見は、日顕親衛隊の日蓮正宗妙観講と学会攻撃を専門としていたライターがとり仕切った。さらに世間の耳目を集めるため、信平は6月になるとSGI会長に賠償を求める裁判を民事で起こした。
 刑事告訴の場合は、司法当局の捜査が伴い、いい加減なつくり話がすぐにバレてしまう。しかし、民事ではどのような訴えでも裁判に持ち込むことができる。信平の話がデタラメだからこそ、巧妙に民事訴訟の権利を〝濫用〟したわけだ。
「手記」掲載に先立つ2月2日、信平夫婦が日蓮正宗の檀徒や『週刊新潮』記者だった門脇護らと謀議をしていたことが明らかになっている。この謀議の内容が録音された音声データが、後年になって大石寺の住所からマスコミ関係者に流出した。
 生々しいやり取りの中で、民事訴訟を起こして騒ぐという入れ知恵を信平夫妻にしていたのは、『週刊新潮』の門脇護であった。
 信平信子と夫は6月5日、総額7469万円の損害賠償を求める民事訴訟を東京地裁に提訴。信平はさらに、6月24日に外国人記者クラブでも涙ながらの会見をやってのけ、事実無根の悪意の狂言が世界中に配信されていったのである。

法廷であっさり崩壊した虚構

 それにしても、学会から除名され函館にひっそり暮らしていた老夫婦が、みごとな手回しのよさではないか。そこには信平夫妻を利用し操って、是が非でも騒ぎを拡大しようとしていた者たちの影がありありと見える。
『週刊新潮』の手記は、「第3回・編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」の「スクープ賞」を受賞した。だが、この信平の告白については、当初から不自然な点があまりに目立った。さすがに学会批判の常連メディアも敬遠したが、『週刊新潮』だけがその後も裁判報道に名を借りて、計30回以上も記事にして騒いだ。
 当然ながら、裁判がはじまると信平の主張は跡形もなく崩れた。
 荒唐無稽な〝事件〟があったと彼女が主張する場所は、公道に面した衆人環視の場所であり、別の事件現場だと言い張った建物が当時には存在しないことが林野庁の航空写真で証明された。
 さらに〝事件〟があって衣服を破かれ、負傷までしたと言う日に、にこやかにラジオ体操に参加する彼女の姿が聖教新聞の写真に残っていた。
 デタラメな主張を学会側弁護団に突き崩されるたび、信平は〝事件〟の日時や場所、挙げ句の果てには回数まで、コロコロと変え、最後まで特定することすらできなかった。ありもしない話をつくっているのだからあたりまえである。
 裁判官にデタラメな主張を見抜かれ立ち往生した信平は、今度は裁判官が不公平な判断をしているなどと言いはじめて、「裁判官忌避」などという姑息な申し立てまでおこなった。
 信平ら仕掛けた側にすれば、裁判が続いてさえいれば、スキャンダラスな騒ぎを提供し続けられると考えたのだろう。嘘がバレると筋書きを変え、「思い出した」と言っては新しい嘘をつくり出し、敗訴が確実になると裁判官が学会寄りだと騒ぐ。
 それらすべてを〝学会のスキャンダル〟として一方的に報じ続けたのが『週刊新潮』であった。

最高裁が提訴そのものを却下

 信平信子の悪質きわまりない狂言訴訟について、1998年5月、一審の東京地裁は信平信子の訴えの全部と夫の訴えの一部を棄却した。
 残りの訴えについては審理が続いたが、2000年5月、地裁は「訴権の濫用」であるとして却下した。
 信平側の提訴は、国民に与えられた裁判を受ける権利を悪用し、事実無根の罪状をでっち上げて相手に不利益を被らせるためになされた「狂言訴訟」だと認めて、提訴そのものを却下したのであった。
 信平側は控訴したが、翌年1月に高裁も一審判決を支持して控訴を棄却。さらに上告した信平に対し、6月26日、最高裁は同じく一審判決を支持して上告を棄却した。あの外国人記者クラブの大芝居からちょうど5年目の司法の断罪である。
 異例のスピードで結審されたことは、裁判所がこの訴訟の悪質性を見抜いていたからに他ならない。
 裁判所が「訴権の濫用」を認めるケースは、当時、それまでの日本の裁判史上でも10数件しかない。件数にして百万件に1件あるかないかというものだ。
 2000年5月の一審判決文は、

本件訴えは、訴権を濫用するものとして不適法なものというべきであり、このまま本件の審理を続けることは被告にとって酷であるばかりでなく、かえって原告の不当な企てに裁判所が加担する結果となりかねない

と、信平の起こした訴訟そのものの不当性と悪質性を断罪している。信平が虚構をもとに、騒ぎを起こすことだけを目的として提訴していたことを、裁判所が認定したのである。
 信平夫婦を担ぎ出して世界にデマを報道させた〝事件〟は、日本の法曹史上に残る〝司法制度を悪用した犯罪〟として永遠に刻印されることとなった。
 なお裁判の過程で、信平の手記や訴訟そのものが悪意に満ちた〝でっち上げ〟であったことを理解した自民党は、1998年4月に『自由新報』紙上で創価学会に対する謝罪文を掲載。党総裁であった当時の橋本龍太郎首相が、学会本部に自ら2度、謝罪の電話をかけた。これはまだ自公連立政権が誕生する1年半も前の話である。
 橋本首相は後年にも自らの地元である学会の岡山文化会館に出向いて謝罪の意を表している。
 首相自らの重ねての謝罪という一点を見ても、この〝事件〟がどれほど悪質な人身攻撃であったかを物語っている。

※信平裁判の経緯と判決文は4人の弁護士の共著『判決 訴権の濫用』に詳しい。

※この記事は『最新版 世界広布新時代への飛翔』(青山樹人著/鳳書院)をベースに加筆修正したものです。

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あおやましげと●著書に『宗教はだれのものか』(2002年/鳳書院)、『新装改訂版 宗教はだれのものか』(2006年/鳳書店)、『最新版 宗教はだれのものか 世界広布新時代への飛翔』(2015年/鳳書店)など。WEB第三文明にコラム執筆多数。