「どんなときに幸せを感じるか?」
「人間が不幸なのは、 自分が本当に幸福であることを知らないからである。 ただそれだけの理由によるのだ」
――ドストエフスキーの『悪霊』の一節である。
「しあわせの青い鳥」を探す旅に出たものの、つかまえることができず、家に帰ったら昔から飼っていたキジバトが「しあわせの青い鳥」に変わっていた、というメーテルリンクの戯曲を思い出す。
幸せは遠くに求めるべきものではなく、なにげない日常生活の中にこそある。しかし、多くの人はその幸せに気づくことができない。……などと言うと、お坊さんの法話のようなクサイ人生訓めいてしまうが、最近私はしみじみ「ほんとうにそのとおりだ」と思っている。
少し前、とある酒席で、「どんなときに幸せを感じるか?」という話題になった。
私の番がきて、「朝、犬の散歩をしているときにいちばん幸せを感じる」と言ったら、冗談だと思ったらしく、一同に笑いが起きた。中には、「そんなことがいちばん幸せだなんて、カワイソウなヤツだな」と哀れみの視線を向ける(さすがに口には出さなかったが)者もいた。
だが、私は冗談で言ったのではない。犬の散歩をしているときがいちばん幸せで心安らぐし、そんな自分をカワイソウだともまったく思わない。
ただ、笑われた一件によって、「なぜ私は犬の散歩に幸福感を覚えるのか?」を改めて考えてみた次第である。
幸せなんて、じつはカンタンだ!
海外で行われたある調査で、「あなたがペットを飼うことによって得た利益は?」という設問に対していちばん多かった答えは、「自分がペットに愛されているという実感」だったという。とくに、犬はストレートに飼い主への愛情を表現する動物だから、「愛されているという実感」も強いものになる。
しかも、飼い犬は散歩に連れて行くとすごく喜ぶ。我が家の愚犬など、私が「お散歩行く?」と聞くだけでブンブン尻尾を振り、眼を輝かせて喜ぶほどだ。そのように、散歩は「愛犬を幸せにする行為」でもある。
「自分が愛されている実感」を感じ、その相手を幸せにすること――これが幸福でなくてなんであろうか。相手が人であろうと動物であろうと、幸福感に本質的な差はないはずである。
また、当然のことながら、犬の散歩は適度な運動になる。
心理学の新しい潮流「ポジティブ心理学」の分野では、人間の幸福感を高める方法について、さまざまな角度から研究が進められている。ポジティブ心理学の研究者の一人ソニア・リュボミアスキー(米カリフォルニア大学教授)は、著書『幸せがずっと続く12の行動習慣』(日本実業出版社)の中で次のように述べている。
「運動はあらゆる活動のなかでも、とても効果的に幸福感を高めてくれる方法です」
そして同書では、運動がどれくらい幸福感を高めるかが、研究データから明らかにされている。たとえば、次のような実験結果が紹介される。
うつ病に悩まされている50歳以上の男女を集め、無作為に3つのグループに分ける。第1のグループには有酸素運動をさせる。第2のグループには抗うつ剤を投与する。そして、第3のグループには有酸素運動をさせるとともに抗うつ剤を投与する。
その実験を4ヵ月間つづけた後、3つのグループの参加者はいずれも、うつ状態が改善し、幸福感が増した。しかも、その半年後の経過報告では、抗うつ剤を投与されたグループよりも、運動だけを行ったグループのほうが再発率が低かったという。
「運動をすると気分がよくなる」ことは誰もが知っているが、その心理的効果は、時に抗うつ剤の作用さえ上回るほどのものなのだ。
そのように、適度な運動は人の幸福感を高める。犬の散歩もしかりである。
くわえて、朝の光を浴びると、「睡眠ホルモン」の別名で知られるメラトニンの分泌が抑制されるなど、体内時計が調整され、脳のウォーミングアップと夜の快眠にもつながる。これもまた、朝の犬の散歩に幸福感を感じる理由の1つだろう。
たかが犬の散歩の中にも、これだけ人を幸せにする要素が揃っている。まさに、「幸せは何気ない日常生活の中にこそある」のだ。
以上はほんの一例で、誰の生活の中にも「幸せの種」は転がっているはずだ。
キャッチコピー風に言うなら、「幸せなんて、じつはカンタンだ!」――。あなたの生活の中にも、気づかず見過ごしている幸せがきっとあるはずだ。