2021年「永田町の通信簿」③——真価を発揮した公明党

ライター
松田 明

国民が政治に求めたもの

 新型コロナウイルスのパンデミックがはじまって2年。世界各地ではオミクロン株によるとみられる感染拡大が爆発的に増えており、事態の長期化は避けられない見通しだ。
 日本国内でもコロナ禍で多くの国民が苦痛や困難を強いられ、生きる基盤そのものの揺らぎに直面した。その意味では、公明党が党の「綱領」の冒頭に掲げている、

〈生命・生活・生存〉を最大に尊重する人間主義を貫き、人間・人類の幸福追求を目的とする

 政治というものの重要性を、あらためて誰もが痛切に感じる日々だったといえる。
 同時に、こうした理念に立って政権与党の一翼を担ってきた公明党の真価が、かつてないほど発揮されたのが、このコロナ禍の2年だった。
 公明党が野党時代から一貫して、医療、社会保障、教育、人権、環境といった問題を政治の中心部へと押し上げ続けてきたことは衆目の一致するところだ。 続きを読む

わたしたちはここにいる:LGBTのコモン・センス 第4回 フツーを作る、フツーを超える:トランスジェンダーの生活と意見(後編)

池田弘乃

前編では、たくやさんがGID(「性同一性障害(Gender Identity Disorder)の略語)の言葉を知る前の、自分らしさを封印して生きていた時期を紹介した。

GIDという言葉

 たくやさんがGIDの言葉に「出会った」のは何気なく開いた週刊誌の記事だった。それ以前から「ニューハーフ」についての記事、ニュース、テレビ番組は目にしていたが、自分とは関係ないものと感じていた。「ニューハーフ」のいわば「逆」にあたるのが自分かもしれないという発想は微塵も浮かんだことがなかった。
 GIDという言葉を手にしてたくやさんの気持ちは一気にすっきりとした。早速、自分がGIDに違いないと母親にカミングアウトする。しかし、母の返事は「あなたのことを娘として産んだ」というそっけないものだった。たくやさんが密かに期待していたのは、「そういう風に産んで悪かったね。一緒にがんばっていこうね」というセリフだったのだが、母からは「あなたが男として生きたいのであれば、男として通用する実績を自分でつくっていきなさい。自分の責任で」と突き放すような言葉がかえってきた。期待に反する母の反応に落胆したたくやさんだったが、しだいに母はあの時「茨の道を進むのなら行きなさい。強くなりなさい」と言いたかったのかなと思うようになる。母親自身も、たくやさんのカミングアウトを受け、我が子について、そして我が子との関係のあり方について悩みはじめ、葛藤し始めていく。たくやさんの前ではGIDについて「私はわからない」と繰り返す母だったが、実はしだいにGIDに関する情報を調べたり、ニュースを見たりするようになっていったそうだ。 続きを読む

わたしたちはここにいる:LGBTのコモン・センス 第3回 フツーを作る、フツーを超える:トランスジェンダーの生活と意見(前編)

山形大学准教授
池田弘乃

不十分ではあっても法律の制定を急ぐべきか、納得できる法案に煮詰まるまで時間を待つべきか。……国会では、南野、山下、浜四津、松の四人が各党議員間の調整に走り回り、看護師・助産師出身の南野が大政党の自民党をまとめるのに腐心し、弁護士の浜四津は各党の権威ある政調会で、じっくりていねいに説明をくりかえした。……野党を含め、各党の代表議員を、ともかくも味方にすることに専念し、なんとか合意をとりつけることができた。参議院の本会議で、全会一致で法案の可決が決まるとき、「男が女になる?」「なんだ!これは?」と、野次が飛び、議場がざわついたが、各党の合意ができていたので反対はできないしくみになっていた。
「してやったり。あれは奇襲作戦で、まさに作戦勝ちでした」
南野、山下、浜四津、松は喜びあう。
(谷合規子『性同一性障害――3.11を超えて』、2012年、論創社、266頁)
ここで話題になっているのは、本文で後述の「性同一性障害特例法」のことである。

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2021年「永田町の通信簿」②――広がった日本共産党への疑念

ライター
松田 明

「国際共産党日本支部」

 日本共産党は2022年で創立100周年を迎える。現存する国政政党としては一番歴史が古い。
 ただし、その出発がコミンテルン(共産主義インターナショナル)日本支部だったということを知っている人はあまり多くないだろう。

戦前の「赤旗」――創刊当初はアカハタではなくセッキと音読みで読んでいました――にも、発行元は「国際共産党日本支部」であるとちゃんと書かれています。(佐藤優・池上彰『真説 日本左翼史 戦後左派の源流1945-1960』講談社)

 ソ連は世界各地での共産革命化を図ったが、国家がそれをやれば主権の侵害、内政干渉になる。そこで建前としてはソ連政府と関係のないコミンテルンという国際組織が各国の支部を指導するという体裁にしたわけだ。
 戦後は連合国軍総司令部によって非合法を解かれたものの、日本国憲法が帝国議会で審議された際、政党として唯一、この日本国憲法に「反対」したのが日本共産党だった。
 日本共産党が党綱領から「君主制の廃止」を削除し、ようやく日本国憲法の全体を容認したのは2004年1月のことだ。もちろん、今も象徴天皇制に反対する姿勢は崩していない。 続きを読む

芥川賞を読む 第13回 『おどるでく』室井光広

文筆家
水上修一

読み進めるのが難儀な前衛的作品

室井光広(むろい・みつひろ)著/第111回芥川賞受賞作(1994年上半期)

日本語をロシア文字で表音化した日記

 第111回の芥川賞はW受賞だった。前回取り上げた笙野頼子の「タイムスリップ・コンビナート」と、今回取り上げる室井光広の「おどるでく」だ。『群像』(1994年4号)に掲載された作品で、枚数は約119枚。受賞時の年齢は39歳。
 この作品を語る上では、作者の経歴を知っておいた方ほうがいい。1955年に福島県南会津郡で生まれ、慶応大学卒業後に大学図書館に勤務。予備校講師などを経て創作を開始しているが、当初その才覚を発揮したのは小説ではなく評論だった。1985年には、群像新人文学賞と早稲田文学新人賞のいずれも評論部門で候補となっており、1988年には、「零の力――J.L.ボルヘスをめぐる断章」で、群像新人文学賞「評論部門」を受賞。そして、その12年後に芥川賞受賞を果たしている。
「おどるでく」は、とにかくわかりづらい。最後まで読み進むのに難儀した。これはわたしがアホだからかとも思ったが、他のさまざまな媒体のレビューを見ても、みなさん相当読むのに苦労している様子が伺える。 続きを読む