投稿者「web-daisanbunmei」のアーカイブ

長嶺将真物語~沖縄空手の興亡 第15回(最終回) 空手の原点とは

ジャーナリスト
柳原滋雄

ハワイで行った平和講演

 1995年7月、笹川良一が96歳で死去。長嶺が「空手の琉球処分」(第11回第12回参照)に巻き込まれる原因をつくった人物の死は、沖縄空手にとって一つの時代を象徴する出来事だった。
 8月には、2年後に沖縄で初めて行なわれる空手の世界大会「沖縄空手・古武道世界大会」の「プレ大会」が開催された。組手の試合で南アフリカの選手が不幸にも死亡する事故が発生した。長嶺は9月15日付の琉球新報に「沖縄空手・古武道プレ大会事故に思う」と題する文章を掲載している。
 翌96年、沖縄県空手道連合会はアトランタオリンピックの公式行事として渡米し、仲里周五郎(なかざと・しゅうごろう 1920-2016)を中心に演武を行っている。さらにこの年の10月には最後の開催となった第8回「武芸祭」が開催された。
 また12月には、長嶺はハワイの超禅寺から招かれて、「沖縄の空手と世界平和」と題する講演を行っている。 続きを読む

宗教攻撃を始めた日本共産党――憲法を踏みにじる暴挙

ライター
松田 明

「創価学会攻撃のシグナル」

 共産主義社会をめざす「革命政党」である日本共産党。
 1946年8月24日、日本国憲法の草案を国会で採決した際、政党として唯一これに〝反対〟したのが日本共産党だ。
 天皇制も含め、日本国憲法の全体をとりあえず容認したのは2004年のこと。
 しかし、現在もなお日本国憲法とは異なる「共産主義の社会」をめざすことを党綱領に掲げ、その革命が平和的になるか暴力的になるかは〝敵の出方次第〟という立場を否定しない。
 だからこそ民主党政権時代も含めて、公安調査庁は同党をオウム真理教や過激派と並ぶ「破壊活動防止法に基づく調査対象団体」としている。 続きを読む

核兵器の恐怖から人類を解放するために(中) 時宜を得た核禁条約発効に日本人はどう対応すべきか

中部大学教授
酒井吉廣

 核兵器禁止条約(以下、核禁条約)の第7条5項は、加盟国以外でも赤十字の国際委員会やNGO、地域組織などからの支援受入れを認め、第8条5項ではこれらの組織や非加盟国をオブザーバーとして招聘することとしている。これを受け、日本では公明党の山口那津男代表が日本国のオブザーバー参加を日本政府に提案している。
 核兵器廃絶は唯一の被爆国の国民である日本人の強い願いである一方、日米安全保障条約で米国の核の傘の下にある日本国としては、難しい舵取りであることは言うまでもない。筆者は日本が核禁条約を入り口に世界からの核兵器廃絶を目指すならば、もう一工夫が必要だと考える。それは、日本国の現状を鑑みるに、日本政府とそれ以外の役割分担が必要だろうという考え方だ。第2回は、このテーマを掘り下げていく。 続きを読む

「黒い雨」裁判、国が方針転換――広範な救済措置の実現へ

ライター
松田 明

※写真は『公明新聞』2021年7月29日付

原爆投下と〝黒い雨〟

 1945年8月6日、広島市の上空で原子爆弾が炸裂した。
 このときに立ち上がったキノコ雲は、呉市から撮られた写真などをもとに「高さ8080メートル、幅約4500メートル」(広島市と県が設置した専門家会議)と推定されていた。
 だが、2010年に広島市立大学の研究グループが、2倍にあたる高さ16000メートルに達した可能性を算出している。
 高熱によって湧きあがったキノコ雲には、大量の粉塵とともに放射性物質が含まれていた。そして、上空で冷やされた雲は、まもなく雨となって地上に降り注いだ。 続きを読む

芥川賞を読む 第7回 『至高聖所(アバトーン)』松村栄子

文筆家
水上修一

孤独と痛みの癒しを求めるキャンパス小説

松村栄子著/第106回芥川賞受賞作(1991年下半期)

筑波学園都市が舞台

 第106回芥川賞を受賞したのは、当時30歳だった松村栄子の「至高聖所(アバトーン)」だった。『海燕』(1991年10月号)に掲載された123枚の作品だ。
 ――舞台となっているのは、(おそらく)筑波学園都市。整然と区画整備されたエリアに近代的な学部棟や研究施設が建ち並び、そこを行き来するのは学生と研究者と大学関係者などのごく限られた階層の人たちだけで、人間臭い市井の人々や労働従事者などの姿はない。いわば特殊なコロニーだ。 続きを読む