書評『歴史を知る読書』――豊かな歴史観を身につけるために

ライター
小林芳雄

〈歴史を知る〉とは?

 著者・山内昌之氏は、国際関係史と中東・イスラーム地域研究の日本における第一人者として知られ、「国家安全保障局顧問会議」の議長を務めるなど、日本を代表する有識者である。
 本書は、歴史学の泰斗である著者があまた出版されている数多くの書籍から、一般の読者でも楽しく読み進められ歴史を知ることができる75冊の本を選び、含蓄に富んだ文章でコンパクトに解説したものだ。
 歴史に詳しい人というと、歴史マニアやクイズ番組で活躍する回答者のように歴史的事件や年号に詳しい人のことだと思われがちだ。しかしそれは歴史知ることの一面に過ぎない。
 歴史は年号や固有名詞を正確におぼえることは基本であるが、そのうえで、歴史学とは積み重ねられた事実から歴史をつらぬく真実を読み取るものである。
 さらには、すぐれた歴史学者はよく知られている歴史的事実に新しい観点から光をあて、一般的な価値観や常識を覆すような研究を行う。そうした研究に基づいた歴史書を読むことは、私たちの歴史に対する考え方や見方を格段に深め豊かにするものであるという。
 つまり〝歴史を知る〟ことは〝歴史観を豊かにする〟ことである。

歴史をただの事実の羅列と捉えていたら、そうした着眼点は得られない。同時に勝俣氏が紹介した中世の人びとと過去との向き合い方は、歴史を学ぶ意味と愉しみを雄弁に物語っている。「バック トゥ ザ フューチュアー」という言葉のとおり、未来への問いを解くカギは、往々にして人類が辿ってきた経験のなかに眠っているのだ。(本書20~21ページ)

 そうした歴史書の実例として紹介されているのが、日本中世史の専門家・勝俣鎮夫氏の研究である。
 勝俣氏が資料を丹念に読み込み明らかにしたところによると、現代の日本人と中世の日本人では「先(サキ)」という言葉の使い方が違っていた。「先」というと現代人は未来を指す言葉として使っている。しかし中世の人たちは「先」は過去を指す言葉として使っていた。時間に対する考え方がまったく異なっていからだ。現代では未来は現在の延長であり、技術の発展などによってある程度の予測ができると考えられている。しかし中世の日本では、未来とは自分たちには見通すことができない神秘的な領域であるとされていた。そこで自分たちでも知ることができる「先の世界」、つまり過去に、「今を生きるヒント」を学んでいたのだ。

幅広い読書と教養も必要

 日本人の作家でおよそ愛国心から危険なスパイ家業を楽しむ者などいたとは思えない。モームは、死への恐怖をのりこえるほど、人間への好奇心や関心が強かったのではないか。もちろん現代ではスパイの性格も変わったに違いない。それでも人間とは何か、文学とはどうあるべきか、といった歴史の本質にかかわる問いを、楽しみながら考えさせてくれる点でも、モームは端倪(たんげい)すべからざる作家といえるだろう。(本書112ページ)

 歴史を知るためには幅広い読書と教養が必要である。狭い専門領域だけを学ぶのみでは豊かな歴史観の持ち主にはなれない。
 本書の目次を見るだけで、著者が幅広い読書を実践していることが良くわかる。専門の国際関係史やイスラーム文化に関するものはもとより、政治や経済、文学作品、果ては江戸時代のトイレ事情や外国人プロレスラーの列伝、英語で書かれた日本案内など、多種多様な本を採り上げている。テレビ番組の論評もある。山内氏がこんな番組を観ていたのか、と本書を読みながら驚いてしまった。
 著者が愛読している作家のサマセット・モームは巧みな心理描写で知られた文豪で、第一次世界大戦の際には英国陸軍のスパイとして活躍していた異色の経歴の持ち主である。著者はモームの執筆の原動力を人間への好奇心や関心に見出している。そしてモームを評した言葉は、そのまま山内氏自身にも当てはまる。歴史を作るのは人間である。その人間に対する好奇心や関心は、豊かな歴史観を育むのに必要なのだ。

歴史健忘症は傲慢を生む

 歴史に学ぶとは、単に軍事的戦略面で過去の理論や手法を知ることではない。歴史を探求することで、強者が弱者に負け、成功者がまたたく間に敗北者となって表舞台から消え去る「歴史への畏怖」を知る意味が大きい。(本書75ページ)

 政治家や経営者は、おのれの無知や傲慢をいましめるためにも、歴史を学び、歴史を畏怖する重要性をあらためて噛み締めるべきであろう。(本書76ページ)

『知恵の七柱』はアラビアのロレンスことトマス・エドワード・ロレンスが書いた回想録である。この本は欧米の社会にアラブ世界を紹介しただけではなく、砂漠でのゲリラ戦の手法を余すことなく解説している。
 イラク戦争からしばらくたった頃、米軍の将校の間でこの本を読むことが奨励された。だが本来こうした本は、戦争が起こる前に読まれなければならないはずだ。そのことを知った著者は愕然としたという。そして、歴史に学ばない人間の傲慢さに対してじつに手厳しい批判を加えている。歴史に学ばない人間は自らの力を過信し傲慢になり、必ず誤りを犯してしまう、と。
 大きな時代の転換期を迎えている。個人においても、社会においても、無知や傲慢さによる誤った判断に陥らないために、豊かな歴史観を身につけることが必要とされている。その大切さを学ぶことができる一書である。

『歴史を知る読書』
(山内昌之著/PHP新書/2023年4月28日刊行)


こばやし・よしお●1975年生まれ、東京都出身。機関紙作成、ポータルサイト等での勤務を経て、現在はライター。趣味はスポーツ観戦。