連載エッセー「本の楽園」 第130回 懐かしい小説家

作家
村上政彦

 小説家になる者は、誰でも「自分の作家」を持っているとおもう。分かりやすい言い方をすれば、好きな作家だ。僕は、あちこちで言っているが、最初に個人全集を買ったのはドストエフスキーだ。次に、友人から梶井基次郎の全集を、ある祝いに贈られた。
 ドストエフスキーも、梶井基次郎も、「自分の作家」だった。しかしどちらも亡くなっていた。生存していて、いままさに小説を発表して活躍している作家として、これは「自分の作家」だとおもったのは、中上健次だった。
「岬」という中篇を読んで、彼が描く世界に惹かれた。荒々しく、禍々しく、しかしどこかに温かな優しさがある。舞台になった紀州の路地は、のちに被差別部落だと知ったが、僕の身の回りにも、同じような土地があって、そこに住んでいる人々とは親しくつきあっていた。だから中上の描く世界は、とても身近に感じられて、自分の生きているこの世界が小説になりうるのだという発見に繋がった。
 短篇集、エッセイ集と、刊行される作品は、すべて手に入れて読んだ。いまでもはっきり憶えているのは、中上の小説のなかでも、最高峰の長篇『枯木灘』が文芸誌に連載されたとき、リアルタイムで読んで、結末にたどりついた衝撃である。
 読み終えたとき、小説というものの、凄まじい力を感じた。息苦しくて、部屋のなかをのたうち回った。これは誇張ではない。本当に、のたうち回ったのだ。後にも先にも、こんな読書体験は、ない。
 しかし僕の作品は、たぶん中上からの影響は受けていないとおもう。彼から学んだのは、小説への向き合い方のようなものだ。ふつう人間は五感を持っている。視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚などを通じて、世界を認識する。
 小説家には、もうひとつ、小説という知覚がある。小説家は、小説を書くという行為を通じて、世界を認識する。中上の小説は、ことさらそういう小説の機能を知らしめる小説だとおもう。
『現代小説の方法』は、中上が小説について語った講演を収録している。これを読むと、彼が小説についてよく考え、しかし作品を書くときには、その考えた痕跡を一切見せなかったことが分かる。
 作品を読んでみると分かるが、中上健次の小説には、まったく理屈が出てこない。彼はよく「切れば血の出る小説」と言ったが、彼の小説は観念でできていなかった。現実そのもののような生々しさがあった。
僕は、福武書店(現在のベネッセ)の『海燕』新人文学賞を受けて、小説家としてデビューした。『海燕』の編集長・寺田博さんは、実は『枯木灘』の担当編集者で、まだ芥川賞を受ける前の中上に長篇を依頼した。
「(長篇の依頼を受けて)興奮しているのが伝わってくるんだよ」と寺田さんは言っていた。中上はギリシャ悲劇に詳しかった、長篇小説にはすべてをぶちこまないといけないから、それも『枯木灘』には入ってるんだ、とも言った。
 中上も、寺田さんも若かったから、毎日のようにふたりで会って、原稿のやりとりをしたという。
『現代小説の方法』は、小説を阻害するもの、主人公、構造、場所、物語などについて解いていく。だいたい小説作法というのは、それを書く作者の作品の作法になっているが、この本も、中上健次の小説の自注自解と言っていい。
 たとえば主人公について。中上は、柳田国男のいう「流され王」、折口信夫のいう「貴種流離譚」を援用して、小説の主人公は、みなし児、私生児として、あらかじめ傷つけられている、とする。
 これなど、『岬』『枯木灘』『地の果て 至上の時』の主人公・竹原秋幸の境遇とよく似ている。僕は、「流され王」や「貴種流離譚」の理論が先にあって、秋幸が誕生したとはおもえない。
 まず、秋幸の誕生があって、彼が主人公となる理由として、柳田や折口の論がある。秋幸には中上の姿が投影されている。彼は傷を受けていたのだ。そして、傷を受けないと小説は書けない。

人間でも動物でも傷受けるとどうすると思う? 呻くんですよ。考えてみると、呻くというのは、一番人間の訴える行動なんです。(略)うーっと呻くことによって、あるものがむくむくと活気づけられる。訴えるとか、書くという行為は、ほとんどそれとくっついている

(エリック)ホッファーなんかも言うんだけど、疎外を克服する手段として表現とかは起こって来ると

だから傷を受けてないと、ものなんか書けないんです

 ちなみに中上は、「傷」を「物深い」と表現している。
 久し振りに中上健次の文章を読んで、若いころ人を介して、彼から会いたいと言われたことを思い出していた。率直に言って、僕も会いたかった。ただ、そのときは、いま酒場にいるのだが、来られるか? という誘いだった。
 僕にとって中上健次は特別な作家だった。だから、そういうかたちで会いたくなかった。もっとちゃんとした会い方をしたかった。それで、そのときは会わなかった。そうしているうちに中上は亡くなった。
 どんな会い方でも、会っておけばよかった、といまになって悔やんでいる。

お勧めの本:
『現代小説の方法』(中上健次、前田塁著/高澤秀次編集/作品社)


むらかみ・まさひこ●作家。業界紙記者、学習塾経営などを経て、1987年、「純愛」で福武書店(現ベネッセ)主催・海燕新人文学賞を受賞し、作家生活に入る。日本文芸家協会会員。日本ペンクラブ会員。「ドライヴしない?」で1990年下半期、「ナイスボール」で1991年上半期、「青空」で同年下半期、「量子のベルカント」で1992年上半期、「分界線」で1993年上半期と、5回芥川賞候補となる。他の作品に、『台湾聖母』(コールサック社)、『トキオ・ウイルス』(ハルキ文庫)、『「君が代少年」を探して――台湾人と日本語教育』(平凡社新書)、『ハンスの林檎』(潮出版社)、コミック脚本『笑顔の挑戦』『愛が聴こえる』(第三文明社)など。