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芥川賞を読む 第22回『日蝕』平野啓一郎

文筆家
水上修一

キリスト教学僧の、信仰者としての精神闘争を描いた大作

平野啓一郎(ひらの・けいいちろう)著/第120回芥川賞受賞作(1998年下半期)

新人賞をすっ飛ばしての受賞

 第120回芥川賞を受賞した平野啓一郎の「日蝕」は、異色の形で芥川賞候補となった。通常、芥川賞候補になる作品は、いわゆる純文学五大文芸誌(文學界、群像、すばる、新潮、文藝)のいずれかの新人賞を獲得した作品や、その後それらの文芸誌に掲載された作品が選ばれることが多いが、「日蝕」はそれまでに一度の受賞もなく、いきなりの芥川賞候補となった。有名な話だが、当時23歳の京大生だった平野は、そうした新人賞に応募しても途中で落とされると考えて、『新潮』の編集長に手紙を書き「日蝕」を渡し、それが『新潮』に一挙掲載されたのだ。それが話題となり、芥川賞候補にもなって受賞に至った。
 こうした経緯から世間の注目を集め、中には「三島由紀夫の再来」などと評するメディアも登場した。 続きを読む

芥川賞を読む 第21回『ブエノスアイレス午前零時』藤沢周

文筆家
水上修一

目の見えない老婆の踊るダンスに浮かびあがる輝きと寂寥感

藤沢周(ふじさわ・しゅう)著/第119回芥川賞受賞作(1998年上半期)

 W受賞となった第119回芥川賞受賞作の一つは、藤沢周の「ブエノスアイレス午前零時」だった。それまでの藤沢周は、「ゲルマニウムの夜」の作者・花村萬月と共通する荒々しい力が持ち味だと思っていたが、本作品は、以前芥川賞候補となった3作品とは異なる静謐な空気を漂わせている。
 
――主人公のカザマは、東京を離れて雪深い故郷に戻り、冴えない温泉宿の従業員として働いていた。朝、源泉で温泉卵を作ることから始まる退屈な日々に埋没する生活を送っていた――。 続きを読む

芥川賞を読む 第20回『ゲルマニウムの夜』花村萬月

文筆家
水上修一

暴力と性の圧倒的熱量に引きずり込まれる

花村萬月(はなむら・まんげつ)著/第119回芥川賞受賞作(1998年上半期)

凄まじい熱量で読者を引き込む

 第119回芥川賞は、ダブル受賞となった。そのひとつが、今や売れっ子作家の花村萬月の「ゲルマニウムの夜」だ。当時43歳。芥川賞受賞以前から既にその評価は高く、平成元年には「ゴッド・ブレイス物語」で小説すばる新人賞を、平成9年には「皆月」で吉川英治文学新人賞を受賞している。芥川賞受賞は満を持しての受賞ということになる。 続きを読む

芥川賞を読む 第19回『水滴』目取真俊

文筆家
水上修一

奇想天外な物語から、沖縄戦の過去と現在が浮かび上がる

目取真俊(めどるま・しゅん)著/第117回芥川賞受賞作(1997年上半期)

奇妙で強烈な印象をもたらすシーン

 第117回芥川賞を受賞したのは、目取真俊の「水滴」だった。『文学界』に掲載された原稿用紙約60枚の短編小説である。
 目取真の出身は沖縄で、作品の舞台も沖縄。114回の受賞作「豚の報い」も沖縄が舞台だったことから、選考委員の中からは「またしても沖縄か」という声もあったようだが、やはり風土的にも歴史的にも文学の題材が豊富なのだろう。
「豚の報い」もそうだが、魅力の一つは沖縄の人たちの振る舞いからにじみ出てくるおおらかさや笑いである。特に「水滴」は、悲惨な沖縄戦を題材にしながらも、陰々鬱々とただ沈み込むのではなく、ここかしこに生活者の賑やかさや逞しさが漂っているのだ。
 芥川賞受賞の要因の一つとして、優れた構成とそれによる読者を引き込む力があるように思えた。 続きを読む

芥川賞を読む 第18回『海峡の光』辻仁成

文筆家
水上修一

いじめの被害者と加害者の未来。人間の不可解な本性に迫る

辻仁成(つじ・ひとなり)著/第116回芥川賞受賞作(1996年下半期)

ロックバンド「ECHOES」のヴォーカル

 第116回の芥川賞はダブル受賞となった。ひとつは前回取り上げた柳美里の「家族シネマ」。もうひとつが今回取り上げる辻仁成の「海峡の光」だ。
 辻仁成は、もともとロックバンド「ECHOES」のヴォーカルだった。1985年にミュージシャンとしてデビューして、そのわずか4年後に第13回すばる文学賞(受賞作「ピアニシモ」)で作家としてもデビューしているから、多彩な才能と言わざるをえない。当時は、有名ロックバンドのヴォーカルだから文学賞をもらえたのではないかというひねた見方をする者も一部にいたようだが、芥川賞受賞作「海峡の光」を読めば、それはひどい偏見だったことが分かる。 続きを読む