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連載エッセー「本の楽園」 第28回 君子の酒食

作家
村上 政彦

 僕は、グルマン(健啖家)ではあるが、いま流行のグルメ(美食家)ではない。知る人ぞ知るレストランに何年も先の予約を入れたり、旨いものを求めて辺境に足を運んだりすることはない。
 ジャンクフードも好きだし、小腹が空けばスーパーの沢庵でお茶漬けもかきこむ。いたって普通の食生活を送っている。ただ、食べるのは好きで、旨いものには必ず手が出るし、TVのグルメ番組などは好んで見る。
 実は、本でも、食について書かれたものは読んでいて愉しい。もっとも、こっちのほうは、文章の好悪がはっきりしているので、グルメといえるかもしれない。不味い文章は、まったく食指が動かないのだ。 続きを読む

連載エッセー「本の楽園」 第28回 文学全集で文学と交際する

作家
村上 政彦

 大学で文芸創作のクラスを担当していて、学生に小説の書き方を教えている。いい小説を書くには、まず、すぐれた小説を読むことだ、というと、すぐれた小説とはどういうものですか? と質問を受ける。
 そのときの僕の答えは単純である。文学全集を読みなさい。

 世界のすぐれた小説の水準を知りたければ、世界文学全集を読めばいい。日本のすぐれた小説の水準を知りたければ、日本文学全集を読めばいい。 続きを読む

連載エッセー「本の楽園」 第27回 まっとうに苦しむこと

作家
村上 政彦

 アウシュヴィッツ駅に到着すると、輸送されて来たユダヤ人は一列に並ばされた。その先にはナチスの将校が立っていて、優雅な仕草で右手の人差し指を左右に動かし(たいていは左に)、人々を選別していた。
 右に振られた者は右へ流れ、左に振られた者は左に流れる。フランクルが緊張していると、人差し指の動きが止まり、あちこち体を調べられ、あらためて右へ振られた。彼が人差し指の動きの意味を知ったのは夜のことだった。 続きを読む

連載エッセー「本の楽園」 第26回 そんな男に私はなりたい

作家
村上 政彦

 大竹伸朗(しんろう)の作品と出会ったのは20代になったばかりのころ、確か、『ポパイ』か『ブルータス』で絵を観たのだった。ポップだが、それだけではない、ちょっと不気味な雰囲気もあって、お気に入りのアーティストのリストに登録された。
 彼は、絵画やオブジェなどの作品もすぐれているが、文章もいい。テンポがよく、的確で、かなり込み入ったこともすんなり分からせてくれる。『ネオンと絵具箱』『既にそこにあるもの』では、そのおもしろさを堪能できる。 続きを読む

連載エッセー「本の楽園」 第25回 ウディ・アレンの映画術

作家
村上 政彦

 TVを視ていたら、あるCMで太宰治を文豪といっていた。太宰は好きな作家なのだが、これには違和感があった。確かに、すぐれたいい作家である。しかし彼には、文豪という冠は似合わない。
 日本文学の中で文豪といえば、夏目漱石、森鴎外、谷崎潤一郎あたりだろう。彼らには文豪にふさわしい威信がある。重みがある。太宰には、それがない。いや、ないことが魅力なのだ。 続きを読む