G7サミット広島開催へ――公明党の緊急提言が実現

ライター
松田 明

多くの成果上げた日米首脳会談

 5月22日から24日にかけて、米国のバイデン大統領が就任後初めて日本を訪問した。大統領に就任して初めてのアジア訪問として韓国と日本を選んだもの。
 ロシアによるウクライナ侵攻の渦中、また北朝鮮がミサイル発射実験をくり返すなかでの歴訪であり、公明党の山口那津男代表は23日夕、同日におこなわれた日米首脳会談について次のような見解を語った。

一、日米首脳会談には二つの意義がある。一つは、法の支配に基づく自由で開かれた国際秩序を維持していく重要性を確認したこと。二つ目は、インド太平洋の平和で繁栄した地域を確保していく重要性を共有し、両国が主導的役割を果たしていくことを確認したことだ。米国が、この地域に対する関与を一層強めていく意思を明確にしたことが大きな意義だ。

一、韓国で新しい大統領が誕生し、オーストラリアでも新しい政権、新首相も誕生した。このタイミングで、バイデン大統領が韓国、日本を相次ぎ訪問し、日米首脳会談を行うとともに、24日にはインド、オーストラリアを加えた「クアッド」首脳会合も開かれる。この点も、同地域に米国が関与していく重要性を示すものだ。今回の日米首脳会談は、多岐にわたる成果を生んだ。大いに評価したい。(「公明ニュース」5月24日

続きを読む

連載エッセー「本の楽園」 第131回 アメリカ版「雨ニモ負ケズ」

作家
村上政彦

 デヴィッド・フォスター・ウォレスという作家は知らなかった。重い精神疾患を患っていて自死したという。その3年前、アメリカのオハイオ州で最古の、ケニオン・カレッジの卒業式に招かれ、20分ほどの短いスピーチをした。
 アメリカ、大学の卒業式、スピーチというと、スティーヴ・ジョブズが思い浮かぶ。彼は2005年にスタンフォード大学に招かれ、卒業生にスピーチをした。「Stay hungry. Stay foolish」(ハングリーであれ。愚かであれ)というフレーズは、巷間に広まったものだ。
 ウォレスのスピーチは、このジョブズのスピーチを抜いて、2010年の『タイム』誌で全米ナンバー1に選ばれた。僕は大学に入学したものの、卒業していないので、卒業スピーチとは縁がない。
 ウォレスが何を話したのか、いろいろ想像を巡らせながら読み始めた。一読して思い出したのは、宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」という文章だった。そういう印象を受けたのはレイアウトの作用が大きいかも知れない。 続きを読む

核兵器不使用へ公明党の本気――首相へ緊急提言を渡す

ライター
松田 明

広島・長崎でのサミットを要請

 5月18日午後、公明党の山口那津男代表は首相官邸を訪れ岸田文雄首相と会談。核保有国に核兵器を使用させないよう日本政府に具体的行動を求める緊急提言を手渡した。
 会談の席上、山口代表は、核兵器のもたらす惨禍とその残虐性について、唯一の戦争被爆国である日本こそ世界に訴える責務があることを語った。
 その上で具体的な提案として、日本での開催が決まっている2023年のG7サミット(先進7カ国首脳会合)を広島でおこない、同時に開催される外相会合を長崎でおこなうよう求めた。
 これに対し、岸田首相は「これから検討していきたい」と応じた。
 核廃絶への世論形成を阻むひとつの要因は、核兵器がもたらす悲惨さが知られていないことがある。
 サミットが広島・長崎で開催されれば、首脳や外相たちがそれぞれの慰霊碑に献花し、あるいは平和祈念資料館、原爆資料館に足を運んで、その悲惨さの一端を直接知ってもらうことができる。
 当然、各国のメディアもふたつの被爆地に関心を寄せることになり、日本として核兵器の非人道性を世界に強く発信する責務を果たせる機会となるだろう。 続きを読む

空手普及100年――唐手から空手へ(上)

ジャーナリスト
柳原滋雄

本土への空手普及から1世紀

文部省主催の運動体育展覧会を報じる読売新聞(1922年4月30日付)

 沖縄の「唐手」(以下、一部「沖縄空手」と表記)が公式に日本本土に伝来して今年でちょうど100年になる。
 1922(大正11)年4月30日から1カ月間にわたり東京で開催された文部省主催の「運動体育展覧会」において、あらゆるスポーツ・武道の展示の中で初めて唐手が取り上げられ、沖縄から一人の空手家が上京したことに始まる。武人の名は船越義珍(旧姓:富名腰 ふなこし・ぎちん 1868-1957)。
 明治元年に沖縄県の首里山川町で生まれ、小学校の教員として沖縄本島で青年、壮年期を過ごした。 続きを読む

連載エッセー「本の楽園」 第130回 懐かしい小説家

作家
村上政彦

 小説家になる者は、誰でも「自分の作家」を持っているとおもう。分かりやすい言い方をすれば、好きな作家だ。僕は、あちこちで言っているが、最初に個人全集を買ったのはドストエフスキーだ。次に、友人から梶井基次郎の全集を、ある祝いに贈られた。
 ドストエフスキーも、梶井基次郎も、「自分の作家」だった。しかしどちらも亡くなっていた。生存していて、いままさに小説を発表して活躍している作家として、これは「自分の作家」だとおもったのは、中上健次だった。
「岬」という中篇を読んで、彼が描く世界に惹かれた。荒々しく、禍々しく、しかしどこかに温かな優しさがある。舞台になった紀州の路地は、のちに被差別部落だと知ったが、僕の身の回りにも、同じような土地があって、そこに住んでいる人々とは親しくつきあっていた。だから中上の描く世界は、とても身近に感じられて、自分の生きているこの世界が小説になりうるのだという発見に繋がった。 続きを読む