特集⑥ 安定した民衆勢力へ――21世紀への対話を開始

ライター
青山樹人

安定飛行へ舵を切る

 1969年から70年にかけて、躍進する創価学会に危機感を抱いた者たちが連携した、いわゆる「言論問題」。
 この暴風雨のなかで、もともと病弱だった池田会長は、年末から高熱を発するなど大きく体調を崩していた。障魔はあらゆるところから、広宣流布の指導者を狙い撃ちにしていた。
 じつは会長はそれ以前から、安定した社会勢力としての「質的発展」へと、学会の舵を切っていた。第3代会長就任から、凄まじい勢いで発展拡大を遂げていった学会が、いよいよ国内だけで750万世帯に達しようとしていたからである。
 すでに69年の9月度本部幹部会では、翌70年を「革新の年」とし、別名「新生の年」ともすることが発表されていた。
 70年1月5日の総務会では、新たに副会長制の設置も決定した。同時に、公明党委員長と書記長は、党務と政務に専念するため学会の役職を退くことも決議。その他の議員についても、順次、学会役職との兼務をやめる方針を確認した。
 それまでは、公明党の議員が学会の役職を持ち、学会幹部として信仰の世界でも指導にあたっていたのである。
 もちろん、政治家といえども信教の自由はあり、このことは憲法に照らしても何ら問題のないことだ。事実、他党でも僧籍にある者や現役の神主が国会議員となり、なかにはそのまま首相や衆議院議長など三権の長に就任してきた例すらある。誰もそれを憲法違反だとは非難していない。

憲法は宗教者の政治参加を否定しない

 日本国憲法20条は「政教分離」を定めている。これは英語で「Separation of Church and State」(教会と国家の分離)と表現するように、あくまでも国家権力に対して宗教的中立を求めたものである。宗教の政治参加の禁止や、教団と政党の分離を意味するものではない。
 なぜなら日本国憲法は「法の下の平等」(14条)、「思想・良心の自由」(19条)、「結社・表現の自由」(21条)、「議員及び選挙人の資格を信条等で差別しない」(44条)を定めている。
 もしも20条を〝宗教者や宗教団体の政治活動の制限〟と解釈するならば、これら他の権利と齟齬をきたしてしまう。
 じつはこのことは、日本国憲法が起草された時点でGHQの内部でも議論され、また当時の日本の国会でも詳細に審議されて確認されていることなのだ。
 それにもかかわらず、驚くべき無知なのか悪質な意図なのか、70年の第63特別国会では、学会と公明党の関係を〝憲法違反〟だと問題視する発言が続いたのである。
 会長就任10周年となる70年5月3日、両国にあった日大講堂で創価学会第33回本部総会が開かれた。
 多くの報道陣も詰めかけた総会の席上、池田会長は広宣流布という概念について、「流れの到達点ではなく、流れそれ自体であり、生きた仏法の、社会への脈動なのであります」と語った。
 さらに、宗教は文化の土台であり人間性の土壌だとして、広宣流布とは「妙法の大地に展開する大文化運動」でもあることを示した。
 また、「言論出版問題」が本意ではないにせよ社会の批判を招いたことについて、学会の責任者として率直に謝罪した。
 そのうえで公明党は公党として国民全体に奉仕していくために、人事的にも財政的にも、学会との分離を一段と徹底することをあらためて表明。
 あわせて、一部で喧伝されているような〝国立戒壇のための政界進出〟や、会長自身の政界進出といったデマについても、明確に否定をした。

嵐のなかで世界との対話を開始

 学会への批判は、それでもなお執拗に続いた。
 この1970年9月には、東京・信濃町に最新設備を導入した7階建ての聖教新聞本社新社屋が落成する。
 すでに聖教新聞は発行部数400万部を超え、3大全国紙に次ぐ存在になっていた。荒れ狂う批判中傷の積乱雲のなかで、会長は急上昇してきた創価学会を安定した水平飛行に移し、新しい時代の扉を開こうとしていたのである。
 71年4月2日、初代と2代の会長の悲願であった創価大学が東京・八王子の丘陵に開学。翌72年10月には、やはり恩師から託されていた正本堂も大石寺に竣工した。
 恩師が遺訓とした事業をすべて実現させた池田会長は、「広布第二章」と銘打ち、新たな次元への飛翔を開始した。
 72年5月、池田会長はアーノルド・トインビーの招きを受け、ロンドンの博士の自宅で対談を開始した。
 大著『歴史の研究』などで知られるトインビーは、20世紀最大の歴史家であり、その独特の歴史眼は毀誉褒貶を乗り越えて世界の多くの知性に影響を与えていた。
 生涯で3度、日本を訪問し、大乗仏教に新たな期待を感じはじめていたトインビーは、その最後の訪日(1967年)で創価学会について強い関心をもった。
 69年、彼は池田会長に宛てて書簡を送り、対談を希望する。トインビーがすでに高齢で心臓に病を得ていたこともあり、会長がロンドンを訪ねることとなった。
 池田会長は、68年と70年にも、ヨーロッパ統合の父として知られるクーデンホーフ・=カレルギーと計5回にわたって対談をしている。これは一般紙に連載されたのち、72年に対談集『文明 西と東』として出版された。
 会長は国内にあっては創価学会を安定した民衆勢力へと導き、同時に来たるべき21世紀を視野に入れて、世界との対話という道を踏み出しはじめていた。
「此の法華経を閻浮提に行ずることは普賢菩薩の威神の力に依るなり、此の経の広宣流布することは普賢菩薩の守護なるべきなり」(御書全集780ページ)
 日蓮仏法を実践する創価学会が、現代の混迷する世界に何をなし得るのか。
 一閻浮提広宣流布の実現のためには、創価学会が普遍性のある世界宗教として成熟していかねばならない。
 そのための模索と行動を、この時期、会長は謙虚に大胆に、そして着実に進めていった。

仏法の叡智を人類共有の財産に

 1973年元日、学会本部での新年勤行会で会長は語った。

「広布第二章」とは、生命の尊厳や慈悲など、仏法の哲理を根底とした社会建設の時代です。
 言い換えれば、創価学会に脈打つ仏法の叡智を社会に開き、人類の共有財産としていく時代の到来ともいえます。
 そのためには、原点に立ち返って、社会を建設し、文化を創造していく源泉である、仏法という理念を、徹底して掘り下げ、再構築していかなくてはならない。(『新・人間革命』第17巻)

 この年、会長は1月に『私の釈尊観』を上梓。3月には『生命を語る』の第1巻を出版した。4月には、創立者として初めて創価大学の入学式に出席し、現代文明に果たす創価大学の役割などについて講演した。
 5月には、ロンドンで前年に続きトインビーと対談した。人間と文明についての万般を論じ合った両者の2年越しの対談は、計10日間、40時間に及ぶものとなった。
 その後、内容は『二十一世紀への対話』として出版され、現在までに29言語に翻訳されて世界各国でベストセラーとなっている。
 6月には、のちに『私の仏教観』としてまとめられる連載を開始。最新の学術的知見からの仏教研究に着手した。7月には『生命を語る』第2巻を刊行。8月には『大学新報』紙上で、のちに『私の天台観』となる対談が始まった。
 同じく8月には創価大学の夏季大学講座で「仏教と文学」と題し、2日間にわたって講演。
 9月には日本を代表する知性の1人であった評論家の加藤周一と創価大学で会談。12月には来日していたソ連科学アカデミーの代表とも会見した。
 東宝とシナノ企画が共同制作した映画『人間革命』も9月に封切られ、記録的なヒットとなった。『生命を語る』『私の釈尊観』のフランス語版も、この年のうちに出版されている。
 また、会長出席のもとパリでヨーロッパ各国代表と「ヨーロッパ会議」を、ハワイで北南米の代表と「パン・アメリカン連盟」を結成。これに呼応して香港でも「東南アジア仏教者文化会議」が結成された。
 あわせて、各国メンバーとの連絡、指導スタッフの派遣、出版や活動の支援を図るための「国際センター」の設置も発表した。
 池田会長の提案を受け、青年部が核兵器廃絶への1000万人署名を決定したのもこの年である。
 仏法の叡智を社会へ世界へと開くため、池田会長は凄まじい勢いで新たな挑戦を開始したのだった。

※この記事は『最新版 世界広布新時代への飛翔』(青山樹人著/鳳書院)をベースに加筆修正したものです。

【創価学会創立90周年特集】 特集① 特集②  特集③ 特集④ 特集⑤ 特集⑥ 特集⑦

scan-701

『最新版 宗教はだれのものか 世界広布新時代への飛翔』
青山樹人

価格 1000円+税/鳳書院/2015年10月7日発売
→Amazon
→セブンnet
 
 


あおやま・しげと●著書に『宗教はだれのものか』(2002年/鳳書院)、『新装改訂版 宗教はだれのものか』(2006年/鳳書院)、『最新版 宗教はだれのものか 世界広布新時代への飛翔』(2015年/鳳書院)など。WEB第三文明にコラム執筆多数。