空手普及100年――唐手から空手へ(上)

ジャーナリスト
柳原滋雄

本土への空手普及から1世紀

文部省主催の運動体育展覧会を報じる読売新聞(1922年4月30日付)

 沖縄の「唐手」(以下、一部「沖縄空手」と表記)が公式に日本本土に伝来して今年でちょうど100年になる。
 1922(大正11)年4月30日から1カ月間にわたり東京で開催された文部省主催の「運動体育展覧会」において、あらゆるスポーツ・武道の展示の中で初めて唐手が取り上げられ、沖縄から一人の空手家が上京したことに始まる。武人の名は船越義珍(旧姓:富名腰 ふなこし・ぎちん 1868-1957)。
 明治元年に沖縄県の首里山川町で生まれ、小学校の教員として沖縄本島で青年、壮年期を過ごした。
 船越は、〝明治の拳聖〟として名高いピンアンの型を創案した糸洲安恒(いとす・あんこう 1831-1915)や安里安恒(あさと・あんこう 1828-1914)※諸説ありに師事し、首里手を学んだ。当時の沖縄では学校教育に唐手を活用する方針が取られ、船越は仕事を通じて児童らに唐手を教えた。その船越に白羽の矢が立ち、「運動体育展覧会」での唐手展示のため、東京に単身で派遣されたのが100年前の今ごろのことだった。
 船越は三幅の軸物を作成し、自分のブースでそれを展示したほか、自ら演武を行うこともあった。
 もともとこの展覧会で沖縄の唐手に声がかけられたのは、一人の柔道家の存在なしにはありえなかった。嘉納治五郎(かのう・じごろう 1860-1938)である。

上京した船越義珍の唐手を紹介する東京日日新聞(現在の毎日新聞、1922年6月3日付)

 嘉納は、講道館柔道を創設した世界的に著名な柔道家として知られ、〝日本体育の父〟とも謳われる。嘉納は自らが柔術(現在の柔道に当て身などを加えた護身術)を身につけた経験から、沖縄の唐手に早くに着目し、複数回にわたり沖縄を訪問して直接交流して見聞を深めるなど研究に余念がなかった。
「運動体育展覧会」は嘉納が密接にかかわった行事であり、会場も嘉納と関係の深い場所だった。嘉納は展覧会とは別に、船越に直接依頼し、講道館において唐手を演武する機会を設定している。
 この際、船越は首里手の代表型であるクーサンクーを演じ、東京商科大学(現在の一橋大学)の学生として東京にいた沖縄出身の儀間真謹(ぎま・しんきん 1896-1989)にナイファンチンの演武をさせ、2人で相対組手を演じている。さらに嘉納自ら熱心に武術的な質問を重ねるなど、沖縄空手と柔道の交流会となった感があった。この日付について展覧会が開催されていた期間中の「5月17日(水)」という説と、展覧会が終わってまもなくの「6月4日(日)」という説が混在する。
 いずれにせよ講道館の道場において、嘉納が企画した唐手演武会が開催され、100人を優に超える関係者が集まった事実は確かだ。それだけではなく、船越は多くの団体や機関から同じように唐手演武会を要請され、当初の帰琉日程を〝返上〟し、自ら演武する機会を数多くもって唐手普及に努めていく。

日本最初の空手技術書を出版

 船越は日本で初めてとされる活字による沖縄空手の啓蒙書を同年秋に出版した。これは東京の唐手愛好家が、船越が沖縄に帰るのなら自分たちだけでも練習できるように書き残してくれ、といわれたのが執筆動機だったとされる。急いでつくった本であったことは明らかで、型を図示する動作の説明でも、鉛筆でデッサンした簡単粗略なものが残る。
 翌年9月に発生した関東大震災でこの本の版が使えなくなった。新たに出版した改装本では、鉛筆のデッサンは船越自ら演じた写真に変わった。
 船越が東京で始めた唐手普及の特徴の一つは、町道場によるものではなく、当時のエリート層の卵であった大学生を対象にしたことだ。船越がそのように戦略的に動いたというよりも、自然発生的にそうなっていったという側面が強い。

船越が出版した唐手に関する最初の書籍(復刻版)

船越が出版した唐手に関する最初の書籍(復刻版)

 もともと沖縄県人寮を当初の〝仮の宿〟として普及を開始した船越のもとに、慶応義塾大学の教授らが通っていた。そこから教線が伸び、最初の唐手研究会(後の空手道部)が慶応大学内に設置された。その後は多くの著名大学で同じように研究会が創部されていった。
 当時の若者たちは血気盛んで、先に普及していた柔道や剣道と同じように試合化する道を必然的に模索していった。ただし学生時代は4年間と限りがある。インスタント的な指導方法が横行し、沖縄空手の息の長い教授スタイルと噛み合わない面が生まれていった。
 船越が固執した沖縄式の「型」伝承を主体とする教授スタイルと、試合での勝敗を重視する学生たちの志向とが真正面からぶつかり合う形となった。
 いずれにせよ1922年春、船越の沖縄からの上京がなければ、日本本土における空手100年の歴史はない。さらに船越が嘉納らの勧めによって東京に残るという〝人生をかけた選択〟をしなければ、いまの空手界の姿もなかったと思われる。
 関係者には比較的知られた話ではあるが、極真空手を創設した大山倍達(おおやま・ますたつ 1921-94)も、若き日に船越道場で修練する日々を過ごし、黒帯を取得した話は有名だ。船越の半生を振り返ることは、そのまま日本本土における空手普及の歴史をたどることにつながっていく。(次回につづく)

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やなぎはら・しげお●1965年生まれ、佐賀県出身。早稲田大学卒業後、編集プロダクション勤務、政党機関紙記者などを経て、1997年からフリーのジャーナリスト。東京都在住。 著書に『沖縄空手への旅──琉球発祥の伝統武術』(第三文明社)、『空手は沖縄の魂なり――長嶺将真伝』(論創社)など。