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『摩訶止観』入門

創価大学大学院教授・公益財団法人東洋哲学研究所副所長
菅野博史

第41回 正修止観章①

 次に、十広の第七章、「正しく止観を修す」について取りあげる。言うまでもなく、『摩訶止観』全体のなかで、一念三千説が説かれる、最も重要な章である。巻第五上から巻第十下の六巻を占めている。また、第八章から第十章は実際には説かれず、その内容の一端は第一章の「大意」(五略として示される)に説かれているだけである。

[1]全体の構成

 はじめに全体の構成について説明する。この章で最も重要な箇所は、いわゆる十境十乗観法と呼ばれるものであるが、これが説かれるのは、下に示す科文の最後の「2.8. 依章解釈」においてである。そこで、まずはこの範囲の科文を示し、順に内容を紹介する。 続きを読む

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創価大学大学院教授・公益財団法人東洋哲学研究所副所長
菅野博史

第40回 方便⑪

[6]調五事について

 今回は、二十五方便、つまり具五縁、呵五欲、棄五蓋、調五事、行五法の五項目の第四に当たる「調五事」について紹介する。五事とは、食、眠、身、息、心であり、これを適度に調整することが説かれている。
 食と眠は、禅定の時以外についての規定であり、他の三事は、禅定の入定(禅定に入ること)・出定(禅定から出ること)・住定(禅定に留まっていること)の時に関する規定であるとされる。
 食と睡眠については、食べ過ぎたり、食べな過ぎたり、睡眠過多であったり、睡眠不足であったりしてはならないと戒めている。つまり、適度な食事と睡眠が勧められている。健康な日常生活を送るうえでも重要な点であると思うが、止観を実践するうえでも重要なものとされているのである。面白いことに、睡眠は眼の食事といっているが、現代的にいえば、睡眠は脳の食事といったところであろう。
 身、息、心の三事は互いに離れることがないので、合して調えなければならず、「初めに定に入る時、身を調えて寛ならず急ならざらしめ、息を調えて渋(じゅう)ならず滑(かつ)ならざらしめ、心を調えて沈(じん)ならず浮(ふ)ならざらしむ」(第三文明選書『摩訶止観』(Ⅱ)、493頁)と説かれている。
 最初に禅定に入るときの注意事項として、身体を調えてゆるやかでもなく差し迫っているのでもないようにさせ、呼吸を調えてすべりが悪くもなくなめらかでもないようにさせ、心を調えて沈鬱にもならず軽浮でもないようにさせることが示されている。 続きを読む

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創価大学大学院教授・公益財団法人東洋哲学研究所副所長
菅野博史

第39回 方便⑩

[5]棄五蓋について

 次に、棄五蓋について紹介する。この段は、「五蓋の病相を明かす」と「五蓋を捨つるを明かす」の二段に分かれ、後者はさらに「事の棄五蓋を明かす」と「理の棄五蓋を明かす」の二段に分かれる。

(1)五蓋の病相を明かす

 五蓋とは、貪欲、瞋恚、睡眠、掉悔(じょうげ)、疑の五種の煩悩であり、蓋と通称する理由については、「蓋覆(がいふく)纒綿(てんめん)して、心神は昏闇(こんあん)にして、定・慧は発せざるが故に、名づけて蓋と為す」(第三文明選書『摩訶止観』(Ⅱ)、466頁)とある。蓋とはアーヴァラナ(āvaraṇa)の漢訳で、善心を覆蓋(おおいかくすこと)するという意味である。
 前の呵五欲とこの棄五蓋との関係については、「前に五欲を呵すとは、乃ち是れ五根は現在の五塵に対して五識を発す。今、五蓋を棄つるは、即ち是れ五識は転じて意地に入り、追って過去を縁じ、逆(あらかじ)め未来の五塵等の法を慮(おもんぱか)り、心内の大障と為る」(『摩訶止観』(Ⅱ)、466-468頁)とある。つまり、五欲は、五根が現在の五塵(色・声・香・味・触の五境)に対して五識を生じて対象に執着することであるが、五蓋は、五識の根本である意識の段階に深く根をおろしたもので、現在ばかりでなく、過去、未来の五塵に対しても執着を起こすことである。 続きを読む

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創価大学大学院教授・公益財団法人東洋哲学研究所副所長
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第38回 方便⑨

[3]具五縁について⑦

「近善知識」について

 最後に、具五縁の第五の近善知識(良い友人に近づくこと)について紹介する。善知識は五縁のなかでもとくに重要視されており、具五縁の解説の冒頭にも、『禅経』(出典未詳)の「四縁は具足すと雖も、開導は良師に由る」(第三文明選書『摩訶止観』(Ⅱ)、372頁)を引用している。「良師」は、後述する教授の善知識のことである。ここでも、次のように、得道(覚りを得ること)のための大因縁とされている。

 第五に善知識とは、是れ大因縁なり。謂う所は、化導して仏を見ることを得しむればなり。阿難は、「知識は、得道の半の因縁なり」と説き、仏は「応に爾るべからず。全の因縁を具足す」と言う。(『摩訶止観』(Ⅱ)、450-451頁)

 ここに紹介されている得道のための半の因縁か、全の因縁かについては、『付法蔵因縁伝』巻第六の「昔、阿難は仏に白して言うが如し。『世尊よ、善知識とは、得道の利に於いて、半の因縁と作る』と。仏の言わく、『不(いな)なり。善知識とは、即ち是れ得道の全分の因縁なり』と」(大正50、322上23-25)に基づくものである。 続きを読む

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創価大学大学院教授・公益財団法人東洋哲学研究所副所長
菅野博史

第37回 方便⑧

[3]具五縁について⑥

「閑居静処」について

 具五縁の第三の「閑居静処(げんごじょうしょ)」(静かな場所に心静かに住むこと)について紹介する。四種三昧のなかの随自意三昧(非行非坐三昧)は、修行の場所を選ばないが、他の三種の三昧(常行三昧・常坐三昧・半行半坐三昧)は適当な場所を選ぶ必要がある。この適当な場所に、深山幽谷(しんざんゆうこく)、頭陀行(ずだぎょう)を行なう場所、僧院の三種があり、上から順に優れているとされる。『摩訶止観』巻第四下には、

 深山遠谷(おんごく)の若(ごと)きは、途路(ずろ)は艱険(かんけん)にして、永く人の蹤(あと)を絶す。誰か相い悩乱せん。意を恣(ほしいまま)にして禅観し、念念に道に在り、毀誉(きよ)は起こらず。是の処は最も勝る。二に頭陀抖擻(ずだとそう)は、極めて近きも三里、交往すること亦た疎(うと)く、煩悩を覚策す。是の処を次と為す。三に蘭若(らんにゃ)・伽藍(がらん)は、閑静(げんじょう)の寺なり。独り一房に処して、事物に干(あずか)らず、門を閉じて静坐し、正しく諦(あき)らかに思惟す。是の処を下と為す。(第三文明選書『摩訶止観』(Ⅱ)、444頁)

とある。 続きを読む