投稿者「web-daisanbunmei」のアーカイブ

『摩訶止観』入門

創価大学大学院教授・公益財団法人東洋哲学研究所副所長
菅野博史

第89回 正修止観章㊾

[3]「2. 広く解す」㊼

(9)十乗観法を明かす㊱

 ⑦通塞を識る(2)

 (3)天台家の解釈①

 前回記した六師の説に対して、すでに簡潔な批判が提示されていたが、さらに短い批判が説かれる。それについては省略する。ここでは、天台家の五百由旬の解釈について、第一に生死の場所、第二に煩悩、第三に智慧に焦点をあわせて示されている内容を紹介する。
 第一に、生死の場所に焦点をあわせる場合、三界の果報を三百由旬とし、方便有余土・実報無障礙土は五百由旬の場所とするとされる。三界の果報とは、三界内部の煩悩をすべて断ち切った阿羅漢の境地を意味すると思われる。方便有余土・実報無障礙土は、天台教学における四土(凡聖同居土・方便有余土・実報無障礙土・常寂光土)に含まれるものであり、方便有余土は、見思惑を断じたが、まだ塵沙惑・無明惑を断じていない二乗・菩薩の住む国土であるとされる。実報無障礙土は、別教の初地以上、円教の初住以上の菩薩が生身を捨てて住む国土であるとされる。 続きを読む

選挙における「見え方」問題――ポイントは清潔感と笑顔

ライター
松田 明

「ルックス」と得票率の研究

 今回は、選挙における候補者の「見え方」の話である。
 ルッキズムという言葉をご存じの方も多いだろう。「外見至上主義」とも言われ、容貌や外見で人を評価したり差別したりすることだ。SNSの普及とともに、人々は自分や他人の外見を消費することに熱心になり、同時にそのことで息苦しさを感じている人も多い。
 外見や年齢で人を公然と揶揄するようなことは、日本でも社会通念として許されなくなりつつある。

 そもそも何に「美醜」「好悪」を感じるかは、時代や文化、個々人によって違いがある。そのうえで、私たちは視覚情報として入ってくる他者の〝イメージ〟によって、親しみや信頼感を覚えることもあれば、なんとなく好感を抱けなかったりもするのも事実である。
「見た目」のイメージで自分の感情が影響されることは、程度の差はあれ往々にして避けがたい。

 そして、じつは芸能界に匹敵するほど外見にこだわる世界が、政治の世界ではないだろうか。さまざまな職業があるなかで、一部の政治家の外見への執着は、ちょっと他とは比べものにならないのではないかと、かねて思っていた。
 多くの政治家が、選挙にとって「外見」の印象が少なからぬ影響を持っていると考えている証左でもある。 続きを読む

『摩訶止観』入門

創価大学大学院教授・公益財団法人東洋哲学研究所副所長
菅野博史

第88回 正修止観章㊽

[3]「2. 広く解す」㊻

(9)十乗観法を明かす㉟

 ⑦通塞を識る(1)

 今回は、十乗観法の第五、「通塞を識る」(道が通じているか塞がっているかを識別すること)の段について説明する。十乗観法については、前の観法が成功しない場合に、次の観法に移るという流れとなっている。ここでは、第四の破法遍が成功しない場合に、識通塞が必要となるということである。 続きを読む

公明党が都議選で得たもの――「北多摩3区」に見る希望

ライター
松田 明

都議選が示した明暗

 今年は12年に1度、東京都議会議員選挙と参議院議員選挙が重なる「巳年選挙」の年。
 さる6月22日に投開票を迎えた都議選は、以下のような結果となった。数字は改選前議席から当選議席への推移である。

都ファ 31 ⇒31
自民  33 ⇒21
公明  23 ⇒19
共産  19 ⇒14
立民  12 ⇒17
国民   0 ⇒9
維新   1 ⇒0
参政   0 ⇒3
れいわ  0 ⇒0
保守   0 ⇒0
社民   0 ⇒0
再生   0 ⇒0
諸派   0 ⇒0
無所属 11 ⇒12

 これまで都議会に議席のなかった国民民主党と参政党が、支持率の堅調に支えられて新たに議席を獲得。立民も5議席増。
 一方、自民党は過去最低議席となる大惨敗。共産党も野党第1党から転落する敗北。公明党は候補者を22人に絞って挑んだものの36年ぶりに完勝を逃す結果。維新、れいわ、再生は候補者全員が落選。保守、社民もそれぞれ1人を擁立したが落選した。 続きを読む

芥川賞を読む 第54回 『爪と目』藤野可織

文筆家
水上修一

3歳だった女児が父の愛人について語る不気味

藤野可織(ふじの・かおり)著/第149回芥川賞受賞作(2013年上半期)

珍しい二人称の小説

 藤野可織の「爪と目」は、冒頭の出だしが印象的で、本作の大きな特徴を示唆している。

 はじめてあなたと関係を持った日、帰り際になって父は「きみとは結婚できない」と言った。あなたは驚いて「はあ」と返した。

 ここで読者は少し混乱する。「語り手」が誰で、「あなた」は誰を指すのか、悩むのだ。筆者も最初は「語り手」が父と関係を持ったのかと思ったのだが、そうすると父が「きみとは結婚できない」と言った「きみ」は「語り手」になるはずなのだが、その後の文章を読むとどうも違う。それがはっきりするのが、少し後に出てくる「私は三歳の女の子だった」という一文である。つまり「語り手」は、当時3歳だった女の子なのである。その子が成長後、自分の人生を俯瞰するように物語ってゆくのである。そして、「あなた」は、父と不倫関係にあった女性を指すのだ。つまり、この作品は、語り手である当時3歳だった「わたし」が、父の愛人を「あなた」と呼ぶ2人称の小説なのである。 続きを読む