実現した歴史的な広島訪問
1945年8月。当時10歳になったばかりだった私の父は、疎開先の鳥取にいた。広島に「新型爆弾」が落とされたと聞いた数日後、父は鳥取の郊外で貨物列車が白い大きな荷物を運んでいるのを見た。
よく見ると、荷物に見えたのは人間だった。包帯でぐるぐる巻きにされた大勢の兵士たちが、立たされたまま縛られて、京都の陸軍病院へと運ばれていたのだった。 続きを読む
1945年8月。当時10歳になったばかりだった私の父は、疎開先の鳥取にいた。広島に「新型爆弾」が落とされたと聞いた数日後、父は鳥取の郊外で貨物列車が白い大きな荷物を運んでいるのを見た。
よく見ると、荷物に見えたのは人間だった。包帯でぐるぐる巻きにされた大勢の兵士たちが、立たされたまま縛られて、京都の陸軍病院へと運ばれていたのだった。 続きを読む
東日本大震災から2年あまり。がれき撤去は進み、被災した建物の多くは姿を消しつつある。そのなかで、「震災遺構」として被災建物を保存すべきだとの議論がある。人間にとって被災建物はどんな意味をもつのか。 続きを読む