【コラム】「生き残る力」としての文化力――日本は「文化」を大切にする国か

フリーライター
前原政之

先進国なのに文化にお金をかけない日本

「文化力」という言葉を「国力」のニュアンスで最初に使ったのは、おそらく仏文学者の桑原武夫だと思われる。
 桑原は1979年9月6日付の『朝日新聞』に「劣勢な日本の文化力」という論考を寄せ、その中で「日本は国際的文化力では第三級」と断じ、「日本の対外文化宣伝費がフランスのそれの10分の1しかないことも問題だ」としている。
 日本を代表する知識人の1人であった桑原がそう嘆いてから、三十数年が経った。しかし、状況はいまもあまり変わっていないようだ。
 たとえば、各国の文化予算が国家予算に占める割合を見ると、フランスが1.09%、韓国が0.87%、ドイツが0.39%、イギリスが0.22%であるのに対し、日本はわずか0.11%でしかない(2012年度予算での比較/野村総研「諸外国の文化政策に関する調査研究報告書」より)。大まかに言って、日本の文化予算の割合はフランスの10分の1、韓国の7分の1、イギリスの半分程度であるわけだ。
 昔もいまも、日本は「先進国の中で文化にお金をかけない国」なのである。それはなぜなのだろう?

「過度の実用性重視」がもたらした、文化予算の低さ

 理由の1つとして、〝日本人の実用性重視志向〟が挙げられると思う。
 サイエンス作家の竹内薫氏が、日本人の科学観の特殊性について興味深い指摘をしている。要約すれば次のような指摘だ。

〝欧米人にとって、科学の源流はギリシア哲学にあり、科学は本来哲学的な学問と見なされている。ゆえに、欧米では基礎科学が重視されてきた。
 いっぽう、日本に科学が本格的に輸入されたのは明治からであり、欧米で19世紀に科学と技術が合体したあとだった。ゆえに、日本人は科学を「実用的な学問」と受け止めてしまい、根底にある哲学性は輸入されなかった。日本で基礎科学が軽視され、実用的な応用科学が一貫して重視されてきた背景にも、そのような偏った科学観がある。〟
(竹内薫著『科学予測は8割はずれる』東京書籍、『科学嫌いが日本を滅ぼす―「ネイチャー」「サイエンス」に何を学ぶか』新潮選書 による)

 科学に対して実用性を過度に重視してきたからこそ、短期的視野しか持たず、すぐに実用化されて役に立ちそうな研究にしか予算をつけない。……そうした傾向が日本には抜き難くあり、それが科学技術関係予算の低位安定をもたらしている面があるのだ。

 そして、この「過度の実用性重視」は、科学のみならず文化全般に対して言えるように思う。文化芸術は、総じて実用性から遠い。だからこそ、日本では一貫して予算面で冷遇されてきたのではないか。
 日本の「文化にお金をかけない」姿勢は、経済力の低下と相まって、今後いっそう強まっていくことが懸念される。財政に余裕がなくなるほど、目先の実用性に乏しい文化予算が真っ先に削られていくだろうから……。民主党政権下で行われた「事業仕分け」にも、その傾向ははっきりと見て取れた。
 しかし、そもそも私は、「文化は生活の役には立たないから、財政に余裕がなくなれば真っ先に切りつめるべき」と考える文化観そのものに、強い違和感を覚える。
 目先の実用性だけが、「役に立つ」ということなのではない。百年単位で物事を考える長期的視野に立てば、文化を重んじる国こそが生き残っていくのだと思う。

現生人類とネアンデルタール人の「文化力」の差

 文化力こそが「生き残る力」であることを示す1つのヒントが、先史時代にあった。
 我々現生人類(ホモ・サピエンス)と、旧人であるネアンデルタール人は、何千年にもわたって地球上で共存していた。しかし、ネアンデルタール人はいまから2万数千年前に絶滅し、現生人類は生き残った。
 ネアンデルタール人は、現生人類より体格が大きく、脳の容量も大きかったと考えられている。彼らは、石で作った道具や武器、火を使いこなした。また、死者を埋葬した最初のヒト属としても知られている。現生人類に劣らぬ知性を具えていたのだ。
 にもかかわらず、なぜネアンデルタール人は滅び、我々は生き残ったのか? その謎の答えとして考えられている説は多いが、そのうち私が最も心惹かれたのは「文化力の差が両者の運命を分かった」とする説である。
 それは、ドイツ・テュービンゲン大学のニック・コナード博士が唱えているもの。
 博士は、現生人類が作り出した「造形芸術や装飾品、楽器といったものが、現生人類に ネアンデルタール人を凌駕する強みをもたらした」と述べている(『人類20万年 遙かなる旅路』アリス・ロバーツ著/文藝春秋)。
 芸術を持つことがなぜ生き残る力と結びつくのか、わかりにくいが、博士は次のように説明する。

「音楽が現生人類にどのような優位性をもたらしたかは、まだよくわかっていませんが、複雑で象徴的な表現をし、大きな社会的ネットワークを持つ人々に、それはふさわしいものだと思えます。おそらく音楽は人々をひとつにまとめる役目を果たしたのでしょう。ネアンデルタール人のやり方では、この新たなライバルたちの生活様式、技術、文化、そして社会的ネットワークに到底かなわなかったのでしょう。(中略)人の数が増えて、資源が少なくなったとき、現生人類はネアンデルタール人より迅速に、新しい技術や解決法を見つけることができました」

 一見実生活の役には立たないと思える芸術の探究が、人と人を結びつけて協力のネットワークを生み、同時に脳の進化も促し、めぐりめぐって「生き残る力」としての役割を果たしていった、というのだ。
 もっとも、ネアンデルタール人研究の第一人者であるクライブ・フィンレイソン博士の近著『そして最後にヒトが残った―ネアンデルタール人と私たちの50万年史』(白揚社)
によれば、現生人類が生き残ったのは幸運による面も大きかったという。つまり、地球規模の危機に際して、たまたま生き残りやすい地域に暮らしていたから生き残れたのだ、と……。
 ただし、フィンレイソン博士も、現生人類が先史時代から高度な芸術創造を行っていたこと、高い文化的・技術的業績を成し遂げて生き残ってきたことは認めている。とくに、3万年~2万2000年前にユーラシア大陸に栄えた「グラヴェット文化」の時代に、「芸術の大きな高まりが訪れた」という。
 洞窟壁画はグラヴェット文化期に完成の域に達したし、粘土を高温の窯で焼いた「ポータブル・アート」さえ作られていた。「彼らは、極東ロシアの最初の焼き物師より1万5000年も早く、中東の陶器職人より2万年も前に、陶芸に必要な火の扱い方を身につけていた」のだ。
 グラヴェット文化人たちは、暮らしていた温暖な土地が気候変動で凍てついたツンドラ・ステップに変わっても、知恵と技術でその変化に適応していった。
 その高度な適応力と、彼らが行っていた高度な芸術創造の間には、やはり一定の関係があったのではないか。
 
 文化の追究は、目先の実用性には結びつかなくとも、目に見えない形で人類の「生き残る力」を高める。
 21世紀の我々にも、グラヴェット文化期の人類が遭遇したような未曾有の危機が、いつ訪れるかもしれない。「文化を大切にする国」こそが、その大変化に適応する知恵を発揮し、生き残っていけるのだと思う。

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まえはら・まさゆき●1964年、栃木県生まれ。1年のみの編集プロダクション勤務を経て、87年、23歳でフリーに。著書に、『池田大作 行動と軌跡』(中央公論新社)、『池田大作 20の視点――平和・文化・教育の大道』(第三文明社)、『平和への道――池田大作物語』(金の星社)、『ガンディー伝――偉大なる魂・非暴力の戦士』(第三文明社)などがある。mm(ミリメートル)