沖縄伝統空手のいま」タグアーカイブ

沖縄伝統空手のいま 特別番外編⑧ 印刷会社として〝空手発祥の地〟をPRする 池宮商会社長・池宮城拓さんインタビュー

ジャーナリスト
柳原滋雄

沖縄で聖教新聞を印刷する会社

印刷会社として空手に貢献する池宮城社長

 沖縄空手4団体の1つ、沖縄県空手道連盟でパンフレットの作成(大会事務局兼務)を長年担当する印刷会社・池宮商会。1950年に祖父が新聞の輸入販売業の会社として創業し、現在、3代目として社長業務にあたる。
 モノレール「県庁前」駅から徒歩2分。久茂地交差点の沖縄タイムス本社ビルの手前を右折すると屋上に「SEIKYO SHIMBUN」の看板が出た池宮商会久茂地ビルが見える。5階建てビルの1階で毎日県内で宅配される聖教新聞が印刷されている。
 沖縄が本土と切り分けられて米軍政下にあった時代。外国である日本本土から朝日、毎日、読売などの邦字新聞を輸入し、沖縄で売る資格を得てスタートしたが、本土復帰(1972年)のころ新聞の印刷に関心のあった創業者が新聞印刷機を購入した。いずれ新聞を刷る機会があるかもしれないという淡い考えからだったというが、その後、米軍基地の新聞印刷などを手掛けた。 続きを読む

沖縄伝統空手のいま 特別番外編⑦ 沖縄空手会館の管理責任者・長堂綾所長インタビュー「むしろこれからがスタート」

ジャーナリスト
柳原滋雄

受託後いきなりの「コロナ禍」へ

沖縄空手会館の施設運営にあたる所長の長堂綾さん

 沖縄県の肝煎りで那覇市に隣接する豊見城市に沖縄空手会館がオープンしたのは2017年3月。以来6年以上が経過し、現在の指定管理者(OTS MICE MANAGEMENT株式会社を中核とする4社の共同企業体)による運営がはじまっている。
 開館から3年間は一般財団法人・沖縄観光コンベンションビューローが指定管理者として受託、2020~22年度は沖縄県内資本の旅行会社である沖縄ツーリスト株式会社が代表企業を務める沖縄空手振興ビジョン推進パートナーズが指定管理の委託を受けた。
 2023年度4月から、グループ会社のOTS MICE MANAGEMENT株式会社が代表企業を引き継ぎ、株式会社セイカスポーツセンター、館内清掃や施設管理を担当する沖縄ビル管理株式会社、周辺の植栽に関わる有限会社西原農園で管理・運営されている。
 沖縄空手会館の運営を開始した2020年4月以降、同じ月に新型コロナの感染拡大により「臨時休館」の措置がとられ、通常営業がかなわなくなった。そのため当初の予定と大きく異なる変更を余儀なくされた。 続きを読む

沖縄伝統空手のいま 特別番外編⑥ 沖縄県空手振興課長・桃原直子さんインタビュー㊦ 「コロナ後を見据えて仕切り直す」

ジャーナリスト
柳原滋雄

「空手発祥の地」認知度アップの課題

空手振興課の3人目の課長・桃原直子さんと班長の仲間直樹さん

――沖縄が「空手発祥の地」である認識は県内ではそれなりに定着していますが、国内の県外にどう広げるかというのは前々からの課題ですね。現状はいかがですか。

桃原直子課長 令和4年度に新たに調査した結果では、県内の認知度は88.5%、県外は30.8%、海外は初めて調査して49.1%という数字でした。前回とった調査では、県内96%、県外34.6%でしたので、いずれも少し低下しています。おそらくコロナなどで道場が閉まったことなどが影響していると考えています。

――意外ですね。調査方法が変わったとか。

桃原課長 いえ、方法は同じです。2021年に東京オリンピックがあって、沖縄の喜友名選手が金メダルをとったのでその影響で伸びると思ったのですが、コロナ禍で空手関連のイベントが大きく減ったことも影響したのかもしれません。 続きを読む

沖縄伝統空手のいま 特別番外編⑤ 沖縄県空手振興課長・桃原直子さんインタビュー㊤ 「コロナ後を見据えて仕切り直す」

ジャーナリスト
柳原滋雄

4年以上空手業務を経験

空手振興課の3人目の課長・桃原直子さん

――縁ありまして、初代の山川課長(4年間)、2代目の佐和田課長(3年間)にも取材をさせていただきました。この4月から3人目の課長として桃原直子さんが就任されました。行政職として空手関係の仕事をされるのはそれなりに長いのですね。

桃原直子課長 2016年4月に空手振興課が設置された際、班長として1年間、関わりました。その直前の文化振興課時代には主幹として2年間空手を担当していました。空手振興課の班長時代は沖縄空手会館の共用開始が最大の課題でしたので、展示室に何を置くかなど、直前まで検討を重ねました。もともと空手は無形の文化ですので、それをいかに展示するかという難しさがありました。さらに沖縄空手会館の管理とともに、第1回沖縄空手国際大会(2018年)の準備を行っている段階で、別の部署に異動になりまして、昨年4月、再び班長として戻ってきました。トータルで課長就任以前に4年間、空手と関わっています。 続きを読む

沖縄伝統空手のいま 特別番外編④――沖縄の村棒(下)前田棒の歴史 富本祐宏さんに聞く

ジャーナリスト
柳原滋雄

男の義務だった村棒の鍛錬

 村棒の中で最も有名な地域の1つが現在の浦添市に存在する「前田棒」だ。古くは浦添城を守るために農業と武芸を磨いた地域として知られる前田部落(浦添村)が舞台となった。
 前田では棒術をたしなまない者は男として認められず、子どものころから棒を持たされた。15歳から45歳まで棒術の稽古が義務とされ、村祭りともなれば、何日も練習に駆り出され、数回行われる本番(出し物)に備えた。
 そうした村の伝統も、1945年の対米戦争(沖縄戦)で土地や家屋そのものが原形をとどめないほどに破壊され、特に県内最大の激戦地となった前田では、そのすべてが消滅した。戦後、「村棒」の伝統を復活させるまでには多くの苦労があったという。
 1939(昭和14)年生まれで沖縄戦当時は子どもだった前田棒の使い手・富本祐宏(とみもと・ゆうこう、84歳)さんに話を聞いた。 続きを読む